1-03  喫茶マジカルリリス

 それからしばらくして。

 僕は彼女に連れられるまま、彼女の営んでいるという喫茶店『マジカルリリス』へ

 とやって来ていた。


「ここだよ」

「おー」


 到着したその場所は、僕が通っている大学からほど近く、駅を挟んで反対方向の

 路地裏にひっそりと佇んでいた。


「こんな場所にこんなオシャレな店があったなんてな、知らなかったよ。

 所謂、隠れ家カフェってやつだな」

「まさにそういうコンセプトのお店だからね。さ、どうぞ遠慮せずに入ってくれ」


 そういって夏目さんは「closed」と書かれたプレートが掛かった扉に手をかけ

 店内へと歩みを進める。僕もまたそんな彼女に続いて中へと入る。


 カランカランッと小気味よいドアベルの音と共に中に入ると、高い天井から吊る

 された照明に照らされた明るい店内が僕たちを出迎える。そして同時に爽やかで

 ありながら何処か奥深い濃厚なコーヒー豆の匂いが鼻腔を擽る。


 お店の内装は先程見た外観のイメージを損なうことなく、木目調の内壁とシックな

 家具により落ち着いた雰囲気が醸し出されており、所々に置かれた観葉植物や優雅

 に流れるBGMが非常に空間にマッチしていた。


「すいません。今日はお店は定休日でして…………」


 と店内に入った直後、カウンター席の奥からガサゴソと音を鳴らしながら一人の

 女性が顔を覗かせる。


「私だよ、小町」

「師匠!?」


 その女性は店に入ってきた僕達を見て声を上げる。

 そして見た目が相当変化しているはずの夏目さんを一発で見抜き彼女に駆け寄って

 くる。


「師匠―!」


 ガバッと人目を憚らずに彼女は小さくなった夏目さんに抱き着く。

 それに対し、夏目さんは彼女の行動に意を示すことはせずソッと彼女の肩に

 手を乗せる。


「すまないね、心配をかけて」

「本当ですよ。私めちゃくちゃ心配したんですからねッ」


 小町と呼ばれていた彼女はグリグリと夏目さんの胸元に顔を埋めるも、

 次の瞬間、僕からの視線に気が付きハッとした様子で彼女から離れ姿勢を正す。


「ところで師匠、この方は?」

「彼は神越春時くん。一応、私の命の恩人ということになる」

「そうでしたか」


 夏目さんの説明を聞くと、小町さんはこちらに向き直り美しい所作で頭を下げる。


「神越さん、この度は師匠がお世話になったようでありがとうございました。

 私、このお店でアルバイトをしております紫ヶ戸小町と言います。以後お見知り

 おきください」

「あ、これはご丁寧にどうも」


 堅苦しい挨拶に僕も慌ててお辞儀を返す。


「あの、つかぬことをお聞きするのですが。紫ヶ戸さんはもしかして七ヶ浜大学に

 通ってはいませんか?」

「あら、もしかして同じ学校の方ですか?」

「はい。僕も一応七ヶ浜で今年二回生です」

「でしたら同い年ですね。すいません、私あんまり友達が居なくて。そのせいか

 あまり同年代の人を認識していなくて」

「いえ、こちらが一方的に知ってるだけですから…………」


 そう、僕と紫ヶ戸小町さんは同じ学科の同級生である。

 ただ一生徒である僕と美人で有名な紫ヶ戸さんでは知名度に天と地ほどの差が

 あるのだが。


「ん、ということは――――まさか紫ヶ戸さんも魔法使いなのか?」

「そうだよ。小町は私の唯一の弟子だ」


「…………やはり、神越さんは知ってしまったのですね。魔法の存在を」


 そのやり取りを見て思わず紫ヶ戸さんから小さなため息が漏れ出る。


「それについては私の失態だからね。彼を責めないでやってくれ」

「分かっています」

「では春時くん、よければ席に座るといい。私たちが直々にもてなしてあげよう」


「そういうことでしたら私がコーヒーを淹れますね。神越さん飲めますか、

 コーヒー」

「あぁ」

「でしたらどうぞこちらへ」


 と何処かへ店の奥へと消えた夏目さんの代わりに紫ヶ戸が僕をカウンター席まで

 案内してくれる。


 僕が席に腰を掛けると紫ヶ戸はカウンターの裏側へと周り、豆の準備を始める。

 既に焙煎機を使って焙煎されたコーヒー豆をコーヒーミルによって挽いていく。


 コーヒーミルによって豆が粉砕された瞬間、強烈で豊かな香りが店中に充満して

 いき、僕の嗅神経を刺激していく。


「随分本格的なんだね」

「このお店の一番の一押しメニューですから」


 グルグルとハンドルを回して僅か数秒。

 事前に温めておいた細口のドリップポットを使いフィルターを通して豆から

 コーヒーを抽出(ドリップ)していく。


「神越さんはコーヒーお好きですか?」

「そうだね。自分でいうのもなんだけど結構うるさい方だとは思うよ。と言っても

 最近はもっぱらインスタントだけどね」


 なんて話している内に紫ヶ戸はテキパキとした正確無比な動きにより

 あっという間にカップに注がれたコーヒーが目の前に差し出される。


「どうぞご賞味ください」

「ありがとう」


 まずはカップを少し持ち上げ、香りを感じる。

 すると今まで嗅いだことのない様な味わい深い香りが感じられた。


「これはなんていうコーヒーですか?」

「当店のオリジナルとなっております」

「なるほど。通りで」


 とはいえ個人的にいうならば、この仄かに苦みある独特な香りは

 コーヒー好きの僕からしたら堪らないものではある。


 そして特にそのお店で配合されたブレンドというものは、それを飲むだけで

 そのお店の趣味趣向が大体わかるといっていい程、重要なものでもある。

 つまり、この味如何にしては僕と彼女たちとの相性は決定づけられると言っても

 過言ではなかったりする。


 そんなことを考えながら僕は意を決し、熱々のコーヒーを口に含ませ喉の奥へと

 流し込ませる。


「うっ、美味しい…………」


 口に含んだ瞬間、今までのどのコーヒーでも味わったことのない濃密で爽やかな

 風味が僕の鼻腔を刺激した。それはコーヒー好きとして一家言ある僕といえど

 文句のつけようのない、まさに一級品の出来栄えであった。


「最高だ。今まで飲んできたコーヒーで一番美味しいよ」

「それは何よりです。そこまで仰っていただけるとはバリスタ冥利に尽きますね」


 口内への火傷の配慮を最小限に口へと広がった香りに酔いしれる。

 と今度は店の奥から再度夏目さんが姿を現した。


「どうやらうちの店のコーヒー、気に入ってもらえたようだね」

「ええとても」

「それは嬉しいね。では私からもサービスだ」


 そうして夏目さんはコーヒーカップの隣にフルーツケーキが乗せられたお皿を

 置く。


「いいんですか?」

「ああ。このコーヒーにはケーキがよく合うからね」

「では遠慮なく」


 差し出されたケーキを一口。

 これまた上品な甘さと優しいくちどけが癖になる味わいであり、何より紫ヶ戸さん

 の淹れたコーヒーと奇跡的相性マリアージュを奏でていた。

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