第48話 先導者
山を下り、最寄り駅に到着した頃には日は完全に落ちていた。
無人駅に近いホームで、ひとり電車を待っていると、バッグに入れっぱなしのスマホが振動した。
着信の主は誰なのか察している。
『課長、もう皆飲んで待ってますよ――@乞田エミナ』
今日は新生内部監査部の新年会。
中途社員のお披露目も兼ねて、水野部長が企画した。
新しく生まれ変わるこの内部監査部に中途入社するぐらいだ。きっと、まともな人間ではない。文字通り外面だけが人間の、人間ではない何かに魂を根こそぎ奪われた者に違いない。
彼らと打ち解ける気もないため、欠席で返事をしたはずだが、エミナはそのことを忘れている。いや、むしろこれが平常運転か。いつまでも、どこまでも、きっと死に至るまでつきまとう。
なまじメッセージを確認したために既読になってしまった。
どうせ、何度も何度もしつこいぐらいに催促のメッセージが届くはずだ。
私はいつかあの女を殺してしまいそうで怖い。
電車に乗り込み、流れる景色を漫然と眺める。
山間に広がる田んぼ、畦道、ロードサイドのスーパーに商店。
そして、黒い闇に反射した私の顔。
疲れた表情をしている。
最近、仕事を自宅に持ち帰ることも多くなった。
そういえば、最近外に出る気も起きずに、土日も家に引き籠っている。
両目に隈まで確認できた。
もがけばもがくほど彼らから馬鹿にされているような気がして、胃がむかむかしてくる。
――どんな状況であっても、問題ないと保証して欲しいんだ。
まるで、そう囁かれているようだ。
馬鹿にされている。
私は馬鹿にされているのだ。
気色悪い未来に対しての不安、恐怖といった感情より怒りが勝っていく。
ふつふつと芽生えた熱は全身に漲っていく。
そうだ。この感情だ。
これこそが、私が今まで正常にやってこれた感情なのだ。
理不尽な運命に抗うことこそが、私を私たらしめる原動力なのだ。
そう思い、乗り換えのターミナル駅に着くと、すぐに電話をかけた。
今すぐに、この感情をぶつけなければ。
私の怒りが伝播したのか、その相手はすぐにでた。
「もしもし、どうしたんですか? 突然有給を取ったりして」
水野部長だ。
いつもと変わらぬ淡々とした口調だが、アルコールが入っているのか、いつもより少しだけ陽気な声音がして吐き気が催す。
「もしかして、今から参加するってことですか?」
あはははは――
え――っ、そうなんですかあ――
通話越しにエミナや新人であろう者の笑い声が聞こえた。
呑気な誘いに反吐がこみ上げた。
一体全体、どんな思考回路をしたら、こいつらと親睦を深めようと思うのだ。水野部長は一体どんな意図をもって、こんな会を開催しようと思ったのか。何も考えてないなら、まだマシ。もっと深い悪意をもって、私たちを一蓮托生の鎖で繋ぐための盃にしようとしているのなら最悪極まりない。
「水野部長、あなたは頭がおかしいんですか?」
「んん、どうしたの急に」
「あなたがやろうとしていることはまともじゃない」
「ちょっと、いきなりどうしたっていうんですか。何かあった――」
「今日、秋山君に会いました」
一気に核心に触れた。
「彼から全て聞きました。当社がどのように悪意をもって、新事業を進めているのかを。そして、その異常な事業を保証していく段取りや、その事業の生贄になった者達が行き着く末路を」
「あ――、そうなんだ。それは、来週にでも詳しく聞こうか」
「いえ、結構です。私はすぐに辞表を出します」
「ええ、それはいきなり困るよ」
「馬鹿じゃないの? 全てを知って、この会社に残る必要性がどこにあるのよ。それに、私は不正の片棒を担ぎたくない。あなたは私に異常な事態でも保証をし続けろと、そう言ってるんですよね」
「いや、不正って、何の根拠があってそんなことを」
「根拠? そんなものないわよ。でも、私は確信している。例え、全貌が何も見えなくても、確実に破滅に向かっていることを」
「いやいや、根拠もないのに何で断定できるんですか。小雪さんらしくない。証跡も何もないのに、まずは一旦落ち着いてよ」
「十分、落ち着いてるわ。これ以上、ここで議論を続けるつもりもない。ただ、一点だけ確認させて」
「確認? 何を?」
すううと大きく息を吸い込み、ぐっと腹に力を込めた。
「あなたは、どっち側の人間なの?」
この問い掛けに、彼は答えなかった。
