第二十七話 淫魔と魔女

「あー、つまんなぁーい」


 エロウラは、貯蔵庫から勝手に持ち出した葡萄酒のボトルを呷りながら、城の通路をふわふわ、あてもなく漂う。

 自主練などやる気はカケラもないサキュバスは、ロンとアラナが中庭から出ていくとすぐに城の中に戻ってしまい、この体たらくである。


「町まで出て、テキトーなオトコを搾り殺そうかしらぁ? でも、こっから飛んでくのもダルいわねぇ。どーせ、ロクなヤツいないだろうしぃ」


 ため息をついて、窓の外の明るい景色に目をやる。


(今頃、ロンちゃんとアラナは、森の中で秘密の個人授業レッスン……。服と一緒に理性をかなぐり捨てたふたりは、滝のような汗とアレとソレにまみれて、獣のように叫びながらくんずほぐれつ、何もかも枯れ果てるまで、何度も何度も……♡)


 とてもここには描写できない淫らすぎる妄想に耽り、切なげな顔でビクビクと下半身を震わせる。


(はぁ、うらやましいわぁ……。はやくアタシの番にならないかしらぁ♡)


 細い指を胸から股へと艶めかしく這わせ、みずからを慰めながら甘い吐息をもらした、その時──。


「……?」


 ちょうど談話室の前を通りかかったエロウラは、部屋の中にひとつの気配を感じて、空中でピタリと動きを止めた。


 一瞬、武器を召喚すべきかどうか迷ったが、すぐに自嘲気味な笑みを浮かべて、そのままドアを開ける。


「自主練サボって、ワルい子ねぇ」


 軽い口調でいってやると、窓際のソファに腰かけて魔導書を読んでいたイルマは、顔もあげずに口を開いた。


「貴方にだけはいわれたくありませんね」

「あら、アタシはいいのよぉ。アノ手の地味でキツーイだけの鍛錬で強くなる段階レベルはとっくに通り過ぎてるんだからぁ」

「そっくり同じ言葉をお返しいたします」


 魔女は、分厚い本のページをめくりながら、そっけなくいう。

 そして訪れる、沈黙。


『…………』


 まだお互いにすっかりリラックスした表情ではあるものの、部屋の空気は急速に重く、冷たく張りつめていく。


「ねぇ……そんなツマラナイもの読んでないで、ちょっとおしゃべりに付き合いなさいよぉ」

 

 エロウラが愛想よくいうと、イルマは不愉快そうな表情をみせることなく、すぐに本を閉じて、顔をあげた。


「いいですよ」


 予想通りの反応。

 イルマが、自室ではなくわざわざこの談話室で過ごしていたのは、彼女もエロウラに用があったからだろう。

 もちろん、その用がが。


 エロウラは、会話するにはやや遠すぎる距離を保ったまま、口を開いた。


「回りくどいのはキライだから単刀直入に訊くけど、アンタ、ここに何しにきたのぉ?」

「これはまた、なかなかの愚問ですね」


 イルマは、ソファの横にある小さなテーブルに本を置いて、冷笑を浮かべる。


「《剣聖》になるため、に決まっています。そのためにはロン・アルクワーズに師事することが最善である、と母は考え、私をここへ送ったのです」

「ルーンダムドの魔女が本気で《剣聖》を目指す、ねぇ……それって前代未聞じゃなぁい?」

「おかしいですか? 至高の魔導士が最強の剣士でもあったなら、その者はまさに絶対無敵。この世界の支配者となることだって夢ではない。ルーンダムドの過去を知っていれば、我々がそのような存在を欲したとしても、なんら疑問はないはずです」


 淀みなく平静に語る魔女を見つめて、エロウラは蛇のそれに似た金眼を細める。

 

「貴方のほうこそ、ここへは何しに来たのですか?」

 

 イルマは質問を返しつつ、さりげなくソファから身を乗り出した。

 

 必要とあらば、いつでもその場から跳躍し、戦闘態勢に入れるように。

 エロウラを排除すべき敵だと判断した時点で、ただちにこの場で殺害できるように。

 

 まさか、そんなことはあり得ない? 

 いや、あり得るだろう。

 ルーンダムドの魔女に対して予断は禁物。彼女たちを警戒しすぎる、ということはけしてない。

 

 イルマなら、ここでエロウラを殺害した後でその死体と痕跡を完璧に消し去り、移り気なサキュバスがこの城から脱走したように見せかけることだって可能かもしれない。


 もっとも、そんなことをさせるつもりは毛頭ないが。 

 

「まさか本気で、ロン・アルクワーズから搾精するため、とはいわないでしょうね?」

「あらぁ、めちゃくちゃ本気だけどぉ?」


 エロウラは、下着からいまにもはみだしそうになっている乳房をぶるんっと揺らし、小首を傾げてみせる。


「アタシ、サキュバスだしぃ。それが仕事っていうか、存在意義そのものでしょぉ?」

「……」

「それに、《剣聖》になりたいのも本当よぉ。アタシは、サキュバスの中でも特異体質で、精を搾り尽くした男からその生命力だけでなく、身につけた技や能力もぜんぶ吸収できるのよぉ。だから、伝説の勇者ロンちゃんから精を搾り尽くせば、アタシはいまより格段に強くなれる。それこそ、《剣聖》と呼ばれるに相応しいくらいにねぇ……」


 サキュバスは淫靡いんびな狂気を宿した瞳で天井を見つめながら、ひとり身悶えする。


「まあでも、それがなかなかどうして、一筋縄じゃいかないのよねぇ……。正攻法でいってもロンちゃんには敵わないし、なんとか手を考えなくっちゃ♡」


 愉しげにいうサキュバスを睨んで、イルマは忌々しげに口を歪め、まもなく、ぞっとするほど冷たい声音で吐き捨てた。


「商会にたむろする如きが、本当に《剣聖》になれるとでも?」


 これ以上ないというほどの侮辱に、さすがのエロウラもその美貌から笑みを消す。

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