第28話 夕飯
ビジネスホテルにチェックインする前に、駅前で見かけた吉野家に入った。店内は仕事帰りの会社員、お腹を空かせた学生で賑わっており、少し待ってからカウンター席に並んで座った。
私は牛丼の徳盛りと豚汁を注文。
エミナも牛丼の徳盛りと豚汁を注文。
彼女が何を注文するか予想はついたけど。
甘じょっぱい香りが食欲をそそり、嫌味を先に言う。
「別にメニューまで合わせる必要ないわよ」
「いえいえ、わたしもお腹減ったので徳盛りにしました。なんだか最近妙にお腹が減るんですよねえ。先輩、結構夜は食べる派ですか? それとも控え目派ですか?」
「徳盛り注文している時点で、控え目派じゃないことぐらいわかるでしょ」
「そうですよねえ」
にこにこにこにこ――
嫌味なのか素で能天気なのか。屈託の無い笑みを横目に、半ば呆れ顔で箸を取る。カウンター席は実にいい。相手の顔を見なくていいし、なにより食べることだけに集中出来る。 食事っていうのは案外重要だ。相手に無防備な姿を曝け出すことで、相互牽制からなる信頼関係を構築する。太古の昔から、人がまだ獣であった時代から何も変わらない原則。
私は彼女に心を開いていない。
だからカウンター席はいい。
そう言えば、こうやって誰かと並んで食べるのは秋山君以来か。
彼は今どこで何を――
「先輩は紅ショウガ好きですか? 少し、それとも多め――」
「あのね、何でもかんでも訊いてくるけど、そんなに私に興味あるの?」
「ん――」エミナは暫し考えて、真っ直ぐな瞳で「はい」と答えた。
「あっそう」
ここまでくると呆れを通りこして不気味にすら感じる。下手すればストーカー一歩手前ではないか。最近の若い子は皆、こうなのだろうか。こうやって親睦を深めようとしているのか。内部監査部は定年間近のおじさんたちの巣窟であったため、違和感がもの凄い。ただ単純に私の免疫がないってだけなのか。
「私のことより、往査初日の感想はどうだったの」
「歓迎されていないだけで、これといって大きな問題があるとは思えませんでした。先輩はどうでしたか?」
「まあそうね。小さな逸脱や不備はあるけど、初日はね」
そう言って豚汁に手を伸ばす。甘い脂が脳を活性化させ、頭の中で一日の動きを振り返った。場内の様子や5Sの状況を視察しながら、専ら管理面の確認に終始した。確かに、彼女の言う通り、見た目上は大きな問題は起きていない。ただし、それは今日に限った監査での話だ。帳簿や現物確認の最中、場内の雰囲気を思い出す。行き交う工員、事務員、皆覇気がない。どこにでもある工場勤務の様子と言えばそれまでなのだが、ここは今年に入り離職率が高まっている。人の出入りが激しくなっている。
明日以降、北関東工場は監査の本番というところか。
先輩、先輩、先輩――
ああもう。
何かを思い出すたびに、エミナの顔がよぎる。
頭の中に、彼女がどんどん浸食していくようで息が詰まる。
「さっき、含みを持たせた言い方でしたが、先輩は気になる点があるんですか?」
さらっと流したつもりだが、彼女は引っかかったようだ。牛丼をかき込みながら、「別に深い意味はないわ」といなすが、これまた引っかかったようだ。
「でも、初日ってことは、明日以降何かありそうとか、そういう意味に聞こえたので、わたしも気になってしまうんですが」
続けていつものように、先輩、先輩と鬱陶しく絡み始めてきた。
思いっきり無表情で接しているのに、彼女は一向に気付いてくれない。頭の中で湧いた糸くずが脳を蝕むような、何とも言えない気分になる。
「仮にも私たちは監査だから、こんな場所じゃ説明しにくいわ」
周りを見なさいと首を左右に動かす。混み合った店内。続々と客が訪れる。回転率が命の牛丼チェーンで長居したいのか、と暗に諭す。
「じゃあ、先輩の部屋で一緒に確認しませんか」
「つっ――」
四六時中冗談じゃない。
半ば追い払うように、「定時以降は仕事しない」と言い放ち、ささっと会計を済ませてホテルに向かった。
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