第5話 聖女様の思惑
私には大好きな彼がいる。
大切な存在であり、愛おしい存在。
でも、彼はそんな私の想いだなんてこれっぽっちも気が付いていない。
そんな鈍感なところもかわいいから……大好きだ。
少しぶっきらぼうな表情で私に魔力を与えるところやどこかつまらなさそうな顔で魔法の講義に出ているところ……全てが愛おしいと思えた。
自分でも狂っていると思う。
恋は盲目というが、まさにその通りなんだって思った。
それゆえに彼——エニシダを手に入れようと思った……思ってしまった。
聖女というちっぽけな立場なんてどうでもいいって思うくらいに……。
だから私――ミュウ・ルノワールは、禁忌を犯した。
絶対にバレてはならない秘密。
でも……仕方のないことでしょ?
だって彼のことを好きになってしまったのだから。
きっとその秘密を知られてしまった暁には……いや、秘密をバラしてしまう時は全てのことが繋がっているのだから。
こほん、今はそんなことを想像したって意味はない。
こんなにも狂わしくしてしまった彼がいけないんだからっ!
そもそもなぜ私がこんなにも彼のことを好きになってしまったのか。
彼の帰りを待つ部屋で私は彼のお気に入りの服を抱きしめる。
はあ……いい匂い。
そういえば彼のことを好きになった日もこんなことをした気がする。
いえ、彼のことを好きなんだと自覚した時だ。
それは孤児院で出会ったときだった——
●●★●●
私の父はワーフル教の教皇だ。
その一人娘として私は何不自由なく暮らしてきた。
ある日、父に連れられて教会の運営する孤児院を訪れた。暖かな春の風が吹き抜けて、わたしの持っていたハンカチが風に流されて飛んで行った。
お気に入りのハンカチを追いかけていくと彼と出会った……出会ってしまった。
彼は少しつまらなさそうに見たことない文字を地面に書いていた。
「何書いているのですか……?」
「……あんただれ?」
「ミュウ・ルノワールともうします」
「ふーん」
そう言ったきり彼はまた地面に文字を書き続けた。
第一印象は最悪だった。
彼の少しぶっきらぼうな態度はこれまで蝶よ花よと育てられてきた私にとってひどく頭にくるものだった。
私の存在自体が否定されている気がしたからだ。
私という一人の人間になんて全く興味がないんだと言われている気がした。
でも淑女たるもの寛大な心と慈悲の心で許してあげることにした。
じーっと彼に無言で抗議した。
でも、どれほどにらんでも私のことに気がついていないようだった。
「えーコホン」
「……なにまだいたの?」
「ふん」
「――っ!?」
流石の私でもカチンときてしまった。
気がついた時には、私は彼の頭を引っ叩いてしまっていた。
「なにするんだよ、暴力女!」
「やっと私のことをちゃんと見ましたね」
「は?意味わかんねー」
「何を書いているのですか?」
「……見てわかるだろ、魔法だよ」
「あなたは魔法を使えるのですか?」
「じゃなきゃ書いてない」
「……」
落ち着くのよ、ミュウ・ルノワール。
この殿方は私という可愛い存在に触れて内心緊張しているに違いないの。
だからそっけない態度をとってしまっているだけなのよ。
うん、きっとそうに違いない——
「あんた聖女なんだろ、さっき院長が話しているの聞こえた。その聖女様が魔法のことも知らないのかよ?ダッセーな」
「ふん」
「——っ!?なんで叩いたんだよっ!?」
「ふん、知りません!」
●●★●●
それから私は時々こっそりと孤児院を訪れるようになった。
当時、私は無愛想で無礼な男の子を見返したい一心で魔法の練習に精を出した。
その鍛錬の成果とでも言えばいいのだろうか。
いえ……私のことを丁寧に扱うわけでもお姫様のように接するわけでもないただの男の子に興味が湧いていたんだと思う。
気がついたら彼のもとで本を読んだり、彼の隣で覚えたての魔法をみせびらかしたり……かまってほしくて色々とアピールした。
でも彼は全然私のことをなんて気にしていなかった。
それがやっぱり新鮮に思えた。
教会に戻れば、蝶よ花よと……いえそんな言葉はふさわしくない。
鳥籠に入れられて飛ぶことのできない玄鳥のように私は不自由だった。
だから彼の元にいる時がなんだかとっても好きだった。
本当の私を見せてもがっかりするでもなく『聖女らしくしなさい』というお叱りの言葉を述べるでもなく……彼は普通に接してくれた。
そんなある日のこと——
「いつもお一人のようですが、お友だちはいないのですか?」
「ふん、俺にも友だちはいる……いや、もういないか」
「え?」
「なんでもない!急にいなくなったやつのことなんて知らない」
「そ、そうでしたか……」
きっとその子は良いご家庭に買ってもらえたのだろう。
