6・1週間前の話(その5)
ひゅ、と喉の奥で小さな音がした。
「だからエース様の世話をしろってか。控え投手に」
「そうは言ってないって! むしろ助けてよ、ピンチヒッター様」
「……」
「叶斗くんさ、いつもここぞってときにきっちりヒットを打ってくれてたじゃん」
神森の言葉に、少し心を揺さぶられる。
高校時代、大エース様の影に隠れて、めったにマウンドにあげてもらえなかった控え投手の俺。ただ、バッティングが得意だったから、試合にはほぼ毎回出させてもらっていた。あくまでピンチヒッターとして、だけど。
──「若井」
監督に呼ばれて、俺はゆっくりとネクストバッターズサークルに進む。
そこで素振りをしながら、頭のなかを空っぽにする。
大会だと、このあとウグイス嬢のアナウンスが流れる。「選手の交代をお知らせします。代打・若井くん」──
ここで打たないと意味がない。
ここで結果を出さないと、試合にすら出してもらえなくなる。
でも、大丈夫。
(俺ならできる)
俺だって「この子は神童だ」って言われてきたんだから。
そんなちゃちな自尊心を胸に、バッターボックスに立っていたあの頃──
「ねっ、ねっ! 叶斗くん、頼むからさぁ」
神森の声で、俺は我に返った。
「お願い、俺たちのことを助けてよ。あの頃みたいに力を貸してよ」
「俺からも頼む」
いつのまに戻ってきていたのか、大賀が俺の後ろに立っていた。
「できるだけ面倒をかけないようにする。どうかお前の家に住まわせてほしい」
レンジであたためたお茶をテーブルに置くと、大賀は深々と頭を下げてきた。
あの「大エース」が、本物の「神童」が──しかも今では本物の「神様」になっちまったようなやつが、礼を尽くすように俺に頭を下げている。
やめろよ、わけがわからない。お前が、俺に頭を下げるなんてどう考えたっておかしいだろう。
「頭をあげくれ」
「……」
「あげろ。引き受けるから」
「やった!」と弾んだ声をあげたのは神森だ。
大賀は、ゆっくり上半身を起こすと、まっすぐな眼差しで俺を見た。
「すまない、恩に着る」
「べつに恩とかいらない。昔のよしみってやつだ」
「じゃあ、これで決定だね!」
よかったねぇ、尊くん、と神森はほくほく顔をほころばせている。
大賀は、まだ俺を見ていた。その視線の意味を測りかねていたものの、考えたところで俺に理解できるとは限らない。
熱すぎるお茶を少しだけすすると、俺はコップをテーブルに戻した。
「よし、準備しろ」
「えっ、今日から尊くんを泊めてくれるの?」
「まあな。後日待ち合わせて──とか面倒くせーし」
いいか、と大賀に問うと、やつはのっそりとうなずいた。
「なにが必要だ?」
「着替えと洗面用具と、あとは……」
そうして、あれよあれよという間に準備が進み──
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