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「なっくん、どした?」


直樹が急に立ち止まり、硬直したため、ナベショーが不安げに尋ねる。


ケータの上着に、こっそり忍ばせておいた蟻の目を通して、彼に起こった惨状を知る。


ケータがうつ伏せで倒れており、暴走した鈴音が少女を連れて飛び去ってしまったのだ。


「恐れていたことが…」


ボソッとつぶやいては、深く深呼吸し、目つきを変えた。


「仕方ない、久しぶりにやるか」


「おッ! なっくん、久々の本気モードか!?」


言ってる間に、直樹は、全神経を足下に集中させ、それを地面に広げていった。


直樹を中心に、ここ一帯に生息している蟻の視界を傍受し、とある人物を捜し始める。


瞬時に脳内に入ってくる膨大な情報量に、若干、眉間にシワが寄っている。


そして、ついに目標をとらえた。


相手は翼を広げ、広大な草原に降り立ち、抱えていた少女を懸命に呼びかけている様子。


それ以外にも木々に囲まれ、毛色の異なる建物が健在している。


「…見つけた」


見覚えのある景色に見当がついたので、直樹は能力を解き、一旦、呼吸を整えた。


「よしッ! そんじゃ行くべ!!」


「ちょっと待って」


ナベショーを止め、更なる指示を伝える。


「未来君達にも連絡。

あと、オレの我が儘に付き合って」




━━うぜェんだよッ!! テメェッ!! おらッ!!


どこからか声が聞こえてくる。


マタ・・始マッタ・・・・…。

物が激しく破損したり、荒々しい足音が響いてくる。


布団から出ては、わずかに襖を開け、隣の部屋を覗き込む。


小太りでパーマの男性が、女性にのしかかり、腕を振り上げては、何度も殴り続けている。


女性は悲鳴をあげながら、細い腕で顔を防ごうとするが、男の腕力には、到底敵わなかった。


やがて男性が突き放すと、女性は必死にその場から逃れるため、じたばたと畳を這い、こちらへと迫ってくる。


男性は、甲冑が飾られてあるショーケースのそばにあった日本刀に視線を向け、そのうちの一本を手に取り、鬼の形相で刀を抜く。


女性が恐怖に染まった表情で襖に手を伸ばすが、わずかなところで男性に足を掴まれ、引き戻されてしまった。


俺の言うこと聞けッつッてんのがッ!!

わかんねェのかッ!!


激昂する男性は刀を振り下ろし、女性のすぐそばの畳を斬りつけた。


女性は泣きながら身を丸くし、おさまらない刀の乱振りに怯えていた。


この光景、何度目だろうか。


仕事から帰ってきた男性が、女性と言い争い、しまいには、己が正しいのだと暴力で強引に解決させる。


あまりにも体格差があるため、自分が間に入ったところで、どうすることもできない。


やめて! と声を出したくても、ここまでの力の差を目にしたら、発する気力も失せてしまう。


いつからこんな野蛮な手段をとるようになったのかは定かではないが、毎日行われているので、未発達な自分にとっては、これが我が家の日常なのだと悟った。


やがて、男性は外で女を作り、家に寄り付かなくなったが、負の連鎖は続き、ついに順番が回ってきた・・・・・・・・


なんで泣くんだよッ、私は何もしてないだろうがッ!!


理不尽に怒り狂い、罵詈雑言を吐きまくる。


長い間、溜め込んでいたドス黒い不満を小さな体にぶつける。


言うこと聞け・・・・・・って言ってるだけでしょッ!?


声を荒げ、泣きながら土下座する相手の頭を蹴り上げる。


自分よりも弱い相手に力を振るうことで、気分の爽快感を覚えてしまい、彼女の行動は、日に日にエスカレートしていった。


何で言うこと・・・・聞かないの・・・・・ッ!!


ある時は、殺してやるッ、死んじまえと暴言を吐かれ━━。


ちゃんと言うこと・・・・聞け・・ッ!!


ある時は、檻に模した犬小屋に閉じ込められ━━。


言うこと・・・・聞かないからでしょ・・・・・・・・・ッ!!


ある時は、見知らぬ山に捨てられ━━。


だから言うこと・・・・聞けッつッてんだろ・・・・・・・・・ッ!!


