第40話 異民族
世の中には見えるものと見えないものがある。
見えないものは何も心霊現象や超常現象といった怪異の類だけではない。それこそ、電子顕微鏡を使用しないと肉眼では見えないウィルスなどが存在する。
風邪はウィルスによって引き起こされる。代表的なものでいうとアデノウィルスやコロナウィルスといったものであり、様々な種類がある。風邪とは主にウイルスで起こる上気道炎のことで、そのウイルスを特定することが困難な場合に風邪と呼ばれる。
風邪には特効薬が作れないそうだ。
ウィルスは構造上シンプルであるため変異も多い。弱点に対処し辛く、免疫もでき辛いので何度も繰り返す。そのため、風邪は治すのではなく対処する、というのが正しいそうだ。自己免疫によって自然治癒するか、対症療法を行うか。
そして、風邪は完全に防ぐことは出来ない。
環境の変化やその時の体調、ストレスによって状況は変化する。ウィルスは生命の弱みを見つけて入り込む。
案外、私を苦しめる見えないものの正体は、こういう類なのか。
科学が極限まで進歩して、あらゆるものを電子の力で見えるような機械が作られたら、その正体が全て判明する日が来るかもしれない。それまでは、そんなことを考える必要もなければ、理解する必要もない。そもそもが理解できないものなのだ。
理解しようと思った者から、真っ先に見えない闇に飲み込まれていく。
妹も。
秋山君も。
もしかしたら、乞田エミナも元々は真っ当な人間で、完全に闇に飲み込まれた成れの果てなのかもしれない。
私は彼らのようになりたくない。
*
四月一日。早朝。
不穏な兆しが訪れる。
新年度に変わると、徐々に内部監査部の組織は変貌していった。
エミナは初めての監査が認められ、今年は多くの件数を担当することになった。今まで、私がやっていた業務の全てが彼女に引き継がれていき、代わりに私は表舞台から裏方に回ることになった。
私は管理職として部門間調整や監査計画の立案、部下――といっても今のところエミナ一人だけだが――のコントロールをしていく役割を与えられた。
エミナの異常なほど私に執着する奇妙な性質は何も変わることはない。
先輩、先輩から、
課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長、課長―
そうやって毎日、神経を逆なでていく。
水野部長は今年に入り、リクルート活動を強めている。
上期中にあと二人増員する計画であるという。
彼曰く、その候補者もエミナ同様、いい匂いがするそうだ。
つまり、異常なものが見える人間。
いや、それだけではない。
見えるだけではなく、得体の知れない何かに肉体を乗っ取られた人間も視野に入れたリクルートを計画している、ということだ。
――これから、内部監査部は生まれ変わった組織になる。
新生内部監査部は、得体の知れないものを可視化して、リスクマネジメントを推進していく。その推進者がエミナを初めとする異常な監査人たち。唯一「普通」であった柳生さんは定年を迎えて、既に会社を去っている。独身貴族だったこともあり、群馬で気ままな隠遁生活を始めているらしい。
「課長、この前、往査に訪れた●●●●も問題ありませんでした」
そう高らかに宣言するエミナの目は凄まじい程生き生きとしていた。日に日に自信に満ち溢れていくのがわかる。監査技術も人間性も一切認めてないのに、圧倒されている。
この私が。
私は何もかも納得していない。
異常な監査人が保証することの無意味さを。
過去から現代に至るまで。
異民族に支配された国というのはこういう感覚に陥るのだろうか。
全く相容れない異なる民が、自らの正当性を担保するため、適切さを保証する。
支配される側は徐々に変質していく。
今まさに、エミナのような異民が監査を遂行している。
全てはあの時、水野部長が予告した通りになっている。
もうすぐここは、異常なものたちを結集させた不気味な組織に完全に生まれ変わる。
そして、そのどれもが私のような見えない人間には、その是非が問えない。
彼女の適切さが見えない。
見えないものを保証している。
いつからだ。
ずっと悪い夢を見させられているようだ。
一体、私は何の組織に所属しているのか。
ああ、そうだ。
何で私はこの部署にいるんだ。
経理で採用されたはずが。
いつの間にか。
――わたしはね、実際のところ見える人間ではないんだ。ただね、鼻が利く。
私も見えないものが見えるようになればいいのに。
そうしたら、妹の結果を覆せたのだろうか。
ああ、それにしてもお腹が減ったわ。
いっそ人間なんて機械になればいいのに。
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