第六章 異民

第36話 社会の罠

 東京支店の西山支店長が死んだ。


 通夜と告別式の案内が、人事部から事務的に発信されていた。齢五十五歳。まだまだ働き盛り。円熟期を迎え、責任ある立場として皆を牽引していくはずだった。

東京支店は秋山君と最初に往査した場所だ。


 私の周りではよく人が死ぬ。


 北関東工場の往査から一か月が経った。


 会社は決算に向けて慌ただしい。ヒトもモノもカネも一時も休まず働き続ける。

先週は季節外れの大雪で首都圏の交通網が麻痺したニュースで持ち切りだった。汚れた大気で黒ずんだ雪が、街も私の感情も、全て覆いつくしていく。


 依然として秋山君の行方は知れない。

 代わりに籍を埋めたのが乞田エミナだ。


 水野部長からリクルートされて転職してきた女。

 先輩先輩と、不気味なほど私のことを慕ってくる女。

 ヒトかどうか定かではない女。


 北関東工場のあと、会議室で水野部長に彼女のことを問い詰めた。当初、水野部長はバツが悪そうに誤魔化した。彼女は監査未経験な部分があるから、そこは小雪さんがOJTで対応して欲しい。そんなことを言われた。論外も論外。仕事がどうとか、教育がどうとか、私が聞きたいのはそこではない。


 彼女は性格や態度、そういう次元の話ではない。


 文字通り、人としておかしい。


 この投げ掛けに水野部長は眼鏡の奥の瞳を光らせた。


「乞田さんは見える人なんだよ。だから、そこは色んな言動が気になるかもしれないけど、秋山君と同じだと思って接して欲しい」

「秋山君と同じ? 最初から水野部長は秋山君の体質を知っていたの?」

 思わず食ってかかると、水野部長は驚く程冷淡にこう答えた。


「私はね、内部監査部を別の組織にしたいんだ」


「は? 何のことですか」

「わたしはね、実際のところ見える人間ではないんだ。ただね、鼻が利く。秋山君も、乞田さんもいい匂いがした。そういうのに精通した人間を選ぶ力がある。ただそれだけなんだよ」

「ちょっと待って、私の質問は――」

「目的から話した方がいいかな」


 水野部長はテーブルに両肘をつくと、顎を乗せて目を据えた。普段、飄々とした食えない態度とは違う。無防備な心臓を鷲掴みにされたような居心地の悪さだ。これが、彼の真の姿なのか。


「わたしはね、この内部監査部を特命監査部隊にしたいと思っている」

「特命……。阿場多社長から、何か言われてるんですか」


 この問いに、水野部長は頷くことも否定することもしなかった。


「内部監査の機能は保証と提案だが、第一義として保証がある。対象先の業務プロセスを保証することで、ひいては会社全体の保証(アシュアランス)に繋げる目的がある。小雪さんは、保証の根拠はどこにあると思う?」

「規程です。そして、リスクに対するマネジメントの有効性です」

「そうだ。大きくはその二つで間違いない。だが、その二つは決定的に違う点がある。それは何だと思うかい」


「見えるか、見えないか、です」


 水野部長は満足したように頷いた。


「ルールに基づく活動は全て可視化され、逸脱があれば遅かれ早かれ露呈する。だが、リスクというものは何をリスクと捉えるかによって、如何様にも左右される。決められたプロセスに準拠した活動とは別次元の話だ。見えないものは可視化して、初めて認知される。その認知されたリスクに即した対応をすることで、強固な仕組みが構築される。だが、ここに大きな落とし穴が潜んでいる」


「見えないものを、どうやって可視化するか、ですか」


 再び問われる前に、彼の云わんとしていることを先読みしていた。

 それは水野部長に答えているようで、自分自身に戒めとして言い聞かせているようでもあった。


「きみには正直に伝えるよ。はっきりいって、規程の準拠などは小さな問題だ。時には、企業の不祥事に繋がる事案が発生したにしても、可視化されたものは対処も出来るし、今後の対策も思いつく。だが、可視化できない異常事態は、小さな綻びで破滅に至る。結果だけが見えるだけで、原因も過程も何もかも見えない。見えないものは時にそれは意志をもって顕在化していき、人に害を成していく。そう思わないか? 君なら――」


