第三十三話 垣間見えたモノ
何か重く大きなモノが床や壁に激しくぶつかる不気味な音が、床下から散発的に響いてくる。
「し、
ベッドの上のハゲ豚は、眠る少女の股を大きく開いたまま、しかし行為はまだ始めずに、怯えた眼差しをドアのほうへ向ける。
「わかりやせん……」
ヒョロガリもビクつきながら答えると、ハゲ豚は使えない部下を睨みつけた。
「ならさっさと見て来ねえかっ、このバカッ!」
「そ、そんなあ……」
ヒョロガリは情けない声でいいつつも、恐る恐るドアを開けて、のろのろと部屋を出て──、
「ぁぶっ」
姿が視えなくなった直後、通路で奇妙な呟きを漏らして、その足音を途絶えさせた。
「おい、どうした……? おい! 何とか言えっ!」
間もなく、ハゲ豚の声に応えて部屋に現れたのは──、街で
「っ! て、てめえは……っ」
呑気なマヌケ面で武器も持っておらず、無視しても問題ないと思っていたが。
「こんなとこまでノコノコ追ってきやがったのかっ! 馬鹿野郎が。タダで帰れると思うなよ!」
ハゲ豚の調子はずれの怒声を無視して、ロンはベッドで眠るカイリに視線を向ける。
間一髪のところではあったが、どうやらまだ無事であるようだ。
「…………クスリで眠らせて、犯そうとしたわけか。奴隷商に売り払う前に」
ロンは静かに、低い声でいった。
ハゲ豚は、その声に込められた尋常ならざる怒りにまだ気づかない。
「だったら、どうした? ああ? このガキは魔族だぞ? そのくらいのことされても文句は言えねえだろうがっ」
下を丸出しにした情けない恰好の男は、のそのそベッドから下り、テーブルに置いていた抜き身の短剣を手に取る。
「まあ何にせよ……ここでくたばるてめえには関係のねえことだ!」
ハゲ豚は、凶悪な笑みを浮かべながらロンに近づいていく。
「へっへっ……いまさらビビッたってもう遅えぞ。ここを知られたからには生きて帰すわけにはいかねえ。せいぜい、てめえのマヌケさをあの世で後悔してろっ!」
いって、容赦なく短剣の刃をロンの腹に突き刺そうとした。
が──、その太った手はパシッと、ロンの左手に容易く止められ、そして、
ボギ、ボギギ……ッ!
ロンがその手に力を込めた瞬間、男の五指の骨は残らず砕けた。
「っ!? ぎゃあぁぁあああっ!」
一拍遅れて襲ってきた激痛に、ハゲ豚は絶叫する。
「はっ、放せっ、放してくれえぇぇえっ!」
必死の懇願を無視して、ロンはさらに力を加える。
ボギ……バギッ……、グヂャ。
「うぎゃああぁぁぁああっ!!!」
ついに立っていられなくなってその場に膝をついたハゲ豚をじっと見下ろして、ロンはまた、とても静かに言った。
「俺の眼を見ろ」
「へっ、へひぃっ!?」
涙と鼻水でグシャグシャになった顔をあげてロンを見上げたハゲ豚は、
「──ッ!!?!?!」
彼の《眼》をみた瞬間、想像を絶する恐怖に襲われ、正気を失った。
「ぁっ……かっ、は……!」
狂ったように震えだした男は、それでもなぜか相手の眼から視線を逸すことができない。
(こ、恐い恐いこわいこわい怖い怖いコワイコワイッ……死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ……! コイツは……コイツだけは、ダメだ)
(コイツは、コイツは……人間じゃない!)
ちょうど、その時。
「おっ、ここにいたか。
オリガがのんびりいいながら、通路からひょいと顔を出した。
「ん? どうした──」
彼女に背を向けたまま何も応えないロンをみて不思議に思ったオリガも、直後、彼の前にいるハゲ豚の、恐怖に歪みきった尋常ならざる表情をみて、戦慄する。
(っ! な、なんだあの顔……!? アレが、人間の顔か? アイツはいま、一体何を見てンだ……ッ?)