ある時は、雪降る真夜中に、下着姿で外に出され━━。


言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと言うこと━━。


言ウコト聞ク・・・・・・ってなんだよ。


呪言のように連呼され続け、その度に殴られ、蹴られ、物を投げられ、首を絞められ、幼い心と体は傷だらけになっていった。


やがて、それは周囲にまで影響を及ぼすこととなる。


幼稚園や小学校で、よく喧嘩をするようになったのだ。


身近な者ほど・・・・・・分かりやすい・・・・・・教科書はない・・・・・・


強ければ周りから何も言われないし、何もしてこない。


痛みを与えることによって、恐怖を植え付け、相手を従わせることができる。


自分がどんなに間違ったことをしていようが、全て正しく・・・なる。


あの二人から身をもって学んだことは、正しかったのだ・・・・・・・と錯覚するようになったのだ。


しかし、因果応報・・・・という言葉の意味は、教科書に載っていなかった。


自転車で歩道を渡っている最中、バランスを崩して横転してしまう。


私が自転車の下敷きとなり、身動きが取れないまま 、迫り来る車に轢かれてしまった。


アスファルトを飛び跳ねる度に、全身叩きつけられ、皮膚がすり減っていく。


そして、後から頭に激痛が走ったのだった。


後頭部を強打し、意識がありませんッ!!


心拍下がってますッ!!


意識が遠のいていく中、知らない人の声が飛び交う。


今までに体験したことのない痛み。


女性から受け続けた痛みとは、比べ物にならない。


だとすれば、周りの者達が受けた痛みが積み重なって、自身に返ってきたということなのだろうか。


そう考えると当然の報いだったのだと、自然と腑に落ちた。


最期は、痛みに包まれて終わるのか。


なんと皮肉なことか。


あの人達の無責任な好奇心で生まれ、あの人の都合の良い玩具にされ、あの人の言った通り死んでいく。


まるで、人形みたいな人生だったな。


ならば、人形らしくこの命、誰かのために使いたかったな。


無駄に散るくらいなら、せめて意味の━━、あ━━、る━━。


朦朧とした意識は、ここで完全に途絶えてしまい、暗く虚な無と化した。


ところが、光が入らぬ闇の中でもやが生じた。


次第にそのもやから仄かに明かりが灯り、徐々に辺りを照らしていった。


その輝きは、とても温かくて心地よく、身が溶けていくようだった。




━━県立図書館の敷地内にある芝生の上で、鈴音は翼を折りたたみ、腕の中で気を失っているサラに何度も呼びかける。


「サラッ!! 起きてッ!! サラッ!!」


隣接している美術館との間に水辺があり、そよ風によって、穏やかに水面が波打っている。


「す、ず…?」


意識を取り戻したサラを見て、胸をなでおろす。


「良かった…、サラッ、怪我はッ!?

アイツに何かされてないッ!?」


「スズ、これで…、やっと━━」


サラは、弱り切った声で何かを口にする。


「今、なんて━━」


聞き取れず、思わず聞き返してしまう。


「やっと、私達、やり直せるね・・・・・・


言ってる意味が分からず、動揺する。


「どう、いう━━!?」


すると、サラの口からとんでもないことを明かされたのであった。




━━スズが学校に来なくなって、アイツ等の行いが明るみになったんだ。


今まで渡したお金を私に返して、一人ずつ謝罪して、その後、謹慎処分になったの。


これでアイツ等は、学校ででかいツラを立てれなくなる。


騙されてたスズも、きっと戻ってくる。


またあの頃の生活が戻ってくる。


そう思ってたのに、スズは、転校しちゃった。


すごく悲しかったし、あんなことをしておいて、今更LAINを送る勇気もない。


全部、アイツ等のせいだ。


アイツ等のせいで、私達の関係が崩れたんだ。


だから私は、アイツ等に復讐することにしたんだ。




━━サラの告白に、鈴音は、目の前が真っ暗となる。


衝撃的すぎて開いた口が塞がらず、震えてばかりいた。


「私がいる限り、もう、スズが傷つくことなんてない━━」


サラ、アンタは…、アンタは、もう…。


「だから、だからね、スズ…」


力尽きたのか、朦朧としていた声が途絶えてしまった。


あいつに何をされたのか、彼女の身に何が起こったのか分からない。


ただ、あれからサラも病んでしまい、過ちを犯してしまった。


あれからずっと後悔していたんだ。


妄言であって欲しいと強く願い、壊れてしまった友人を強く抱きしめる。


アタシだけじゃなかった。


サラもあの頃に戻りたかったんだ。


お互い無邪気だった、あの頃に━━━━━。


お互いがやり直したかった、あの頃に━━。


感傷に浸っているうちに、やがて足音が近づいてきた。


「今晩は、星さん」


現れたのは、なんとナベショーだった。


「なんで、アンタが…」


「いやァ、ちょっと…。

その、落ち着いて聞いて欲しいんだけど━━」


ナベショーは、とにかく刺激せぬよう、ぎこちない口調で話しかける。


鈴音は、そんな彼を見て、ある結論に達した。


「そっか、そういう事━━。

アンタもあのケータクズと一緒ってわけね」


「はッ!?」


アタシの中の“アレ”は間違っていなかった。


ケータは、最低なクズだと、危険人物だと察知していたんだ。


そして、コイツも━━。


「アタシの、敵だッ!!」


鈴音は前のめりとなり、両翼を広げ、ナベショーへと突進した。





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