揶揄われたわ。あたしに無体を働くなんて。

 寒月の態度に逢花は額の血管が浮き出そうなほど苛立った。逢花は酒瓶を自分の盃に注ぎくいっと仰いだ。男前な呑み方だ。寒月の目など気にせず酒を注ぎまた酒を仰いだ。

 寒月は横で静かに笑っている。それも逢花の癇に障った。

 逢花は男の前ででいるのも馬鹿らしくなり、目の前の月を鑑賞する気になった。

 どうせ、今夜限りよ。

 これ以上の金は持ってないだろう、それに雲上の者である。空を流れる雲のように色恋に身を投じる彼らに本気も一途もないのだ。

 『源氏物語』の光の君もこの男のような美しい容姿だったのかしら。それとも在五中将様、いやそれほど風流で雅な御人なら人を怒らせるようなことはしないわね。

 ふくよかではないのはこのご時世のせい、雲上の衣食住が将軍様によってケチられているからね。

 の皮を破り、上から目線の態度で寒月に話しかける。

「で、寒月さん、あたしに何用かしら?」

「あれ? 話し方が変わったね」

「へえ、まだあちきの客でいるつもりでありんすか?」

「いや、そのままで話してくれ。宵は短い。少しでも君を知りたいんだ」

 逢花は言われ慣れているはずの口説き文句に心が動かされる。

 見目が良いと、薄っぺらい言葉も上等に聞こえるわ。

「それで、御用は? 一夜であたしの座敷に上がったのよ、なにか目的があるんでしょう?」

 悩みがありそうにはみえないけど。

「ん? 江戸一番の花に一目会いたくてな」

「それだけ?」

「何かおかしなことはあるか?」

 本当にそれだけで、そこらの花魁に出す二倍の額、金二両二分(二十万円程)以上を出したの!?

「あ、あんたお代はどうしたのよ」

「……すっからかんさ」

「そうじゃないわよ、ただの僧があたしの一晩を買えるわけないわよ!」

「本当さ。まあ、私が持っていたなかで一番価値のある物で君の一晩を買ったんだ」    

 逢花は旅路に木刀を懐刀ふところがたなにしている男だと思いだした。

 そうよ。あたまのおかしな男だったわ。

 呆れて溜息を吐き、寒月の顔を見上げる。

「何してるのよ、それじゃあ明日からどうするつもりなの?」

「なあ、これも何かの縁だ、私を君のところに住まわせてくれないか?」

 ここまで、得体のしれない人間は初めてかもしれない、と逢花はさらに呆れて冗談だろうと受け流す。

「あんた、修行の旅をしてるんじゃないの?」

「美しい君に興味が湧いた」

 そう言って寒月は真剣な顔で逢花を見る。

 はは、と逢花は乾いた笑い声しか出ない。

 どうしよう、花魁人生初めての笑い声が出たわ。

「あたしがそれに頷くとでも思って?」

 逢花は立ち上がり、寒月を見下ろして自分を指す。

「あたしは金を積まれても身請けに乗らないし、色恋なんてもんに現を抜かすとなればあたしの名が廃れるから御免よ。そも、金月楼はね『金瓶梅きんぺいばい』の 潘金蓮はんきんれんのような情熱的な恋情で男と心を通わせ、呉月娘ごげつじょうのように身請けする男のために貞節を尽くすのよ。その楼上一の花魁が客を自分の部屋に住まわせるですって? うちを潰す気?」

 早口に言って、寒月の口には乗らないという態度を取る。

「それなら気にすることはない。君をここから出すほどの金はないし、君の顔に泥を塗ることはしない」

 気にすることはないですって? あたしの話を聞いていなかったのかしら。

 「そうだ」と話を続ける寒月を逢花は何を言い出すのかと見つめる。寒月は笑みを浮かべ続けるだけである。

「君の昼間の姿を黙っていてあげるよ」

「あ、あんた。そりゃあ、脅しよ」

 最初からそのつもりかと逢花は開いた口が塞がらない。

「どうだい? 悪い話じゃないだろう」

「はあ、分かったよ」

 それだけは誰にも知られてはいけない。逢花は潔く諦めた――が、引いたわけじゃない。

「ただし、あんたには働いてもらうよ」

 寒月は驚いた顔をしている。客引き、文使い、雇人の仕事でも想像しているのかしら。

「安心しなさい、あんたには昼間の方の仕事を手伝ってもらうから」

「何をするんだい?」

「罪人を捕り縛るのさ」

「昼間のようなことかな」

 逢花は頷く。すると、寒月は懐中から矢立と小袋をとりだし、畳に広げた。なかには木の破片のようなものが小山になっている。

 どこかで見た、いや、逢花の良く知る破片だ。

「昼間と言えば、あの廃寺に面白いものがあった」

 寒月は破片の側面に墨を塗り、乾かぬうちに破片同士を合わせる。事前に破片がどれと合うかを知ってるいるかのように、次々とそれは形になっていく。

「これをこうして……直ったぞ。賽だ」

 そこには元通りになった木製の賽があった。

 確かにあの時、粉砕したはずなのに。逢花の声は微かに震える。

「あんた、どうしてそれ」

「君がどうやって賽の目を出したのか知りたくてね」

 この男、初めから全部みてたのね。寒月は腕を組みまるで考え込むような仕草をする。

「私の記憶通りならあの時、きみはふたつの賽の一面を拾っていたね? 四の目のものだ」

 どういうことだい? と言わんばかりに寒月は楽しそうに目を輝かせる。

「はあ、これよ」

 逢花は几帳の裏に隠していた化粧箱から賽の一面をふたつ取り出した。

 着替えに忙しくて捨てそびれてしまった。

 寒月の前に賽だった四の目の一面を飛ばす。寒月が持っている賽とまったく同じ賽だ。しかし、寒月の賽には四の目がついてる。

 寒月の推測通りだったのだろう、彼は満足そうに笑った。

「初めから別の賽の目を隠していたのか」

「ええ、あの時壺振りの賽は粉砕したわ。あんたが誰の目にも落ちている木でしかないのよ」

「彼らの事を知っていたのかい?」

「……噂でね」

「それでも賽の種類まで知っていたとは」

 この男。たしかに賽の種類は何種類かある。それでも逢花が迷うことなく同じ賽を準備できたのはあの少女から教えてもらっていたからだ。

 見えてない人間に教えても良いのだけれど、反応はつまらないものなのよね。まあ、というのも怪しいけどね。

「ちっぽけな賊が廃寺で違法賭博をしててもたかが知れてるのよ。安い木の賽を使ってるのはすぐ分かるわ。それに、主人が一度も負けてないって噂話から腕の良い壺振りを傍に置いてるのはすぐに分かったわ。傷がついた賽を壺振りが使うわけがないから、同じ見た目なら新しい賽でも、一瞬の目をごまかすぐらいできるわ」

「へえ、インチキか」

 逢花はその通りだと自覚はしているが、寒月に言われるとカチンときた。

「で、あんたは一部始終をみてたのよね。こののぞきめ」

「そうだね、君が何かにひとり言を呟いているところまでね」

 やはり、少女が見えてなかったのかしら?

 幽霊が見えない人間であれば気味悪くそんな人間に近づかないだろう。これまで、逢花の周りはそんな人間ばかりであった。

 雲上の者はおかしな人ね。



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『金瓶梅』――江戸時代末頃多くの知識人が学問的態度で読んだという清国から流れてきた淫書である。内容は淫靡だが、因果応報をモチーフにした社会小説である。

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