「ねえ、どうしてあたしがなばなだって気づいたの? 完璧な偽装なのに」

 と言いながら逢花はやるきのない寒月の偽装に目を向ける。

 寒月は手を逢花の首の裏に持っていき、髪を結い上げているところから首あたりをなぞった。

「項だよ」

「項?」

 寒月の手をつねり、自分の項を触る。

「最初は菜花が逢花だと気付いたんだ。君が花魁道中をしているところを見てね。ちらりと見えた項が菜花の結い上げた項とそっくりだったんだ」

 ぞわりと毛穴がひらいたのを感じた。

「美しい項だ」

「き、気色悪い男ね」

「ひどいなあ、それにしてもその髷も変装なのかい?」

 結い上げている所は地毛だ。だが、髷は偽物である。

 昼と夜と姿を変えている逢花は髷をいちいち解いたりしている時間はない。

 そのため、髷のかつらを結い上げ師に作らせた。

 髪が無いんです、と伝えればかつらを作ってくれた。結い上げ師の駄賃は花魁の稼ぎからだ。うかつに誰かに喋れば、稼ぎが減ってしまう。売れっ子ならなおさら。

 だが、定期的に結い上げをしなければ金にならない。そのため、逢花はかつらを定期的に作らせた。そのおかげで結い上げ師は十分に駄賃を貰って誰にも話していないようだ。

「ええ、あんたのおそまつな偽装より完璧でしょう?」

「ははは、凄いなあ」

 寒月の感心した顔に逢花は得意げに鼻を擦った。

 

 宵が深まり、床に入る妓楼とは反して暗く静寂になった金月楼。逢花の座敷だけがまだ灯がついている。逢花の座敷がある二階には誰も近寄らない。

 寒月を楼から外に出すフリをしなければ、一階にいる女たちや楼主に疑われてしまう。かといって、禿に嘘をつかせるのは気が滅入る。

「それじゃあ、私は一旦外に出てまた戻ってくるよ」

「そのまま帰ってもいいのよ」

「そんな寂しいことを言わないでくれ」

 いつも逢花は客を門まで見送らない。多くの客が吉原の道を歩かないというのもある。

「戻ってくる時は一度ここの通りを歩いてから、店の裏に回って、右隣の店との隙間に入ったら梯子があるからそれで上がってきてね」

「裏にある他の店の者と顔を合わせないか?」

「平気よ。裏手の店も構えてる向きは反対。背中どうしだから、人の往来はほぼないわ」

「そうか、なら安心だ」

 寒月は楽しそうに微笑んで座敷から出ていった。


 次の日の朝、二人は逢花の寝室で目覚めた。

 部屋の真ん中に几帳を置いて昨夜は眠りについた。

 二階には逢花の寝室と座敷と風呂がある。二階は主に楼上の花魁である逢花が使っている。他の花魁は一階の内風呂を使っている。

 逢花は風呂から出て寒月に衣服を与え、彼はきょろきょろしながらお風呂に入っていった。

 妓楼の風呂はそんなに珍しいのかしら。いや、慣れてない場所だから使い勝手が分からなかっただけか。

 寒月が風呂から上がると、露に濡れた姿が目に毒だった。

 見目は良いのよ、猫でも買ったと思いましょう。逢花は頬をぱしぱしと叩く。

 かつらは昨夜のうちに外し、頭のてっぺんで髪を結う。すこしばかり櫛で結び目あたりを逆立てる。綺麗にしていると男よりは華奢な身体なため、女性に見間違われる。それでは偽装の意味がない。

 逢花は美しい女。なら菜花は江戸の男らしい姿でいる方が疑われずに街を歩けるし、なにより勝手が良い。寒月のような女よりも美しい容姿は人の目を惹きすぎる。本人はそれをわかってて笠を被っているようだが。

 逢花は化粧箱から花魁用の白粉ではなく日焼けしたように見える茶色の粉を顔や首、腕に塗る。着流しと股引で隠れないところ以外はすべて。

「準備おわり」

 男装した逢花は誰が見ても少年か、それより少し上かぐらいにしか見えない。

 それなのに項だけでよく菜花が逢花だと分かったわね、と昨夜と同じように気味が悪くなった。

「昨日ぶりだな菜花」

「ちゃんと外でもそう呼んでね」

「任せろ」

 逢花は少しの不安を感じつつ、文机の上に化粧箱を乗っけ自分の寝室の天井を開けた。

 ちらりと化粧箱のあとに寒月を見る。

「流石にあんたが乗ったら壊れるからどうしようかしら」

「それなら問題ない。昨日と同じように裏の梯子から降りるよ」

「そうなのだけど、いま裏手は他の店の雇い人が活発だから」

「平気さ、私は影が薄いから。誰にも気づかれやしないさ」

「影が薄いって袈裟に笠つけて目立たないわけない、でしょう、あれ」

 そういえば、この男が座敷にあがるまで他の遊女の色めき立つ声を聞かなかったわね。座敷に入る時は笠を外していたし。見目の良い紅毛人の男が来たときは他の妓楼の客もなんだなんだと店に顔を出したくらいに声が大きかったのに。笠を被っていても僧が袈裟姿で妓楼に来たらそれこそ……

「なにか思い当たるようだね。心配することはない」

 頭のなかを覗かれたような気がして、逢花はさっさと屋根に上る。

 逢花は上から寒月を見下ろし鼻で笑う。

「見つかったら今日中にさよならね」

「そうはならんさ」

「まあ、むかし私もそこから外に出てたけど気付かれたことないし、それにあんたなら心配するだけ無駄かしらね」

 逢花の発言に寒月は不思議な顔をする。

「なら、なぜ君はそこから外に出てるんだい?」

「そのほうが危険と隣り合わせみたいでぞくぞくするでしょう」

「君、罪人にはなるなよ」

「あたしは罪人をとっつ構える方が好きなのよ。それじゃ、門の引っ掛け茶屋のほうでね」

「ああ、分かった」

 逢花は屋根裏を移動して瓦を何枚か外し、屋根に上がる。外では廓の女たちが男を門まで見送ってきた帰路についているのが見える。

 見知った遊女たちが眠たそうに歩いている。彼女たちに気付かれないよう足音を立てずに瓦の上を走る。吉原を囲む出入り口の大門まで。


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