第二十六話 元勇者の過去
魔王ヴァロウグ。
五年前、魔族の治める地アンヴァドールにて覇道を唱え全世界に宣戦布告、やがてこの世のすべてを絶望へと染めあげた最凶最悪の魔王。
のちに『崩世の業禍』とも呼ばれることとなるヴァロウグは、単騎で一国を滅ぼすほどの武力を持ち、実際にアンヴァドールと国境を接していたいくつかの小国は、魔王ひとりの手によって滅ぼされた。
アンヴァドールを治める魔族の五氏族は、その力を畏れてヴァロウグに忠誠を誓い、魔王に従属して全世界に侵攻を開始。
それまで各地で平穏に暮らしていた他種族は、連合軍を結成してこれに対抗したものの、ヴァロウグひとりの天災級の暴威に蹴散らされ連戦連敗、英雄と呼ばれていた者の多くもそこで命を落とした。
やがて、人々の心から希望が消え失せ、世界があまねく闇に覆われようとした時────暴虐非道の魔王をこの手で倒さん、とひとりの少年が立ち上がった。
その勇敢な少年剣士の名は、ロン・アルクワーズ。
『神の剣を振るう者』『剣神の生まれ変わり』とも称された天才剣士は、いくつもの戦場で魔王軍を撃破した後、単騎でヴァロウグへと挑み、奇跡ともいうべき勝利を収めた。
ヴァロウグを喪った魔王軍はたちまち総崩れとなり、のちに『聖魔大戦』と呼ばれる戦争は連合軍の勝利で終結、世界にはふたたび平和が訪れた──。
「これが、わたしの知る歴史、あの戦争についての全てです」
アラナは、ロンの眼を真直ぐ見つめながらいった。
「もうじゅうぶん詳しく知ってるじゃないか。他に何が知りたいんだ?」
ロンは、腕組みしながらそっけなく返す。
「いくつか、わからないことがあるんです。ひとつは先生、あなた自身についてです」
「……」
「先生は、魔王すらも圧倒した剣……神の剣とも称された究極の剣技を、どこで誰から学んだのですか?」
にわかに表情を険しくしたロンは、まもなく、かぶりを振った。
「それについては、教えられない」
「っ! さっき何でも話すといったじゃないですか」
「前言撤回だ。君には教えられないこともある」
有無を言わさぬ調子で突き放す。
ロンの顔にいつのまにか暗い影が差しているのに気づいたアラナは、すこし怯んで、肩をすくめた。
「……わかりました。では、質問を変えます。魔王ヴァロウグについて教えてください」
「あいつの何が知りたい?」
「ヴァロウグについては、今でも多くが謎に包まれています。他の魔族をはるかに超越する実力を有していた魔王は、一体何者であったのか。どのような人物で、どんな思想を持っていたのか、直接剣を交えた先生だけが知っていることがあるはずです」
「……そうだな」
ロンは、どこか虚ろに響く声で呟いた。
そして木々の間に、そこにはいない誰かを見つめるような眼差しで、話しだした。
「ヴァロウグは……とにかく、強かったよ。あいつの強さは、人智の埒外にあったといっていい。やつの剣はひと振りで天を裂き、地を割り、山を砕き……ひと度戦場へ出れば日ごとに万の兵を屠った……」
ロンはほんの一瞬、本物の痛みを感じたかのように口の端を歪めた。
「ヴァロウグは誰よりも、何よりも強くて、それゆえに傲岸で、酷薄で……孤独だった。配下の魔族たちは魔王をひたすら畏怖し、怯えるばかりで、あいつの眼をまともに見ることさえできなかった。ヴァロウグは、誰も信じず、誰にも頼らず、たったひとりでこの世界を征服しようと、本気でそう考えていた……」
「…………」
アラナは、亡き魔王について
(いまの彼から感じ取れるのは、深い憎しみと哀しみ、そして……。
まるで、近しかったがけして親しくはなかった者──自分を愛してくれなかった肉親について語っているかのような……)
「ヴァロウグは、邪悪そのものだった。生きとし生けるもの全ての敵だった。あの時、誰かがあいつを殺さなければ、この世界は本当に滅ぼされ、永遠の闇に閉ざされていただろう」
ロンが苦々しい顔で、なぜか言い訳にも聞こえる調子でいうと、アラナは頷いた。
「だから、あなたが倒した……。たったひとりで」
少女の声には、はっきりそれとわかる棘があった。
「正直にいって、それが信じられないのです。それほどまでに強大な敵、人智を超えた存在ともいうべき魔王を、あなたがひとりで討伐したなんて」
「……」
「先生、あなたは確かに強い。勇者と呼ばれるに相応しい実力の持ち主です。ですが、それでも、魔王ヴァロウグを独力で倒せたとは、正直思えません」
アラナの厳しい視線の先で、ロンはゆっくりと、ねじくれたような笑みを浮かべた。
「五年前、君と同じことを考えた人間は多くいたよ。俺はとんでもないホラ吹きで、魔王を倒した者は他にいるんじゃないか、とね……。でも、もしそうなら、そいつはどうして名乗り出ない? この世界を滅亡から救った真の英雄なのに?」
「それは──」
「そんなやつは、どこにもいないのさ。君はこの俺に幻滅したみたいだから、真の勇者が他にいると考えたくなる気持ちもわかる。でも、五年前にヴァロウグを殺したのはこの俺だ。他の誰でもない」
ロンはゆっくりと頭を反らし、少女を冷たく見下した。
「アラナ。君は、俺を過小評価してるようだ。まあ、さっきは負けた。負けたけれども、俺はまだ本気を出してはいない。わかるだろ?」
いって、丸腰であることを示すために両手をひらひらと振ってみせる。
「……っ」
アラナはこの時、ロンが剣を振るうどころか、握ったところさえまだ一度も見ていないことにはじめて気がついた。
「あまり見くびられちゃ、困るな」
「……すみません。言葉が過ぎました」
少女が視線を落としていうと、ロンはそれまで顔に差していた暗い影を消して、明るく笑った。
「さあ、そろそろ休憩はおわりにして、もうひと勝負だ。今度は、負けないぞ。先生はすごいんだ、ってことを思い知らせてあげよう」
「……望むところです」
アラナは、元勇者に複雑な眼差しを向けたまま応え、ふたたび剣を構えた。
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