転倒した男

@SIJ

第1話

 山間部の道路に男性が倒れている。

 男性は苦悶の表情で、焦点の定まらない視線を虚空に向けている。

「頭が痛い。」

 さきほどからこれしか考えられない。もう5分くらいになるが、頭痛のこと以外、頭に浮かばない。しばらくして、少しずつ思考が戻ってきた。

 何でここにいるのか。どうして倒れたのか。そもそも何で頭が痛いのか。

 ここで、ふと疑問が湧き起こった。

「自分の名前は…」

 怖くなってきた。何も思い出せない。怖さから飛び起きようとするも、少しだけ起き上がっただけで、鋭い痛みが走り、また動作が止まってしまった。

 周りに目を向けてみると、道路が前後に続いている。山の中腹なのか、左右は雑木林で覆われている。救いは、道路が広いおかげで陽は十分に差していることだ。

前方の道路の曲がった先から、誰かが歩いてくる。100m程先で、人間ということしか分からない。その人物が近づくにつれて、段々具体的に見えてくると、男性は言葉を失った。

 ピエロが歩いてくる。

 サーカス小屋で出てくる、あのピエロである。赤髪、付け鼻、白い顔と赤い唇。表情は見えないが、自分を見ながらこちらに近づいてくる。

 男性は急激に恐怖を感じた。しかし体が固まって動けない。そうするうち、ピエロが数mまで近づき、立ち止まった。

「グズグズするな、No.5」

 男性は思考が止まった。ピエロが続ける。

「早くしろ。また転んだのか?」

 私は転んだのか?ピエロと知り合いなのか?相手は、私の目を見ながら発言しているようだ。とりあえず、一番の疑問を口にした。

「私の名前は…?思い出せない」

 何だそんなことか、といった表情になり、ピエロは言った。

「お前の名前は『タイル』。『ランダムスタイル』の『タイル』だ。もう4度目だな。いや、5回目か。何も覚えてないんだろ?」

 また男性の思考が止まった。疑問が解消したのか?まったく頭に入ってこない。この理解不能な感じは、頭痛のせいなのか?…いや、情報量が多すぎるのだ。どうやら、記憶喪失は初めてではないらしい。名前に至ってはよく聞き取れなかった。

「とにかく早く来い。ボスが待ってる。」

 ピエロが踵を返して、先ほど来た道を進んでいく。来いと言っているし、どうやら自分は彼の仲間のようなので、ここに残る理由はないようだ。とりあえず、タイル氏はついて行くことにした。

 延々とつづく道かと思われたが、案外早く途切れ、視界が開けた。目の前に大きな灰色のビルが建っている。

 ピエロが中に入ろうとするので、さすがに声をかけた。

「ここは?」

 振り返ったピエロが言った。

「職場だよ。そしても、お前の家でもある。」



 大理石の入り口から広いロビーを進むと、重厚なドアが見えた。その向こうにエレベーターもある。いつの間にか始まった、くるぶしまで沈むカーペットに、一瞬、雪道がよぎった。どうやら私は、雪道を進んだことがあるらしい。

 ピエロはずんずん進んでいき、エレベーターに乗り込んだ。急いで自分も乗り込む。赤い壁のレトロ調の内装に包まれた個室が、最上階の15階を目指していることが、ピエロが押したボタンの点灯から分かった。

「15階に何がある?」彼との関係がよく分からないので、敬語ともタメ口ともつかない表現を使う。

「ボスだよ。ボスの部屋だ。お前を待ってる。」

「なぜ?」

「仕事の話だ。まぁ、お前にとって大事なのは、自分のことを思い出すことだろうがな。」笑っているのか、口角が少し上がっている。

「仕事?」

「泥棒」

「え?」

「泥棒。人から金品を盗む職業。ただし、暴力はなしだ。スマートに盗む。相手が盗られたことに気づなければ更にいい。」

 声が出なかった。泥棒?自分が?しかも、それを目立つ風貌のピエロが言っている。

「私が泥棒をしていたということ?」

 ピエロは少し考えて上を見ながら、「そうとも言えるし、そうでないとも言えるな。」

 エレベーターが開く。分厚い赤絨毯が左右に伸びている。相手が右手に進むのでついて行くと、『Elegant Departure』と文字通り綺麗に描かれた看板が目に入った。広いエントランスを抜ける時、ふと違和感を抱いた。

 誰にも会っていないのだ。正確には、ピエロはいる。だが、それ以外の人間はいない。この受付にも人の気配がしない。

 そんな思考を巡らせていると、茶色の扉に行き着いた。躊躇なくピエロが開けると暖色の部屋が見えた。中に入る。机の向こう側に、人がオフィスチェアーに座っているのが分かる。その人物、経営者風の五十代男性がゆっくり顔を上げる。

「やっと来たか、タイル。」笑顔でこちらを見ながら話している。「トータルにでも追われたか?」

「ボス、こいつ、また記憶なくしてるよ。」ピエロがボスのセリフを受けて答えた。赤い革張りのソファを促され、二人とも座る。

「そうか。その表情の理由が分かったよ。」ボスが腕を組んで微笑む。「時間はないが、少し遊ぼうか。ある種、謎解きだ。自分のことについて聞きたいことを言ってみろ。」

 分からないことはたくさんある。思いつくことを口にした。

「私の名前は?」

「組織のNo.5『ランダムスタイル』。略してタイルだ。」

「組織とは、泥棒の組織ですか?」

「そうだ。」

「私は何者ですか?」

「泥棒で、No.5『ランダムスタイル』だ。その聞き方だと、堂々巡りになるぞ。」笑う。

「ランダムスタイルとは、本名ですか?」

「最初、お前から名乗ったからな。むしろこちらが知りたいね。」笑い顔が、少しだけ真面目になる。「ただな、タイル。本名とは何だ?呼び方によって、お前の人格や人生が変わるのか?名が何であれ、人は人だ。シェイクスピアも言っている。『名前って何?バラと呼んでいる花を、別の名前にしてみても美しい香りはそのまま』。」