どうやら突然、友だちが彼に何も言わずに孤児院から姿を消したと勘違いでもしているのかもしれない。でも私は彼のお友だちの行方を探すことはしなかった。
いや探すことなんてできなかった。
だってもしも探し出してお友だちに引き合わせてしまったら……きっと彼は私のことをかまってくれなくことがわかっていたから——
そんな醜い独占欲が私の心には湧き上がってしまった。
結局、そんな私の醜い心を見せる必要はなかった。
しばらくして彼の中で気持ちの整理がついたのだろう。
時々、彼はお友だちの話をしてくれるようになった。
初めて文字を教えてもらったことや一緒に肝試しに夜中抜け出したことなど……嫉妬してしまうほどに仲の良いお話をたくさん聞いた。
それからの日々は特に変わらなかった。
相変わらず私は教会でいろいろなお稽古をして、魔法も一生懸命に勉強をした。
勉強をしたそのあとにこっそりと教会を抜け出して、孤児院へと行った。
相変わらず彼は孤児院の隅でひっそりと座っていた。
そこで彼とおしゃべりをしたり、時には一言もおしゃべりせずにそれぞれの好きなことをしたりもした。
そんな毎日を過ごしていたある時のことだった。
何を考えているのか分かりづらい表情をした魔術講師の先生——ジョン・スミスが言った。
「ミュウさん、最近やけに私の魔法の授業にも真剣のご様子ですが、どのような心境の変化があったのですか?」
「別にありません、私は聖女としての役目をまっとうしたいだけです」
「そうでしたか、これは失礼なことを申し上げてしまいましたね」
「いいえ、さあ講義を続けてください」
「わかりました……と言いたいところですが、ミュウさん」
「なんでしょうか」
「あなたが最近、ご一緒にいる少年は魔法を使えるようですね」
「……」
ジョンは全てを見透かしていた。
私がこっそりと教会から抜け出していることも知っていた。
私は怒られるのが嫌で誤魔化そうとした。
でも、ジョンは柔和な笑みを浮かべた。
「別に教皇様には言いませんからご安心ください」
「……え?」
「私はただ魔法の素質を持つただの少年に興味があるだけなんです。だからその少年のことを教えてくれませんか?」
「……わかりました、私の知る限りのことをお伝えします」
ジョンに彼のことを話してからだった。
彼は急に姿を消したのだった。
私に何も言わずに忽然といなくなってしまった。
私の世界から色が消えてしまった。
●●★●●
私の世界から色が消えてから数年が経った。
単調でひどくつまらない毎日を過ごしていた。
そして聖女として魔王を戦うために——オールビール魔法学園に入学することになった。
何も期待なんてしていなかった。
だから……奇跡だと思った。
彼との再会。
しかし彼は全く私の存在に気がついていないようだった。
おかしい。
まるで私と一緒にいた時の記憶だけを失っているかのように……
それに彼が魔法の素養を持っているはずなのに、全くその気配を見せなかった。
そして何よりも彼はなぜか私を避けているように見えた。
だから私は彼が姿を消してからどんな人生を歩んできたのかこっそりと教会の暗部を使って調べさせることにしたのだが……うまくいかなかった。
勇者パーティとして魔王リリスの討伐に出発しなければならなくなったからだ。
だから私はとっとと魔王リリスを倒して早く彼の近くに戻りたかった。そして問いただしたかった。
『私のこと覚えていますか?』
その一言を言いたくて……
きっと『覚えているけど、恥ずかしかったんだ』
そう言ってくれることを期待していた。
だからこそ、私は聖女としての役目を早く終えてしまいたかったのだ。
でも物事というのはうまくいかないものだった。
魔王リリスと対峙してあっけなく敗北してしまった。
でも良かったのかも知れない。
だって魔王リリスのおふざけに付き合うことで——
私は彼を手に入れることができたのだから。
意識を取り戻した時には、全てが終わってしまっていた。
私と彼にかけられた呪いのこと、彼が秘密結社『暗部』の一員であること、私たちを常日頃裏からサポートしていたこと、そして何よりも……魔王リリスと彼がかつて同じ孤児院で育ったことを知ってしまった。
かつて孤児院で私に色をくれた彼の初めてのお友だちが魔王リリスだった。
彼にとっての初めてとして出会えなかったことが悔しくて……嫉妬した。
だから……魔王リリスさん。
あなただけには彼を渡したくないの。
それに私たちにかけられた呪いは好都合だった。
なぜならば私は魔法だけでなく呪術も使えるのだから——
「ふふふ、そろそろ私と彼の霊的パスも完全に繋がりそうだね」
早く帰ってこないかな。
ずっと待ているからね、エニシダくん?
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