第14話 内部告発

 不本意ながらライフワークにしている、いや、なってしまったことがある。


 いわゆる都市伝説、土地のいわく、不幸な事件――


 休日を利用して、そんな暗い情報ばかりを集めている。


 何の生産性もない歪んだライフワークだと自分でも理解している。

 奇妙な出来事は、なぜ理解しがたく不気味に思えるのか。その本質は無知にある。存在理由、目的、全て不明な得体の知れない存在が、理不尽に人を害するから怖いのだ。


 内部監査という仕事は因果なものだ。普通では知ることができない情報にもアクセスでき、全て丸裸にしていく。例えば、本社で血塗れの女が深夜徘徊するという都市伝説が広がっていたとしよう。僕らはその場所を特定し、管理状況を確かめ、関係者にインタビューすることで、徐々に外堀を埋めていく。すると、その噂は案外根も葉もないことで、情報が尾ひれを付けて独り歩きしているだけ、という結論に繋がっていく。


 全ての原因には証跡の適正さがあり、情報の管理状況がある。

 知れば知るほど陳腐化していく。

 

 だから――

 きっと、妻、瑠香があの日、突然死んでしまったのにも理由がある。

 

 そう思って、瑠香が死んだその日から、今も証跡の有無を調べている。


 先ほどまで図書館にこもり、地域の伝承を調べていたが、よくある地域信仰の類のみで、特段、おかしないわくは見当たらなかった。それに、理由を知ったところで、今さら何がどうなるってわけでもない。


 静かに図書館を後にすると、強い突風が吹く。がさがさと街路樹を揺らし、枯葉を舞い上げた。背中を押す風に身を委ねて、そのままショッピングモールへと向かった。

 ここには瑠香と何度か訪れていた。買い物ついでに、社長指示のノルマをこなすため、ユニバキッチンも訪れた。瑠香は新メニューが美味しいと頬を緩ませ、僕は退屈な目をした。休みの日まで、仕事をやらされているようで、その後は妻の誘いにはのらなかった。


 妻は気分転換も兼ねて、あれから何度も訪れていたようだ。


 ここは起伏に富んだ広陵地帯で見晴らしもいいが、強く、冷たく、乾いた風が通り抜ける。

 ふと思えば妻はこの場所に来る度に、しきりに寒いと言っていた。


 ――明、寒い。


 妻の記憶が遠い出来事のように余韻を残す。その肌を温めてあげることはもう叶わない。心にぽっかりと穴が空き、空虚な風が通り抜けた。


 抜けるような秋晴れだが、心は雲ったまま。空は感情を反映しない。


 見渡す限り、カップル、家族連れが目につき、中央に設けられた遊具から子供たちの嬌声が聞こえた。独り身の僕はあてもなく彷徨い、ユニバキッチンの前を通り過ぎた。一瞥すると、やはり閑古鳥が鳴いていた。


 外から覗く店内は何故か薄暗く感じた。

 小腹が鳴ると同時に、近くのカフェに入る。焙煎されたコーヒーの香りに包まれた。注文したブレンドコーヒーを口に含むと、ふと思う。


 そう言えば、小雪さんはどうしているのだろうか。

 退屈な休日を過ごす彼女を思い描いてしまった。彼女は彼女で、僕と二人で食事をすることが好きなのかと思った。


「すみません、この前来ていた監査の人ですよね?」


 見上げると知らない若い男がいた。全身ファストファッションの純朴な青年。口調からして、自分のことを知っている。どなたですかと質問する前に男は、「自分、藤川っていいます。ユニバキッチンでバイトしている者です」と自ら簡単な自己紹介をしてきた。自分に声を掛けた謎が解けると、促してもないのに藤川は僕の隣の席に座った。

 やたらと距離が近い。


「監査って、ネットで調べたんですが、偉い人なんですよね」

「いやいや、それは誤解ですよ。単なる会社員に過ぎません」

「そうですか、いや、これもネットからなんですが、警察のような存在かと思いまして」


 どうやら大分誤解しているようだ。監査は警察ではない。犯人を特定し、裁きを行う権限などない。

 やんわりとそう伝えると、理由は不明だが、ぽかんとされた。目を丸くして口を開き。


「聞いてもらいたいことがあったんですが、それでは無駄ですね」

 嫌な笑みを見せられ、棘を感じた。

「何か伝えたいことがあるなら、自分でよければ聞きますよ」

「いや、でも警察ではないし」

「警察が関わるような重大な案件なんですか」

「いや、それもどうかわからないんですが」


 いまいち的を射ない。藤川は僕に何を伝えようとしているのか。わざわざ僕に声を掛けたのだから、重要な情報なのかと詮索するが、よくある店内のいざこざならば、聞かされるだけこちらも時間の無駄だ。


「特に重大なものでなかったら、これ以上――」


「調理に変なものを混ぜて提供しているんです」


 一瞬、時が止まる。店内が急速に冷え込んだような気がした。


「詳しく教えて頂けますか?」

 腰を据えると、藤川は声のトーンを一段階上げた。


「いや、ここだけの話なんですが、自分はどうなのかなって思ってたんですが、皆、そうしているし、こっちもいいのかなって。でも、やっぱり職場に関係ない人の第三者の意見を聞きたくて」

「変なものとは何ですか?」

「いや、何も毒物を混ぜているわけではないんです。毒物までいかない薬剤とか、そんなのでもないんですよ、ただ、皆、色々とストレスが溜まっているようで、結構ノリ的なものでやっているというか」

「すみません、端的に言えばどういう」

「唾を吐き掛けたり、埃や、死んだ害虫をすり潰したものを、こっそり混ぜてるんです」


 驚くべき告発に、絶句する。


 もし、仮にこれが真実ならばえらいことだ。


「なんか動画に上げるとかしないとか、バズったらインセンティブが凄いんですって。悪ふざけが過ぎますよね。自分も最初は抵抗があったんですが……」


 どういう意味だ。

 まさか、自分も共犯者だと告白しているのか。

 真意を探ろうと身を乗り出すと、咄嗟に藤川が取り繕うのがわかった。


「いや、自分はしてませんよ。そんなの常識的に考えてありえないし。でも、店長も見て見ぬふりだし。どうやら人も集まらないから僕たちバイトに辞めてもらうと困るみたいです。同調圧力って凄いですよね、他にも――」


 昨今の食品テロを遥かに凌駕した不正がつらつらと告発されていく。


 これは犯罪どころの騒ぎではない。


 藤川は洗いざらい白状して、すっきりしたのか、再び嫌な笑みを見せた。


 数々の内部告発に言葉も出ない僕を横目に、何だか楽しそうだ




 物語は第三章へ――

 人が引き起こす悪意、予期せぬヒューマンエラー、そして本来見えざるもの。可視化されないものが、可視化されたとき、二人の身に危険が迫る。

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