第39話 問題ない

【対象先は業務に支障を及ぼす重要な問題点は認められなかった】



 つまり、対象先の業務遂行の適切さが保証された、ということだ。

 監査人、乞田エミナによって。

 咄嗟に喉元に突き上げた違和感をぐっと堪えて、まずは耳を傾ける。


「それでは詳細をご説明します――」


 その瞬間、すっと室内の温度が下がった気がした。


 エミナは時に流暢に、時に堂々と、監査結果を報告していく。意外にもその監査技法は基本に則ったものであり、報告を聞いているだけでは特に問題点は見つからなかった。会計、資産管理、労務管理、仕入れ、購買プロセスなどなど、準拠性に則りPDCAが正しく行われているか確認している。

 未熟さはあるにせよこの女の業務遂行は適切だ。


「先輩のOJTのおかげでなんとか監査遂行できましたっ」

「流石、小雪さんですね」


 二人がにこやかな目で私を見ている。

 吐き気がする。


「ここのリスクはなに?」

「強いてあげれば、天災の備えぐらいでしょうか。最近、大きな地震があったみたいですし。仕入れがストップしてしまうと大変です」

「そうじゃないわ」

「といいますと」

「私は水野部長から全て聞いている。ここに見えない何かがあるのかってことよ。組織図を見ると、今年に入ってずっと休んでいる人が何人いるわ、こんな管理系の地味な部署なのに人の出入りも多い。病欠扱いの人は大丈夫なの」


 エミナは一瞬冷めた目をした。

 そのまま舌打ちするように水野部長に目をやる。

 水野部長は微かに微笑む。

 その笑顔にどんな意味があるかは知らない。

 エミナは一度深呼吸をして、私の質問にこう答えた。



「大丈夫です」



 ですからご安心下さい、と。



 その言葉に合わせるように窓から眩しい光が射し、エミナに後光がかかる。

 それは異常なほど神々しく、現実離れしているかのような光景だった。

 その姿を見て、私はとてつもない不安に襲われた。

 彼女はゆっくりと口を開く。



「ここは問題ありません」



 再び後光が差す。



「問題ないって……」



 内部監査には大きな落とし穴がある。


 善悪の根拠となる法令や規則、プロセスが存在していても、その有効性を評価するのは監査人ということだ。


 つまり――


 その監査人に問題がある場合はどうなる。



「ここは全く問題ないものと思います」



「休んでいる人は? 産休でもないし、事故や病気の類じゃないし」

「単なる職業アンマッチじゃないですか」

「昨日今日採用された人間でもないんだから、職業アンマッチなんてありえないでしょ」

「先輩、その人の心の内側までは監査の範疇ではありません」

「それはそうだけど、心の内までおかしくさせる何かは本当になかったの?」

「大丈夫です。問題ありません。逆に少ない人員で生産性も向上しています。生産性向上は人件費と密接ですし、経営陣も喜ぶと思います」


 問題がある監査人が問題ないと保証することに、どれほどの意味、価値がある。

 なぜ、人かどうかも定かではない者が、問題ないなど自信を持って言える。


「――っ」


 ここで、先程から感じていた違和感の正体に気付いた。


 彼女の視線だ。


 さっきからしきりに顔を動かして、自信を持ってプレゼンしている。身振り手振りを交えて、初めての監査で緊張したことや、苦労したこと、案外自分は向いているかもなど冗談を交えながら、今回調べた詳細を得意気に説明していく。

 だが、その視線は、私たちだけに向けられたものではなかった。しきりに顔を動かし、まるでどこか別の対象にも視線を送っているようでもあった。


 あたかも大勢の人間がそこにいるかのようで。

 やがて、その目は。

 私の後ろに固定され。

 じっと後ろを見つめて。


 一気に心臓が跳ね上がり、勢いよく立ち上がり振り返った。


「先輩、どうかしましたか」


 そこには誰もいなかった。

 ありきたりなキャビネットが並んだ壁面が見えるだけだった。

 鳴りやまない鼓動を強引に押さえ込み、水野部長を見下ろす。


「私は見えません」


 語気を強めて、もの凄い嫌悪を込めたのだが、この問いに二人は何も答えてくれなかった。ただ、驚く程拍子抜けしたように「どうしたんですか?」と口をすぼめていた。


 怒りに身を任せて、振り返らずにドアを開けた。

 一体、私はどんな組織に所属しているというのか。

 悪趣味な冗談に付き合ってられない。



 こんなアシュアランス、私は到底理解出来ない。



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