「わかりません」


 きっぱり答えて、今度はこちらが目を据えた。

 過去の記憶に苛まれる私の態度を見透かしたように、水野部長は一つの事実を告げた。


「西山支店長は車が往来する大通りに導かれるように突っ込んだ」

「え……」

「トラックに跳ねられて即死だった。聞いた話では、肺が胸から飛び出していたそうだ」


 思いもよらない死因に絶句する。


「その日、西山支店長は子供の誕生日だったそうだ。残業もせず、帰りがけに誕生日プレゼントを受け取って帰ると、周囲に語っていた。だが、彼はそうしなかった。ここ最近、彼はおかしな言動が続いたようだ」

「おかしな……」

「連日、大会議室を借り切って、朝から深夜まで一人で籠っていたようだ。不審に思った事務員が聞き耳を立てると、中から笑い声や怒鳴り声、さめざめとすすり泣く声が聞こえたようだ」


 これを見たまえ、と水野部長から資料を受け取った。


「これは……」


 それは奇妙な資料だった。


 エクセル上にずらりと名前が並んでいた。それは東京支店の社員だけでなく、知らない人間の名前もあった。エクセルシートに対応するように、人物の横に日付、何かを現した数値が並ぶ。そのどれもが支離滅裂で、文章は破綻していた。


「西山支店長のパソコンからこのような資料が見つかった。更新履歴を見ると、死ぬ直前までこの資料を作成してようだ」

「企画書……、いえ、何かの計画書?」

「小雪さんの監査報告書では東京支店は何も問題ないと保証されていた。確か、小雪さんは秋山君と一緒に訪れたはずだ。担当直入に聞くが、君は見たのか?」


 その問いに私は瞬時に答えることができなかった。


 ――いつか何かが起きそうで怖いんですが。


 秋山君が恐れていたことが、最悪な形となり顕在化してしまった。

 水野部長は冷淡にこう告げた



「表も裏も、あらゆるものが見える人間が必要なんだ」



 この瞬間。

 がちゃりと、重たい鎖で両足が繋がれたような音が聞こえた。

 何の了解もなく、勝手におぞましい契約を結ばされた。

 逃げられない社会の罠に嵌められた気がした。



「秋山君は全て知っていたんですか」

「いや、彼は知らない。ある程度監査の基礎がわかり、独り立ちしてから伝えようと考えていた」


 分かってはいたが、今更ながら憤りを感じた。

 どうやら、この目的を知っていたのは、水野部長と乞田エミナだけらしい。彼女にはリクルートの段階で、この目的を伝えていたようだ。

 ふざけた話だ。なぜ、あの女には伝えて、私には問い詰めるまで教えてくれなかったのか。水野部長曰く、あくまで私は客観的な視点から保証の可否を与える役割があるため、あえて何も知らせなかったらしい。では、柳生さんはどうかと言えば、端から戦力と見做していなかったそうだ。柳生さんを最後に、うちは定年間際の元部長といった肩書だけの人材は受け入れないと明言した。


「乞田エミナは、水野部長が期待する人間でありませんよ」

「監査の手法は徐々に理解するから大丈夫だ」

「そうではありません。彼女は、見える、見えない、といった範疇から逸脱しているのではありませんか」


 つまり――と息を呑み、意を決して言葉に出した。



「既に、見えない何かに乗っ取られた人間かもしれませんよ」



 この告白に、水野部長は一瞬だけ視線を逸らした。暫し遠い目をして考え込むが、彼なりのロジックが成立したのか、大きく息を吐き、不敵な笑みを見せた。



「監査上、何も問題はない」



 予想外の回答に、息が詰まる。



「問題ないってあんた馬鹿――」


「逆にそれだけ、異常な事態に精通しているのはいいことなんじゃないか。相手を知るのは、監査遂行の基本となる。それだけ、彼女は即戦力に近いということだ。我ながら、いい人材をリクルートしたもんだ」


 水野部長は絶句する私を無視して、力強くこう宣言した。



「これから、内部監査部は大きく生まれ変わる」




 第六章「異民」開始――


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