第26話 不必要

 北関東工場は、ユニバーサル食品の主力品であるカレー、シチューを製造する生産拠点だ。


 国内生産拠点はこの他に九州に存在しているが、規模や研究棟も兼ね備えた施設でいえば、ここが最大になる。従業員は県内在住のパートの主婦が大半。設立後、事業拡大を通じて増築を重ねて現在に至る。


「本日から往査を担当する高城小雪と乞田エミナです。どうぞよろしくお願いします」


 工場長室で二人並んで挨拶をすると、磯貝工場長は席から立とうとせず、

「よろしくよろしく」とぶっきら棒に答えた。


 イラっとしながらミーティングに備えて、会議室に移動すると、エミナは荷物をテーブルに置き、軽くため息を吐いた。


「全然、歓迎されてませんねえ」

「まあ、こんなものよ。彼らからしてみれば、私たちは数ある監査の一つだから」


 工場は様々な監査を受ける。環境監査、品質保証監査、ISO監査、第二者監査、工場内部で構成された内部監査、そして私たち本社部門による内部監査。これらに加えて行政からの査察を受ける場合もあるため、年がら年中監査に対応しているといっても過言ではない。磯貝工場長が、私たちを見て、気の無い返事をする理由も頷ける。

 だが――


「それでも、礼に始まり礼に終わるってのは大事だけどね」


「まさに武道の精神ですね。先輩、もしかして昔、そっち系してたんですか」

「まあ……」と言いかけて、面倒な話が続くのが嫌なので、「少しだけね」と話を切った。

「かっこいい」


 案の定、鬱陶しい目を向けられて、妙な息苦しさを覚える。考え過ぎかも知れないが、この女の本心とお世辞の境目がよくわからない。彼女と話すと、なぜか自分が監視されているような居心地の悪さを覚えるのだ。


 黒目がちなその瞳。


 瞬きもせずにじっと見つめられると、心の内側を覗き込まれるようで気分が悪くなる。


「先輩、どんなのしてたんですか。空手ですか? 柔道ですか? 合気道ですか? もしかして弓道ですか? いや、薙刀? 少林寺拳法とかだったりして」


 こんな後輩に、なぜか。


 気を取り直して、ミーティングの準備に取り掛かると、続々と関係者がやってきた。奇妙なことにいつも以上に人が多い。会議室の外にまで人が溢れている。彼らは真剣にメモを取っている風でもない。皆、顔だけはこちらを見ている。相槌は打たず、時折にやにやする輩も見受けられた。


 気分が悪い。


 こちらが逆に監査されているようにも思えた。


 こいつら、何しに来たんだと。


 彼らは良くも悪くも監査馴れをしている。

 毎度のことだが、今年はその傾向が酷い。

 彼らからすれば、ある程度の仕組みの上で成り立っている業務にどんなリスクがあるんだと思っているに違いない。


 ではそこに何の問題も発生しないのかと言えばそうではない。


 必ずどこの世界にも仕組みから外れる人の感情がある。


 ちょっとした気の緩み、驕り、慢心、欲――


 そういった見えないものは強大で、一度動き出したら止めることができない。つまり、重大な問題が引き起こされるケースは、常に根本的に存在しているということだ。


 人の感情は目には見えない。


 だからこそ、ほんの僅かな不備や兆候にもアンテナを張り、可視化していく。

 見えないものを潜在化していくにはこれしかない。



 私は――同じ過ちを繰り返したくない。



 一通り説明を終えて解散になろうとした時――


「あの、わたしから少しいいですか」


 隣に座るエミナが突如、そう言い放った。


 まさか、彼女がこの場で何か発言するなんて想定していなかったので、嫌な予感に狼狽えてしまう。

 そして、悪い予感は的中する。



「内部監査は決して、皆様のお仕事のお邪魔はしません。もし、監査は重箱の隅を突くものだと誤解されていたら、それはわたしたちの本望ではありません。ご都合が悪い部分がありましたら何なりとお申し付けください。臨機応変に対処しますので、ご協力をお願いします。そうですよね、先輩」



「ちょっ」

 なにそれ。

 言い切ってやったと自信満々の笑顔に、絶句する。


 私の怒りとは反対に静まり返った会場の空気が緩み始めた。明らかに、エミナを見る目が好印象に変わっていた。磯貝工場長はわざとらしく「色々と事情を汲んで頂けると有難い側面もあるので、助かりますわあ」と言いのける始末。


 エミナは、にこにこにこにこと適当な相槌を打つ。


 あろうことか、その適当な笑顔を私にも向けてくるではないか。

 この女は場が温まって良かったですね、とでも言いたいのか。

 会議が終わり二人きりになると、彼女の前に立ち塞がった。


「ちょっと、どういうこと」


 彼女は自分が詰問された理由が分からないようで、目を丸くさせている。


「何であんな発言したの?」

「だって、明らかに会場が暗かったですし、皆、監査なんて受けたくないってオーラが凄かったんで……」

「あのね。ここの監査の主査は私だから。勝手に発言しないでくれないかしら」

「え! 何て言うか、わたしは先輩を助けようとしたんですよ」


「助ける?」なんだそれ。


「だって、全然歓迎されてないし、このまま監査が始まったら、先輩がやり辛くなるのが目に見えたんですよお」


「そんな配慮は必要ない」斬って捨てた後、「いい。相手も仕事だし、そういうのは分かり切った上でこの監査は成り立ってるの。それに、都合が悪い場合は臨機応援に対処するって、まるで相手に忖度して、不都合な事実を隠蔽することに加担しますよって、最初に公言しているようなものじゃない」


「でも、監査の目的は組織体の目標達成に役立つような価値を与えることじゃないですか。いたずらに現場を連れ回して、細かい準拠性を確認していくことは、あまり好まれないと思いますし、何より細かい指摘をされるって悪い印象を持たれるから、こちらは皆様の敵じゃありませんよって最初に伝えた方が、相手も心を開くと思うし――」


 とってつけたような監査論を聞かされて眩暈は加速する。


「彼らには彼らのやりたいことがあると思いますし、それを邪魔したくないっていうか、先輩も絶対そう思われた方が仕事も――」


 何かにつけて、私の為ということをアピールする、その口調、その考え方。

 何もかもこちらは望んでいない。


「決して、先輩の邪魔はしませんし、それよりもむしろ先輩のお手伝いを――」


 自分に非はないと云わんばかりに一方的に捲し立てられる度に、この空間が奇妙に歪んでいくようだった。


 先輩の為に。

  先輩の為に。

   先輩の――


私はこの女が益々嫌いになった。


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