5・1週間前の話(その4)

「うわ……」


 マジだ。マジで尻尾が生えていやがる。


「触ってもいいか?」

「構わん」

「じゃあ、失礼して……」


 なんだこれ、毛並み良すぎじゃないか?

 フワフワツヤツヤで、これはずっと触っていたくなる。

 というか、これなんの尻尾だ? どうも犬っぽいけど──じゃあ、大賀って「犬の神様」なのか?


「もういいか」

「えっ……ああ、悪い」


 いつまでも他人に身体を触られていたくはないよな。

 手を離すと、大賀はズラしていたズボンを元に戻した。少し腰を揺すっているのは、尻尾のおさまりのよいところを探っているのだろう。


「この尻尾、見せたり隠したりできるのか?」

「ああ。だがずっと隠しているのは疲れる」

「隠すと霊力を消費するんだよね。だから、家では出しっぱなしにしているほうが多いってわけ」

「なるほど……じゃあ、隠すのは外出するときだけか」

「それと、事情を知らない人間がうちに来たときだな」

「ああ、たしかに……」


 こんなの、いきなり見せられたら普通はびっくりするもんな。

 つーか、俺なんて事前に写真を見せられていてもビビったけど。くそ、かっこ悪いな、さっきの俺。

 ひそかに自己嫌悪に陥っていると、大賀が「とりあえずあがってくれ」と居間のドアを開けた。


「このままここで立ち話もなんだろう」

「そうだね、玄関だもんね」



 2年ぶりにあがった大賀の家は、あいかわらずだだっ広くて、空気がひんやりとしていた。


「誰もいないのか?」

「ああ。両親は別荘で暮らしている」

「『別荘』って……」


 サラッとすごいことを言うよな、こいつ。ふつうの家はそんなもん持っていないんだぞ。

 けど、俺よりおしゃべりな神森がつっこまないあたり、こいつらにとっては当たり前のことなんだろう。やべぇ、住む世界の違いをまざまざと見せつけられたような気分。もっとも神様がどうのこうのって時点で、こいつらとは生きている世界自体が違う気もするけれど。

 居間には、見覚えのあるテーブルが置いてあった。懐かしいな、前に来たときは皆でここを囲んで遅くまでお喋りしていたっけ。


「尊くん、緑茶おねがい」

「いつものでいいのか」

「もちろん」


 大賀は、のそのそと居間を出ていく。


「すげぇな……神様がお茶を淹れてくれんのかよ」

「淹れないよ。ペットボトルの緑茶を、レンジでチンするだけ」

「は?」

「薄々気づいているかもだけど、尊くん、料理もダメなんだよね。それも壊滅的に」


 マジか……まあ、それほど驚きはしないけど。


「ちなみに掃除や洗濯よりも?」

「そっちのほうがぜんぜんマシだよ。高校時代、叶斗くんがさんざん叩き込んでくれたおかげでね」

「俺だけじゃねーけどな。新島とかのほうが、あいつの世話をやいていたんじゃねーの」

「そうかも……友成くん、女房役だったし。ただ料理はねぇ」


 俺も大賀も神森も寮生だったから、掃除と洗濯は最低限できる。このふたつは、自分たちでやらなければいけない寮生必須のスキルだったからだ。

 一方、ごはんは何もしなくてもありつける。つまり、寮生活において料理のスキルは必ずしも求められてはいない。俺自身、台所に立つようになったのは一人暮らしをはじめてからだ。大賀の料理の腕が壊滅的なのも、べつにおかしなことではないだろう。


「まあ、今の尊くんは朝ごはんを食べられれば問題ないから。毎日一食だけ作ってあげてね」

「おう──」


 って、ちょっと待て。

 なんで、あいつの面倒を見るのが確定事項になっているんだ?


「え、でも、さすがに納得したよね? 尊くんが神様だって」

「それはした。尻尾が本物なのもわかった。けど、面倒を見るかは別の話だろ。俺はまだOKを出してはいねぇ」


 俺の主張に、神森は「んー」と顔をしかめた。


「でも、ほら! 叶斗くんち、この家並みに広いし!」

「こんなに広くねぇよ。うちはただの古い一軒家だ」


 ちなみに、俺が今住んでいるのは、かつて母方の祖父母が暮らしていた家だ。ふたりとも高齢なので3年前から伯父さんちで暮らしているんだけど、家って人が住んでいないとどんどんダメになっちまうらしいので、今は俺が住まわせてもらっているってわけだ。


「いいじゃん、空き部屋とかあるでしょ」

「そりゃ、あるにはあるけど……」

「だったら問題なし! はい、決定!」

「いや、だから……」


 なんとか理由をつけて断ろうとする俺に、神森は「えー」と唇をとがらせた。


「ねぇ、なんで? なんでダメなの?」

「それは……他人と暮らすとか落ち着かねぇし」

「でも、友達じゃん。元チームメイトじゃん」

「そうだけど、俺、今、大学とバイトでめちゃくちゃ忙しいし」

「ああ──この間の飲み会もそれで来られなかったよね」


 そうなんだよ!

 だったら、わかるだろ? 大賀の世話なんて無理ってことくらい。

 なのに、神森は引き下がらない。


「そこをなんとか!」

「無理だって」

「でも、たった1ヶ月だけだし」

「『たった』じゃねぇよ、長ぇよ!」

「そんなことないよ、あっという間だって! それに、それにさ……」


 神森は、勢いあまったように俺の手を握りしめた。


「叶斗くんと尊くん、元ピッチャー仲間じゃん!」

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