通話越しに静まり返る空気と反比例して、雑踏が私の心をかき乱していく。
耳元でふっと乾いた笑い声が聞こえた。
「小雪さん、人には役割というものがある。僕だって、社長だって役割を理解している」
「はあ? なに、その返し」
「私はね、鼻が利くんだよ。ただ、それだけなんだ」
「何が言いたいんですか」
「君をリクルートしたのは私だよ。入社後すぐに内部監査にくるなんて疑問に思わなかったのかい? 小雪さんは私の初めての仕事なんだ」
「私をあいつらと一緒にしないで」
「そうだね、違うね。小雪さんはもっと上位の存在だよ」
「上位?」
「新しい世界の創造には三つの要素がある。仕組みを作るもの。仕組みを推進するもの。仕組みを保証するもの。君は生まれた時から選ばれた人間なんだよ。覚えてないんですか。皆が君が決めるのを――」
思わず電話を切った。
焦ったのか、そのままスマホを落としてしまった。
行き交う乗客によってスマホが踏みつけられる寸前で、それを拾った。だが、その手から再び滑り落ちそうになる。
汗だ。
手に尋常ではない汗が噴き出していた。
手が震える。息も荒い。
恐ろしい程の速度で心臓が動き、視界が狭くなる。そのまま蹲りたい。
この地面がどこまでも沈んでいくのなら、いっそ私は果ての無い底へと沈み込みたい。
エミナの正体を初めて理解した北関東工場からの帰り道。
心を搔き乱すように揺れる車内で、彼女は確かにこう言った――
この世には、人智を超えた世界が平行しているんですよ。
そこは、一般的には霊界や異界と表現される場所なのかもしれません。
基本的に二つの世界は交わりません。
多くの人は先輩のように実態が見えないし、何にも触れられない。
ですが、二つの世界が見えてしまうものもいるんです。
この世には一定の割合でこの世の理から外れるものがいます。
彼らは理解できない夢を見て、未知の存在に怯え、徐々に二つの世界の区別がつかなくなります。
やがて、違和感が生まれます。
自分はこの世界の住人ではないんじゃないか、と。
そして、別の世界への入り口を求めて、心を亡くして彷徨う。
なぜでしょうか。
環境のせいでしょうか。
ミステリー小説のように、必ず理由があって解決できる現象なのでしょうか。
わたしはそうは思いません。
これは、特別なものにだけ起こるわけではないと思うんです。
人間――いや、全ての存在に仕組まれた遺伝的な要因ではないかと思います。
もしかしたら、増え過ぎた人口抑制のため遺伝的に仕組まれた罠ではないかとも思います。
忘れてください、勝手なわたしの妄想です。
ただ、一言言えるのが――
わたしたちは元の世界からはみ出て、彷徨っています。
だから、わたしたちは仲間が欲しいんです。
誰でも一人は寂しいですよね。
それは、わたしのような存在も同じです。
安息の地を作ろうとしています。
どうやったら逸脱したものたちを融合できるのか。
ありとあらゆる手段が考察され、実行されて、成果が出始めてます。
これは本能でしょうか。
理由はわかりません。
ですが、大いなる意志により、二つの世界を融合しようと心が疼くんです。
どうしようもないぐらい。
この身を焦がす程に。
でも、私にはその力がありません。
役割も与えられていません。
見えない大きな歯車の中にいます。
その導き手は、生まれた時から、なんらかの意志により祝福を受けたものたちです。
早く、私たちを導いて欲しいんです。
先輩はその資格があります。
私は化け物じゃない。
決して化け物にはならない。
この世にいてはいけない存在だとしたら、どうすればいい。
妹は私の犠牲になったんだ。
妹と同じく生まれた時から逸脱したはずが、私は今もこの世界に留まり、妹は死に誘われた。
ああ。
私は。
それならば、いっそのこと自ら――
そんな感情に支配されそうになるのをぐっと堪えて、立ち上がる。
ホームのアナウンスが次の電車の到着を知らせる。この前遭遇した人身事故を思い返した。きっと、安全塀を乗り越えて線路へ飛び込んだ人も、逃れられない負の感情に乗っ取られたのだろう。絶望から逃げる僅かな光さえ見つけれなかったのだ。
私は――違う。
物語はクロージングへ(残り2話)――
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