第5話
商店街の一角に古美術商がある。看板の名前から『古井さん』と呼んでいる。彼女は強面で周りから誤解されているためか、近所からの評判は悪いことが有名な人だ。
店に入るなりごった返した荷物が置かれ、足の踏み場もないほど荒れていた。手で上手く物を動かして足の踏み場を作り、奥にいる古井さんへご挨拶に向かっていた。今日は珍しく古井さんから「珍しいものが手に入った」と連絡が来たので、さっそく来てみたというわけだが。
「あいかわらず、足の踏み場がないな。もう少し客へのねぎらいがあってもいいと思うのだが」
ひとり言を呟きながら倉庫がある奥の部屋へ移動していた。ふと、誰かに見られているような気配がした。不思議と、そのときは自分しかいなかったはずだ。それが壁と天井に近いところから見られているような…視線を感じたのだ。
私は立ち止ってそちらを見た。絵が飾ってあった。目を大きく開けた美少女の絵だった。
それはつい足を止めてずっと見ていたくなるほど華奢で美しく、誰よりも自分のものにしたいという欲が芽生えるほど美しかった。
ぼくはその絵をもっと近くで見たいと思い、物の上に足を付けてまで近づこうとした。
あと少しで手が届く、そこまで距離が縮まったときだった。
ふと足場が崩落した。もともと脆かった足場が倒れたのだ。ぼくは両手でなんとか頭から落ちるのを防いだが、左ひざを打ってしまった。痛みこそなかった。けど、ぼくはもう一度あの絵を見たいと思った。
絵を見た。だけど、その絵はぼくをあざ笑うかのように笑みをこぼしていた。ぼくはショックだった。絵なのに笑われているみたいで、バカらしく思えてしまった。
なんでこの絵が美しいなんて思ったんだろうか。ぼくはぼく自身に呆れて荒れた商品を片付けて、奥にいる古井さんへ会いに行った。
「その足、怪我をしたのか」
「え」
ぼくは足に目を向けた。ズボンを着ている布の上に水で濡らしたかのように広がっているのが見えた。その瞬間、忘れていたのかそもそも感じなかったのか、鈍い痛みが膝を襲った。
ズボンをめくってみると、真っ赤に染まり、鋭利な筒のようなものが刺さったみたいな感じで数ミリの穴ができていた。
「これは痛いやろ。いま救急箱とってくる」
事態に気づいた古井さんは救急箱がある隣の部屋に走っていき、ぼくはその辺にあったティッシュで血を拭いては痛みをこらえていた。消毒と包帯でなんとか出血は収まったけど、痛みはまだ続いていた。
「病院いくか?」
「そこまでしなくても平気です」
平気じゃなかったけど、親にバレたくはなかった。古井さんの店に立ち寄ったなんていったら、きっと怒られてしまう。古井さんは近所が噂をするような怖い人じゃなくて単に人見知りなだけであって、怪しい人たちやら不良のたまり場なんて言われる筋もない。
もっぱらぼくもはっきりと誤解を解きたいと感じているが、古井さんは『余計なことはしなくていい』という。古井さんの強面で言われたら黙ってしまう。うん、ぼくも弱い。古井さんみたいに人見知りで周りになじめない。ぼくも古井さんと同類なんだ、と。
「…それで、見せたいものとはどんなものなんですか」
古井さんはしばし考えていた。ぼくの怪我の具合を見るなり病院へ連れて行くかどうするか悩んでいたのかもしれない。古井さんは考えるのをやめ、ぼくの肩を貸してこう言った。
「今日は止めよう。今は怪我が第一だ。君を怪我したままで帰らしたら師匠に何を言われるのか想像しがたい」
古いワゴン車に乗せられ、ぼくらは病院へ向かった。そのあと、親には階段で転んだと言い訳をしてその日を後にした。
次の日、その見せたいものを見に行くと、古井さんは残念そうな顔つきで正面玄関の前で突っ立っていた。
「遅かったね」
「なにがです?」
察してはいた。古井さんの背中は寂しそうだった。
今しがた、古井さんが見せたいと思っていた商品は経った今売れたらしい。本当は昨日の時点で売却済みで、今日の朝方に取りに来る予定だったとか。それで、ぼくに連絡してさっそく見せたかったらしいが、不良の怪我もあったし、見せることはできなかったと。
「せっかく数万で買値がついたのに、まったくもったいないわ」
「売れたのですから、いいのでは?」
「あの絵はね、”眠れる美少女”というタイトルで売りに出されていたものだったんだ。つい数日前に師匠がネットで見つけて数千で買ったんだ。もちろん、いわくつきものだけどね」
古井さんは語った。あの絵とはなんなのかを。
「自分の娘を描いたものらしい。眠っている姿から”眠れる美少女”と」
そう言って手渡された写真を見てギョッとした。
それは昨日、見た絵だった。ただ、写真に写っているのとは違い、目はつぶっていた。
「買い手がね、”表情が変わる”っていうから興味を持ったのに、すぐに買い手がついちゃったんだ。今日持っていった人はコレクターでね。師匠のお仲間らしいんだけど、詳しくは知らない。ただ、師匠と同じで気に食わない人だよ」
古井さんはため息をついて、店の中へと消えていった。
ぼくは、あの絵を見て売れてよかったと思った。もし、あの絵がいまも店にあったらきっとぼくは古井さんを殺してでも手に入れようとしていたのかもしれなかったから。
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