第3話 異動
――人事異動通知 人事部長――
●発令日 10月1日
●発令事項 下記の者を以下の組織に異動を任ずる
●秋山明 (新所属)内部監査部(旧所属 営業部)
自分にとって青天の霹靂のような人事が起きた。
通常、うちの会社は部門を跨ぐ異動は起こらない。入社と同時に本社に配属される一部の高学歴やコネ入社のエリート以外は、大体の人間が敷かれたレールの上で、己のキャリアを積み上げていく。そのため、全く希望も出していない異動がこの身に訪れるとは想定外だった。しかも、決算月である三月ではなく、十月に。何の前触れもなく、内部監査部というあまりよく知らない部署へ。
よくよく思い返せば内示もなかった。
「秋山くん、ちょっといいかな」
出張先から営業所へ戻るや否や、こっちこっちと上司から手招きされた。
「いやあ、びっくりしたよ。まさか秋山くんが異動になるなんて。ねえねえ、なんかあったの? 有名な資格を持ってたとか? どなたかお知り合いだったとか? 急に辞令がきたから焦っちゃったよ。知ってるなら言ってくれればよかったのに」
にこにこと似合わない笑みを浮かべる頭の禿げた四十後半の低俗な人間。柄にもなく、こちらを「くん」付けまで。初めて言われたよ、そんなこと。
上司が驚くのも無理はない。なにせ、僕が異動を告げられたのは正式な人事発令後だったからだ。
つまり――本配属の三日前の突発人事。
幸い、自宅から通勤できる範囲だったので、引っ越しをする必要もなく、なんとか対応できたが、ここまで急な人事を自分は知らない。
「内部監査部ってさ、どんなことするのかな。秋山くんは何をするのか知ってる? 云わば会社の警察的な役割だよね」
「知りませんよ、自分も」
「そ、そうか」
「では、三日後に異動なら引継ぎは簡単な資料だけでいいですよね。自分の担当はどれも小さなところばかりなので」
「おお……わかった。くれぐれもあちら様に宜しくお願いするな」
胸のなかでふざけるなと唾を吐き、頭も下げずに会議室を後にした。
内部監査というのは会社の不正を指摘する部署かと思うが、実体はどうなのかはわからない。そのような部署ならば、そもそも、自分のような二十九歳の若造が配属されるというのもおかしい気がする。お目付け役的な組織であれば、ある程度の役職者、それに近い年配の社員があてがわれるはず。
ひとりで考えても明確な答えは浮かばなかった。
人智を超えた複雑怪奇な会社の力学で僕の所属先が決まったようだ。
丁度よかった。僕自身もこんな部署に未練はなかった。
大手食品メーカーであるユニバーサル食品に入社して以来、営業を担当していた。
課せられた販売目標に急き立てられるように、地方の代理店で頭を下げる。出張につぐ出張を繰り返し、どさ回りに明け暮れた。しかも与えられた担当はほぼ潰れそうな小さな代理店ばかり。身内からも助けはなかった。というより嫌がらせがほとんどだった。得意先への価格提示の条件は、ほぼ全てにおいて稟議を通してもらえず、追い打ちをかけるように会議で数字の追求だけを受けた。
だが、当初からこのような不遇を受けたのではない。
節目が変わったのは、上司の不正を指摘したことが切っ掛けだ。
ある日、上司から同行しようと誘われて、訪問途中にあるうなぎ屋に立ち寄った。
「会計は俺がやるからいい」
上司はレシートをすっと手元に寄せてレジへすすむ。奢ってもらえるのかと思ったらそうではなかった。後日、レシートを渡されて「秋山、ここにサインして」と領収書を渡された。あとで、休憩がてら外でコーヒーを飲んでいると先輩から「お前も仲間だな」とにやりとされた。どうやら、上司は自分の立場を利用して、前からこのような小狡い不正を繰り返していたらしい。
あの時の僕は、意味もなく気持ちが昂っていた。ある出来事が切っ掛けで、自分の無力さに打ちひしがれ、同時に言いようのない無力な自分への怒りに震えていた。心の空洞を埋めるため、目につくもの全てを否定したがっていた。
「こういうのはあまり良くないんじゃないですか」
今となれば余計な一言。上司の顔色が変わるのがわかった。前からうんざりしていた。出世自慢に明け暮れて、成果は自分の指導のおかげと上にアピールする最悪な人間性。社長のご機嫌取りのためにプライベートまで踏み込まれた部分も多々あり、余計にいらぬ正義感を発揮してしまった。
だが、これが引き金となった。
暫くしてから担当変更を言い渡され、売上増加の見込みがない得意先ばかりもたされることになった。
どんなに理不尽な目標でも、一旦仕組みが構築されれば誰も疑問に思わない。
外からも、中からも。
そんな無為な日々も異動を機に変わるのだろうか。
果たして僕はこのまま平穏無事に働けるのか。
この時の僕はすでにまともな生活を送れないでいた。
はっきりと。
目で。
耳で。
匂いで。
わかるようになっていた。
いつか僕は殺されるだろう。
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