第二十三話 脱げ

 城から少しはなれた、森の中をはしる獣道。


「あの、その……本当に剣術を教えてくれるのですよね?」


 不自然に距離をとったまま後ろをついてくるアラナを振り返って、ロンは眉を寄せる。


「そうだけど?」

「でも……どうしてこんな、人目に付かない、悲鳴をあげても誰にも聞こえないような場所に来る必要が……?」


 警戒と、かすかな恐怖の色をにじませる少女をみて、ロンは肩をすくめた。


「君にを学ばせるには、ここが最適だと思ったからだ」

「ここが……?」

「アラナ。君はこれまで、あの城の中庭のような、よく整地された広大な空間でしか剣を振るったことがないだろう」

「ええ。それは、まあ……」


 困惑する少女をみて、ロンは言葉を続ける。


「だが、実際の戦闘は、たとえばこの森のように、野生の木々が密生していて動きづらく、足場も悪い場所で発生することも多々ある。このような場所で戦う時でも本来の実力が発揮できなければ、身につけた剣は本物とはいえない」

「なるほどっ、たしかに!」


 アラナは、感心したような顔で大きく頷く。


(うん。やっぱり、アラナはいいなあ……)


 ロンは、とはちがって、どこまでも素直で純粋な美少女を見つめて、やわらかく微笑む。


「納得してもらったところで、さっそくはじめようか。アラナ、まずは


 ロンが真面目にいうと、


「えっ、えぇえっ!?」


 少女は反射的に鎧の胸当てを腕で覆いながら、仰け反った。


「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそうなるのですかっ!」

「え?」

「たったいま、剣術を教えるといったじゃないですか! わ、わたしはっ、先生とをするつもりなどありませんっ! オリガやキヤとはちがいます! いくらあなたが伝説の英雄だからといって、女がみんな喜んで操を捧げると思ったら大間違いです! ああもうっ、感心して損しました! わたしと二人きりになったのは、結局それが目的だったんですねっ!」


 頬を染めながらしかめ面で喚く少女をみて、ロンは慌てて両手を振る。


「ちがうちがうっ! 勘違いするな! 鎧を脱いでもらうのには、ちゃんとした理由があるんだ」

「……ちゃんとした理由?」


 なおも疑いの目を向けてくるアラナをみて、ロンは頷く。


「君に、《天聖騎士剣術エクエスアーツ》を忘れてもらうためだよ」

「……? よくわかりません。どうして、己の剣を忘れる必要が?」

「アラナ、よく聞いてくれ。君が習得した《天聖騎士剣術エクエスアーツ》は、確かに素晴らしい剣術だ。マキシアの長い歴史によって磨き抜かれた剣技は、完璧に洗練されていて、まさに非の打ちどころがない。だが……、その完璧に洗練されている、という部分が致命的な欠点にもなり得るんだ」

「……どういうことですか?」

「一対多の長時間に及ぶ戦闘を想定した《天聖騎士剣術エクエスアーツ》は、あらゆる場面でもっとも無駄のない動きを選択し続けることで、連続する技の徹底した省力化と高速化を実現している。しかしそれは、言い換えれば常に教本どおりのを選択することしかできない、ということでもある」

「……」

「もっとも無駄のない動き──最適解というのは、当然ながら、あらゆる場面で常に一つしかない。そして、ということが事前にわかっていれば、次の動きを読むことはじつに容易い。……わかるかい? これが、《天聖騎士剣術エクエスアーツ》の、最大にして唯一の弱点。君の剣術は、んだ」

「っ!」


 愕然とする少女を見据えたまま、ロンは続ける。


「戦う相手がモンスターなどであれば、この弱点は問題にならない。相手がこちらの動きを読んでくる、なんてことはないからね。だが、相手が自分と同等以上の実力者であった場合、この弱点は致命的となる。《天聖騎士剣術エクエスアーツ》を極めた君は、《天聖騎士剣術エクエスアーツ》を極めたがゆえに敗北することになるんだ」

「だから、わたしに己の剣を捨てろ、と……」

「そうだ。君が《剣聖》になるためには、どうしてもそれが必要なんだ。騎士の鎧を脱ぐことは、そのきっかけづくりだよ」

 

 いまのアラナに必要なモノ──それは、戦闘における思考の柔軟性と独創性だ。

 マキシア騎士の象徴ともいうべき重い鎧を脱げば、型に囚われない自由な発想と動きを身につけられる、とロンは考えたのだ。


「…………」


 しばし難しい表情で足元を見つめていたアラナは、やがて、意を決したように顔をあげ、頷いた。


「わかりました。鎧を脱ぎます。ただ……」


 少女はすぐにふたたび視線を逸らせて、口ごもる。


「その……下に着ているシャツの生地が、薄くて……」

「あっ、もしかして肌が透けちゃう?」

「いえ、透けることはないのですが、その……胸の、ふ、ふたつ……、浮き出てしまう、というか……」

「あっ」


 少女の言わんとすることを理解したロンは、


「それは心配しないで。ほら、俺はこうしてるから」


 すぐに両眼を閉じて、腕を広げてみせた。


「オリガにみせたのと同じ能力を使うのですね」

「そうだ。視覚を遮断した状態でも、俺は君より強いからね」

「はっきり言いますね……」


 悔しげに呟いたアラナは、ふと、何かを思いついたように眉をあげて、笑った。


「では、こうしませんか? わたしがもし先生から一本取れたら、先生はわたしのお願いを何でもひとつ聞いてください」

「ああ、いいよ」


 ロンは余裕たっぷりに答える。


「でも、そのかわり、俺が一本取ったら俺の願いをひとつ聞いてもらうからな」

「えっ……」

「そうじゃないと、フェアじゃないだろ?」

「……それはダメ、です」


 アラナは、困ったような顔で上目遣いしながら首を横に振った。


「ダメって、何でだよ?」

「だって……先生は絶対わたしにエッチなお願いをするじゃないですか」

「はぁっ!? そんなことしないよ!」

「信じられません! わたしは、先生がウィナやオリガにさせてるところをこの眼で見てるんですからっ!」

「いやっ、だからあれは誤解だって! 君にエロいお願いなんてしない! というか他の誰かにもしない! 絶対しないからっ!」

「本当ですか……? 胸をちょっと触らせるだけ、とか、チラリと見せるだけ、とかもダメですよ?」

「わかってるって! ちょっとは信用しろよお!」


 情けない声でいうロンをしばらくジト目で睨んでいたアラナは、やがて、ため息をつき、


「わかりました。先生を、信じます」


 いかにも不承不承という調子でいった。


「では、鎧を脱ぐのでもう目を開けてはダメですよ」

「わかった」


 まもなく、白銀の鎧を脱いで、薄いシャツとショートタイツのみの姿となったアラナは、己の豊かな胸を見下ろして少し恥ずかしそうにしながら、いった。


「……脱ぎました」

「よし、じゃあいつでも来い。全力でな」


 ロンが片手でひょいひょいと手招きすると、アラナは気を取り直し、ぶわり、と全身に清冽な闘気を纏わせた。

 そのまま、腰の剣を引き抜き、


「いきます──」


 呟いて、跳躍。

 森の獣や鳥たちが物珍しそうに見守る中、二人の真剣勝負がはじまった。

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