第27話 質問魔
北関東工場の往査初日は終始自分のペースを乱されたままだった。
何かにつけて、エミナが質問攻めにしてくるのだ。
質問する相手は、工場側に対してではない。
私に対してだ。
「先輩、会計ってどのような観点で確認すればいいですか?」「労務はどの辺が重要なんですか?」「稟議書って確認する範囲はどこまでですか?」「原価管理は?」
ある程度のOJTは覚悟していたとはいえ、ここまで何でもかんでもでは、こちらもうんざりする。個人的に彼女は気に食わないが、完全に無視するわけにはいかないので、一つ一つ端的に説明していくが――
先輩、衛生委員会議事録って。
先輩、環境監査報告書って。
先輩、固定資産記録って。
先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩、先輩――。
キリがない。
傍らにいる工場側の担当者も、この様子にどこかにやにやしていた。事務的に質問に答えるだけで、積極的にこちらに絡もうとはしない。我々から物理的な距離もとって、傍観者に徹している。
勝手にやれってところか。
その後も空気を読まないエミナの質問は続いた。
こちらは段々と引き攣った表情になっていたはずだが、彼女は臆することなく質問魔と化していく。執拗な質問攻勢に呑まれて、あっという間に夕刻を迎えた。
初日は資料の確認が中心のため予定通り完了したが、終業のチャイムが鳴ると、なんだかどっと疲れが出た。両肩が見えない大男に押さえつけられているような気分だ。
気分が沈むと肉体も沈む。
能天気なエミナを無視して、トイレに駆け込むと、眩暈が襲う。胃腸が熱で渦を巻いていた。脂汗が滲み、暫く喘ぐ。気分を落ち着かせた後、会議室に戻ると、エミナは早くも帰り支度を済ませていた。
「あなた、往査に行く前に勉強はしてきたの?」
ぽかんとした顔をされて、
「多少はしてきましたが、なにぶん慣れないもので興奮してしまいましたあ」
「多少って、監査手順や本ぐらい読んでるわよね」
「はい、先輩の過去の監査調書や報告書、計画書、出張記録、ダイジェストレビュー、監査証跡は全部目を通してます」
「いや、私のじゃなくて、一般的な監査手法に関する資料や本よ」
エミナは臆面も無く首を振り、読んでませんと言い放つ。
この返しに再び胃が熱を持ち、きりきりと痛み出す。
ストレスに強いと自認していたが、どうやら私は思った以上に繊細らしい。
この往査が終わったら水野部長にクレームを入れよう。そう決意した瞬間だった。
身内に邪魔されながらではあるが、指摘するところは過不足なく出来たつもりだ。何度も監査を実施しているし、そもそもここは稼働して間もない工場でもない。仕組みの不備は見当たらない。細かな逸脱に終わった。
腹が立ったのは、指摘する度に担当者はエミナに助けを求めるような仕草をしたことだ。ここの主査は高城小雪で、あの子は形式上監査担当者ではあるが、事実上何も出来ない素人。そんな素人に助けを求めること自体が腹立たしい。
私はやり過ぎだと言われても構わない。往査の後、厳し過ぎるとクレームを入れられることは何度も経験してきた。きっと、後で水野部長に文句を入れられるに違いない。だが、それが彼らの為だと信じるしかない。
「無事初日が終わりましたね。先輩の指摘は勉強になりますっ」
「無事ね……」
傍から見ればそうかもしれない。
だが、本当にそうだろうか。
ここは昨年に比べてあることが気になっていた。ホテルに帰り、初日のまとめをしながら、もう一度確認すべき点を整理しなければ。
外に出ると辺りは真っ暗だった。当然人通りもなく、トラックの影も見えない。見上げても分厚い雲に遮られて月光は届かない。今日は最後まで晴れることはなかった。工業団地はだだっ広い平地であるため、ビル風ならぬ工場風(私が呼んでるだけだが)が強く吹き抜ける。
乾いた、冷たい、冬の風。
ポイ捨てされたゴミ袋が舞い上がり、ばさばさと私の髪を鬱陶しく揺らす。
気のせいか背後に佇む工場から、微かに何かの匂いが漂ってきた。臭い、とかではなく、それはほんの僅かな嫌な匂い。排気用ダクトは正常に機能しているのか、心配になった。
「ああ、いい匂い」
エミナはそう言うと、満面の笑みでこう言った。
「お腹減りませんか? どこで夜食べますか?」
ここが日帰り出張の範囲内なら、どんなに良かったことか。今日は効率面から宿泊の予定でスケジュールを組んでいる。ここは実に中途半端な距離だ。
「コンビニじゃ足りませんよね。ファミレスですか? 居酒屋? お酒とか飲みますか? 洋食? 和食? 中華でもいいかも知れませんね」
冷たい風に晒されて頭がズキズキ痛みだす。
眩暈を感じながら黙って聞いていると、求める正解がやってきた。
「案外、牛丼とかで軽く済ませますか?」
自分にしか聞こえないぐらい小さな腹の虫が鳴った。
仕方ない。
面倒なので、この提案に乗った。
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