第4話 往査
「失礼します」
東京支店の西山支店長は、高城小雪さんを見るなり緊張した面持ちでデスクから立ち上がった。まるで重役のお出迎えのように、スーツの襟を正して、小走りで駆け寄ってくる。
「ええ、あの、本日から二日間、その、ご指導の程よろしくお願いします」
そう言って、この僕にまでへりくだったように深く頭を下げた。
まさかそんなご丁寧な挨拶をされるとは思ってもいなかったので、慌てて西山支店長の頭をくぐるぐらいに頭を垂れてしまう。
当然のことながら、西山支店長は年齢も役職も自分より相当格上の存在。そんな人間が自分に対して、このような態度をしたことで改めて内部監査という肩書の威圧を実感してしまった。
小雪さんは小刻みに震える西山支店長に感情のない笑顔で返す。
「よろしくお願いします。ところで事業所の出入りは管理されてますか」
早速ジャブが飛ぶ。
東京支店を訪れた目的は、別名、現地往査とよばれる監査手続きの核心工程のためだ。
小雪さんの指示のもと、会計伝票などの膨大な資料を確認する予備調査は、この日のためにあるといっても過言ではない。
東京支店を訪問する前に、小雪さんからは固く釘をさされていたことがある。
「監査が来たってだけで向こうは必要以上に構えるから、常に礼儀正しくするのよ。決して監査だからって偉そうな態度はしないこと。内部監査の基本原則は誠実性だからね」
ついでに、こんな格言も残された。
「礼に始まり礼に終わる。まさに武道と同じ」
武道――ときたもんだ。
内部監査部の水野部長から、彼女についてこんなことを聞いていた。
小雪さんは、若い時から合気道を習っているらしい。噂では黒帯の上段。黒帯が何段まであるか知らないが、かなり上の方らしい。ついでに頭は切れるし、いざとなれば腕っぷしも強い。決して逆らってはダメだよと忠告された。
御年三十九歳、独身。長身ですらりと佇むその身は、他者を圧倒するような威厳すら感じられる。いや、威圧とも言うべきか。いずれにせよ、人から舐められるタイプではない。はっきり言って愛想はない。今まで独身である理由は、そのためかと変に勘繰ってしまう。
ユニバーサル食品は全国六か所に営業支店が設けられ、それを補完するように、小さな営業所が主要な県庁所在地に設置されている。東京支店は、当社最大の支店であり、在籍人数は百名を超える。そのため、人の出入りも多い。常に会議室が埋まっているため、デスクにまで外部業者がやってきて打ち合わせをしていた。
至るところで話し声や物音がする。
活気はあるのだが、勝手に人が出入りして自由すぎる印象を受けた。
西山支店長と挨拶を交わしたあと、主だった管理職と簡単なミーティングが実施された。
内部監査というものは当然のことながら計画があり、計画のもとに監査をすすめていく。てっきり、抜き打ち的に不正が行われている組織に訪問していくものとイメージしていたが、そうではなかった。逆をいえば、そんなことは滅多に起こらないらしい。何を確認するか、誰にどの項目を聞くか、全てが綿密な打ち合わせによって成り立っている。
基本的に内部監査というのは不正を正すものではない。
あくまで、日頃の業務プロセスについて確認し、リスクへの対応をしているのか、基準や規程と逸脱するものがないか――つまり、保証の根拠となる準拠性を確認することが主な内容である。
監査というのは未知な業務だ。
知らない人はどこまでも知らない。
何を聞かれるのか、何を見られるのか、何を感じて、何を話すのか。
堂々と機械のように説明を行う小雪さん。
対照的に、人間っぽく一言一句神経質にかりかりとメモを取る西山支店長。
時折、こちらに向ける目は、ひどく真剣であり、逆にこちらが試されているような独特な緊張感が漂った。
息苦しさを覚えた。
「……あ……た……」
誰かが何かを呟く。
「……あ……た……」
唾を飲む音すら聞こえる。
「……あ……た……」
監査とはそういうものなのか。
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