第25話 北上

 一月下旬。


 一路埼玉を北上する。


 都市部を抜けて郊外へ向かっても、雑居ビルが新旧様々なマンションへと姿を変えるだけで、何の変化もない景色が流れていく。皆、似たような環境で、似たような人生を送っている。


 目的地に辿り着くと、街全体が暗く沈み込んでいるようで気が滅入った。見上げると雨雲――というよりも排気ガスのような濁った黒雲が垂れ込めていた。これでは光は地上に届かない。


「北関東工場の往査初日にしては、おあつらえ向きの天気ね」


 毎度のことながら、いつも工場から内部監査は歓迎されない。


 理由は単純。内部監査のお相手をするのが面倒だから。場内を隈なく歩き回り、関係部署にインタビューをして、生産ラインの視察を行う。その全てに同行して、事前調整をしなければならなく、窓口となる関係者は大変骨が折れる。


 私が逆の立場なら、彼ら同様、監査なんて疎ましく思うだろう。


 内心さっさと終われと嘘の笑顔で塗り固め、腹の底を冷たくさせる。

 内部監査部に配属になってから十年。こんなことは既に慣れっこではあるのだが。いや、人との距離なんてこれでいいのだと思ってる。


「バス来ませんね」


 現地に向かうため、ロータリーでバスを待っているが到着がやや遅れている。時折、冷たい風が吹き抜けると、安物のコートに冷気が忍び込み、手がかじかんで痛いぐらいだ。帰りに雪でも降らなければいいが。


「本社では、ずっと書類と睨めっこだから息が詰まりますけど、出張に来たら来たで、天気も悪いし、気分は晴れないですねえ。やっぱり風光明媚なところじゃないと気分も上がりませんよね。わたしの故郷って、こんな感じの空がずっと続く、何にもないところだったんですよ。そう言えば、先輩の生まれはどちらなんですか?」

「私の生まれもここと変わらない何の変哲もないところよ」

「へ~そうなんですかあ、わたしと同じですね」


 にこにこにこにこ――


 この子の作り笑顔が妙に鼻につく。


 早くバス来ないかしら。

 そんな考えばかり浮かび、無性にお腹が減った。バッグからサンドイッチを取り出して、そのまま齧った。


「あ、それ、セブンの新作のハムタルタルサンドですよね。わたしもそれにすれば良かったあ。ちなみに先輩は、朝はパン派ですか? それともコメ派ですか? 麺派だったりとかですか」


 この問いに、どっちでもないわと鼻を鳴らす。

「目に付いた美味しそうなのを買うだけよ」とあしらうが、エミナは特に気にする風でもない。


「そうなんですかあ」


 にこにこにこにこ、実に楽しそうだ。


 心なしかこの笑顔に触れるたび、ハムとタルタルの塩気が死んだ気がした。


 自分でも不思議だった。


 新人に対して、あまりにそっけない態度で接していると自覚している。

 元々、私は人と慣れ親しむような性格でもない。

 ノリも悪ければ、愛想なんてものは端から持ち合わせていない。


 そうだとしても――なんで、こんなにもこの女が好きになれないんだろう。


 わざとらしく先輩先輩と私を呼ぶところ?


 てゆうか、入社以来先輩なんて初めて呼ばれた。

 嬉しいよりも、何だこいつという警戒心が先に立つ。

 そう言えば、小五郎さんとこんな会話をしたっけ。


 ――理由もなく自分を慕う振りをした人間は敵だと思え。


 極端過ぎる例えだが、この仕事を通じて共感するところは大いにあった。誰しもが私の背後に控える社長、経営陣を見ていた。見えない権力に愛想を振り撒かれる。そんな安い笑顔にうんざりしている。


「先輩、朝から結構食べる派ですか? 軽くつまむ派ですか? 朝がっつり食べて昼は少ない派の方もいますが、もしかして先輩もそうですか?」


 こっちはこっちでずけずけ踏み込んでくる。


 乞田エミナは、他部門からの異動ではなく、他社からのスカウトだ。


 十二月という中途半端な時期に中途入社して、年が明けてから内部監査部に配属になった。つまり、入社してからまだ二ヵ月も経っていない新人。ちらりと話を聞くと、どうやら水野部長の伝手で内部監査に明るい人材を探してきたのだという。だが、内部監査に明るいと言われても眉唾ものだ。前職で総務的な仕事をしていたらしいが、その経験がすぐに監査に活かせるわけではない。


 俗に内部監査はサードラインと呼ばれる。


 ファーストラインが、営業や生産といった云わば現業部隊。

 セカンドラインが、経理や総務といった現業部門を管理、コントロールする部隊。

 そして、監査は二線から漏れたリスクを防ぐ最後の防波堤に位置づけられる。

 視座は三線に行くほど高い。経営的な観点が求められ、専門の技能が必要となる。

 では、彼女が監査経験者でないのなら、専門の資格を持っているのかと問えば、


「え、CIAってアメリカのですか? FBIとかそういうのですか? スパイ? とかですか。ええ、そんな感じなんですか先輩は」


 小馬鹿にされた笑みで返された。

 この返答をもって、彼女は何の資格も経験もない、一般的な事務の経歴しか持ち合わせていないことがわかった。言うまでもなく、CIAとは公認内部監査人の略称であり、アメリカの国際資格になる。映画でよく登場するいわゆるCIAとは違う。


 それに、年も若い。

 二十九歳。よりにもよって秋山君と同じか。

 なんとなく緩そうな雰囲気。

 水野部長に対する変な勘繰りも入れてしまうのは、私の性格が悪いのか。

 はたまた職業的猜疑心の成せる性か。


「往査楽しみですう。どんなリスクがあるんでしょうか。わたしも気になるところはびしびし指摘しますので、二日間よろしくお願いします」

「まあ……よろしくね」


 生憎こちらは貴女には期待していない。

 邪魔だけしないで欲しいと願うばかりだ。


 混み合ったバスの車内は、途中停車をしながら蛇行を繰り返す。揺られること三十分あまり。建ち並ぶ工場群の一角に、年季の入った箱型の建物が見えてきた。


 薄暗い。


 それが心の中の第一声だった。


 澱んだ黒雲を反映して、北関東工場の白い外壁は、酷くくすんでいるように思えた。


「へ~、こんな感じですかあ。なるほどですねえ」


 彼女と初めての往査が始まる。


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