第12話 新事業

 ――ハッピー・ユニバキッチン――


 アンテナショップの名前は社名を模しただけのありきたりなネーミングだった。

 東京と横浜の県境に位置するベッドタウンにこの店はあった。駅から大通りを歩いてすぐのショッピングモール内のテナントとして営業している。


 ショッピングモールに到着するや否やぱらぱらと冷たい雨が降り出した。

 人通りは少なく、中央に設置された遊具で遊ぶ子供の姿も見当たらない。時折視界を横切るのは、暇を持て余した若いカップルだけだ。


 そもそも、何故こんな場所に店を構えたのかといえば、どうやら、この店が成功したら、そのまま郊外を中心にドミナント展開へとなだれ込む計画であったようだ。集客と話題が見込めると出店したが、現状は思い描いたものからは程遠い。

 代々の同族企業から阿場多新社長に代わり、次々と新規事業に手を伸ばしたのはいいが、どれも失敗に終わっている。


「経営方針こそ監査の対象にすべきでは」


 思わず本音が漏れたが、「それは私たちの範疇ではない」と小雪さんに冷たく返された。


 店内に入ると、何とも言えない辛気臭さを感じた。客もまばらで、天気云々あるにせよ、繁盛しているとは言い難い。「経営陣にまともなブレーンはいるのかしら」と、彼女は苦笑した。


「いらっしゃいませ」の掛け声もどこか覇気がない。

「接客マニュアルは徹底されているのかしらね」


 嫌味をいいながら席に着くなり、小雪さんはぎょろぎょろと目を動かして四方を観察する。人差し指でテーブルをなぞり、汚れの有無を確認すると、「合格点ではないわね」と目を光らせた。


 これは合格、これは改善の余地がある、などなど。

 職業病なのか、しきりに何かを呟いている。

 聡明なようで、不愛想なようで、彼女は普段もこんな感じなのだろうか。

 こちらの視線に気付くと、彼女は怪訝な顔をした。


「なに?」


 慌てて目を逸らす。

 思えば、こうして女性と二人でファミレスに来たのなんて久しぶりだ。

 色気や愛情なんてものはこのテーブルには何ひとつ漂っていないが、ここ一年間誰かと食事をするなんてことは皆無だったので、奇妙な喜びを感じる。


 瑠香が今も生きていれば。


 そんな感傷めいた気分になると、突然、背筋に怖気が走った。

 つま先から頭のてっぺんまで、岩肌に波が打ち付けるように一気に鳥肌が立つ。


 外だ。


 射るような視線は窓の外から向けられている。

 決して視線を合わせてはいけない。少しでも隙を見せたら闇に引きずり込まれる。だが、意識しないと念ずれば念ずる程、その禍々しい存在を強く意識してしまう矛盾。


「やあ、いたね、久しぶり?」


 窓越しの僕と異形の距離一メートル。

 視線を向けずともわかる。物理的に窓ガラスで隔てられているのに、へらへらした声まで聞こえた。生臭い息が頬をまさぐる感覚に、手汗が止まらない。


「だめだよ、無視しちゃ、全部わかってるから。もうすぐだから。もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ、あい……」


 小雪さんの言う通り、やはり理解することは不可能なのだろう。それに、こいつらと正面切って向き合う力量なんて、僕は端から持ち合わせていない。

 認めたくはないが、無力なのだ。僕は、いつだって。


「秋山君」


「え、はい」

「凄いね、君は」

「え、何て」

「いや、凄いって言ったのよ」

「は、はあ」

「正直、驚いてるわ。そんなにしょっちゅうなの? いるんでしょ。私には見えない、君にしか理解できない何者かがすぐ傍に」


 その投げ掛けに何も答えずに下を向き、無言で水を飲む。冷たい水が、喉から胃に落ちて体内の熱を消し去ると、落ち着きを取り戻した。


 ええ、いますよ。

 確実に。


「私は君みたいな人……」とここまで言い掛けて、小雪さんは話を止めた。「ごめんね、私は見えないからわからないわ」


「でしょうね」とため息を吐き、自嘲気味に答えた。僕だって、身近に自分みたいな人間がいたら気味が悪い。最初は好機の目で近づき、すぐに気味悪がって一週間経たずに黙って距離を置かれるはずだ。


「だめよ、負けちゃ」


 顔を上げると、じっと小雪さんが僕の目を見つめていた。

 慈愛に満ちた……いや、単なる憐れみの目か。

 僅かに下がった目尻がそう物語っていた。彼女はテーブルに両腕を突いて、身を乗り出す。一瞬、何か言い澱む。それは大事なことを僕に伝えようとしているように思えた。


「全ては君次第だから――」


「高城さん、秋山さん、お疲れ様です」


 小雪さんが何かを言おうとした時、ふいに店長がやってきた。小雪さんも意識外のことだったのか、一瞬喉を詰まらせた。


 声の主はこの店の責任者――榊原店長だ。


 総務部出身の五十代。腹の弛みがシャツ越しに目立つ、気の良さそうな風貌。

 経験のある中途社員を責任者に据えようかと迷ったらしいが、結果として社内の人材流用といういかにもな形に収まった。榊原店長は今まで固定資産管理が専門であったため、立ち上げ時はだいぶ苦労したそうだ。


「元々、うちは行き当たりばったりな人事が多いからね」


 ここに来る前、小雪さんは呆れたようにぼやいていた。言われてみたら、未だに僕の人事はわからないところがある。どういうわけか水野部長は自分を買ってくれているみたいだが、その期待に応えられているのか、疑問に感じる。


 そう言えば、小雪さんはいつから内部監査部にいるのだろうか。今度、それとなく聞いてみようか。


「今日は、天気が悪いのでお客様が少ないですが、いつもは違うんですよお」

 榊原店長の自己弁護に小雪さんは、「事前にデータ確認しているから、売上は把握してますよ」と冷静に切り返す。


 これには榊原店長もすみません、と苦笑い。がらんとした店内に、行き場の無いため息が虚しく漂う。悪い報告は会社員ならば、誰しもが避けたい。当然のことながら、彼は、高城小雪、秋山明、現実に相対する二人の監査人を見ているのではない。その背後に控える見えない阿場多社長を見ている。


「あの、これって社長に報告しますよね」

「ええまあ」

「そうですか……」

「売上不振を指摘するわけではないですよ。あくまで、内部監査はリスクマネジメントの有効性と準拠性が中心ですから」

「そ、そうですか。それではお手柔らかにお願いします」

 店長がほっとしたのも束の間、その言葉を合図に、小雪さんはすぐさま窓の縁を指差し、


「清掃は行き届いてますか?」


 といつもの射抜く視線を投げ掛けた。


「え、ええ、まあ大丈夫ですよ」


 この調子ならば、すぐに榊原店長の顔は青白くなるだろう。

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