混乱するオリガは、自分がなぜかその部屋に入れないだけでなく、ドアからジリジリと後退りまでしていることに気がついて、さらなる衝撃を受けた。
(こ、このオレが、ビビッてる……? でも何にだ? ロンのヤツにか? まさかっ、あり得ねェッ……!)
冷や汗を流しながらぐっと奥歯を噛みしめるオリガの視線の先で、ロンはハゲ豚に問いかけた。
「お前、名前は?」
その声はやはりどこまでも冷静だったが、相手にとってはそれが何よりも恐ろしかった。
ハゲ豚は、この恐怖が続くくらいなら、いっそ今すぐ首を折られて死んだほうがマシだとさえ思った。
「ぼっ、ぼるかす……、ボルカス・デルド、です……っ」
馬鹿正直に、本名を名乗った。
ウソをついてもしそれがバレたら……と、考えただけで気が狂いそうだった。
「よし……ボルカス。お前にチャンスを与える」
「ハ、はイ……?」
「今日を限りに、すべての悪事から足を洗え。仲間たちも一緒にな。そして、これからは何か、人の役に立つことをしろ。弱い者を助けてやれ。残りの人生をかけて己が犯した罪を償え」
「…………っ」
「俺の言うとおりするなら今日だけは見逃してやるが、どうする?」
その瞬間、ボルカスは奇跡が起きたと思った。
まさに、
「や、やるっ。やります! 誓いますっ! ええ、もう二度と悪いことはしません。絶対にです。神に誓います。田舎のお袋にも誓います。死んだ親父にも誓います。今日からまっとうな、善い人間になります!」
ボルカスは幼子のように泣きながら必死に喚いた。すべて、本心だった。
この恐怖、この地獄から逃れられるなら、何だってやってやる。
こんな思いは、もう二度としたくない──。
「ボルカス」
ロンはゆっくり、言葉をひとつひとつ相手の脳に刻みつけるように話した。
「もし、お前がその誓いを破ったら、どうなるか、わかるな。お前は、今日ここで死んでおくべきだったと、必ず後悔することになる」
「わかってます、わかってますともっ!」
ボルカスは金切り声で叫んだ。
こんな地獄は、もう二度とゴメンだ。
この男には、もう二度とお目にかかりたくない。
そのためには、これから一生、どこかの田舎でケチな町民として目立たず地味に生きていくより他にないではないか。
「……よし」
ロンは呟いて、ようやくボルカスの手を放してやった。
すると、その瞬間──絶対零度で凍りついていた部屋の空気がウソのように溶け消えて、悪魔の見る悪夢ともいうべき恐ろしい時間は、ようやく終わりを告げた。
「オリガ」
振り向いたロンは、部屋の入口で固まったままでいる少女を見て、微笑んだ。
おだやかで少しとぼけた、いつもの彼の笑顔だった。
「楽勝だったみたいだな」
「あ、あァ……」
オリガは、ぎこちなく頷いた。
(いつもと、何も変わらねェ……。さっきオレがロンに感じたモノは、一)
ロンは、まだ床でガタガタと震えているボルカスの横を通ってベッドまでいくと、眠り続けるカイリの服をきちんと整えてから、彼女をひょいと抱きかかえた。
それから、
「さあ、帰ろう」
まるで何事もなかったように、明るくいった。
「オ、オウ……」
(やっぱ気のせい、だよな。そうだ、そうにちがいねェ……)
オリガは、己に言い聞かせるようにいって、ロンの後について部屋を出ていった。
ひとりその場に残されたボルカスは、床に膝をついたまま両手を合わせ、掠れた泣き声で何度も呟いた。
「神様、ありがとうございます……ありがとうございます……ありがとうございます……」
さめざめと泣き続けるボルカスは、その後ロンたちの通報を受けて駆けつけた警官たちに見つかるまで、その場から立ちあがることさえできなかった。
数年後──、刑務所を出たボルカスは、本当に心を入れ替えてあらゆる悪事から足を洗い、紆余曲折あった後にマキシア王国のとある町で仲間たちと孤児院を開くことになるのだが──それはまた別の話。
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