「それでは、質問を変えます。私はどのような人間ですか?」

「良い質問だ。まず、実直な人間だ。次に、綿密な計画を立て、人に説明するのが上手い。」

 泥棒の実直さが褒められるとは、皮肉な話だ。

「泥棒の計画を立てているのですか?」

「そうだ。いつ、どこから侵入し、どのような手段で盗むか。実に明確な計画を立てるね。」

「じゃあ、一軒家に忍び込むのは、どうやるんですか?」

ボスは少し考え、「それは、家の形状によるな。玄関や窓、塀の高さも関係あるし、細かいところで言えば、番犬がいるかどうかも計画に影響する。」

 素直に感心した。

「結構、考えてるんですね。」

「ヘマを打ったらパクられるからな。本気にもなるだろう。じゃあ、問題だ。」ボスが人差し指を立てて言う。「ここに泥棒に入ろうと思うマンションがある。20階建てだ。18階に入ろう。ワンフロアに2軒、玄関は向かい合わせに設置されている。エレベーターは中央に1機。1階のエントランスには防犯カメラがある。ここまで聞いて、お前ならどう入る?」

 少し考えて答えた。「横の階段でしょうか?」

「たしかにそれもできる。エントランスを通らずに横から入るわけだ。じゃあこうしよう。横の階段を上がるには、エントランスを通らなければならない。」

 こちらもいつの間にか腕組みをしている。しばし考えて答えた。「住みます。」

「『住む』とは、18階にか?」

「どこでもいいです。そのマンションの住人として暮らします。」

「防犯カメラに映らないという前提を崩す訳か」ピエロが言った。

「そうです。」ピエロにも敬語で話すこととした。「いまの条件で言えば、ワンフロアに2世帯、20階だと全体で40世帯が暮らしています。それらが全て容疑者として調べられても、相当に時間を稼げる。」

「その間に逃げればいい。」ボスがセリフを引き取った。私が頷く。

「1階の住人はいますか?」ふとした疑問を投げかけてみる。

「2世帯のうち、1世帯が空き部屋としよう。」

「なら、その部屋のベランダから室内を経て、マンションに侵入すれば、エントランスのカメラに映らなくて済みます。つまり、この件で入るのは、18階の部屋を含めて、計2軒です。」

 ボスが笑った。「即興にしては、なかなか面白いじゃないか。1階の部屋が空いているという条件の追加は、特に面白い。採用だ。」

 若干の間が空く。

「採用?じゃあ、実際に入ろうとしているマンションが題材だったんですか?」

「いや、お前の泥棒の構想じゃない。お前自身を採用する。」

 また若干の間。

「泥棒として採用。」独り言のように復唱する。

「そう。もちろん、先ほどの回答は、一般的なマンションに侵入する場合、かなりの範囲で適用できるだろうから、参考にはする。」微笑みながらボスが言う。「改めて、『Elegant Departure』へようこそ。」握手を求められる。

「ありがとうございます。」とりあえず、言葉に出した。

「よし。今日は休め。6階がお前の部屋だ。アカルイ、連れて行ってくれ。」ピエロに言っているところを見ると、アカルイは名前なのだろう。

「了解。行こう。」

 ピエロこと、アカルイが先に歩き出すので、慌ててついて行く。

「失礼します。」

 何とか、部屋を辞す前にボスに言った。



「ここがお前の部屋だ。まあ、初めてじゃなく、さっきまでもお前の部屋だったがな。」扉を開けながら、アカルイが説明する。「自由に使ってくれ。明日、呼びに来るから、ビルの周りも自由に散策していい。」

「分かりました。」中を見ながら返事をする。グレードが高めのビジネスホテルといった内装で、整然と使われていることが分かる。私は以前、整理整頓ができる人間だったとみえる。

「あと、」アカルイが言う。「自由に動いてもいいが、記憶をなくすのはなし。」笑う。「鍵はここに掛けとく。じゃあ、また明日な。」



 アカルイが、ボスの部屋に入ってくる。タイルを連れていった後、すぐに戻って来た。

「部屋に戻しました。」

「そうか。じゃあ、元の体制に戻ったな。」ボスがオフィスの椅子に深く腰掛け、さきほどと同じ体勢で、アカルイを見ている。「もう6回目か。」

「えぇ。『No.6』のランダムスタイル。」

「今回は、なかなか礼儀正しいじゃないか。」

「当たりでしょうね。しばらくは今回ので行きましょう」

「頭を殴られたら記憶を無くして、全く違う人格に生まれ変わる。しかし頭脳のスペックは同じ。」ボスが微笑む。

「記憶が溜まってきたら、殴って記憶を無くさせる。これで6回目。足が付きづらい、いいシステムですね。」アカルイも笑っている。

「あぁ、だが、性格だけは選べればいいな。」

「まぁね。だからこそ、『ランダムスタイル』ですから。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転倒した男 @SIJ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る