第4話 聖女様のあづかり知れぬところ

 廃墟となった教会の一室。

 瓦礫と埃と土の匂いが混じった少し陰気臭い場所。

 

 かつては有名な魔法建築として観光場所となっていたらしいが、魔族との戦いで倒壊した。廃墟と化したそんな場所を買い取った物好きが師匠だった。師匠は何重にも魔法で結界を張って、ひっそりと暮らし始めた。


 孤児院から師匠の元に拾われた時にはすでに師匠はこの場所で暮らしていた。そのため、かれこれ数十年ほどは暮らしているようだった。


 師匠――ジョン・スミスは白髪の髪をきっちりとワックスで固めて、老紳士のようにスーツをビシッと着こなしている。

 いつも通り何を考えているかわからない表情で俺へと振り向いた。


「遅かったですね、エニシダくん」

「すみません、聖女様に捕まってしまって……」

「そうでしたか、ミュウさんとはうまくやっているようで安心しました」

「まあ、それなりにって感じです」

「そうですか」


 師匠は一瞬だけ柔和な笑顔を見せた気がしたが、すぐに何を考えているのかわからない表情に戻った。


「でもまさか師匠から『ミュウさんと暮らしなさい』と言われるとは思ってもいませんでしたよ」

「エニシダくんには申し訳なかったのですが、長く続く魔族と人間族との和平のためです。リリスさんの交換条件を飲む以外にありませんでした。それにリリスさんはエニシダくんのお知り合いとのことですから、無碍に扱うわけにもいきませんからね」

「と言っても、リリスとは孤児院で数年間しか一緒に暮らしていませんでしたけどね」


「それで良いのです」と師匠は小さく呟いた。


「でも、そのおかげでリリスのやつ俺と聖女様に呪いなんていう厄介なものをかけて楽しんでいるんだから……こっちとしては困りますけど」

「ははは、それはリリスさんなりのおふざけとして受け止めてあげてください。全ては——」

「バランスを取るためですよね?」


「ええ、そうです」と師匠は小さく頷いた。


 師匠の信念は、『世界のバランス』を取ることだ。


 師匠が組織する秘密結社は、『世界のバランス』を保つことを目的として、人間や魔族という種族の垣根を超えて、様々な種族から構成されている組織だ。


 そんな組織の方針は、人類と魔族のどちらの陣営にもくみすることもない中立な立場を貫く事だった。

 

 時には人類の方に加勢することもあれば、秘密裏に魔族と取引をして物資を補給することもあった。

 

 要するに人類と魔族どちらかが圧倒的に勝利してしまうことを防いでいた。

 

 俺はその組織で末端の所属員だった。

 ……今じゃあ、リリスの呪いのおかげでお荷物になってしまったわけだがな。


 だから俺はこれ以上師匠をがっかりさせたくなかった。


「師匠が言うならば、リリスのやつの言動は水に流します」

「気休めかもしれませんが……安心してください。呪いの類に詳しい人間をすでに手配しています。エニシダくんとミュウさんをつないだ呪いを解除するてはずは整えています」

「リリスにバレる可能性はありませんか?」

「問題ありません。リリスさんもいずれ解除されることはわかっているはずですからね」


 師匠は明後日の方向に視線を逸らした。

 おそらく今後のリリスの出方でも脳内で予想して、それに対する対策でも思い描いているのかもしれない。


 師匠が一度思索に耽ると時間がいくらあっても足りない。

 俺の知る限りにおいて、師匠は哲学者のようにとにかく何時間も考えて、飲み食いせずに思索することもあった。とてつもない集中力だ。


 だからもしも俺が師匠の演算している思考を邪魔しないならば、ずっとこの場で突っ立っていることになるだろう。


 しかし今日は師匠に付き合っている暇はない。

 この後、リリスに会うことにもなっているからだ。

 

「師匠!今日は呪いについて一つ気になることがあります」

「……どうかしましたか?」

「実は——」


 それから俺はこれまで以上にミュウへの魔力供給の頻度が増えたことを伝えた。


 師匠はどこか不思議そうに『それは興味深いですね。魔力の供給と需要は表裏一体です。ミュウさんの身体に異変が起きているのかもしれません。いずれにしても早急に呪いを解除した方が良さそうですね』と言った。


●●★●●


 師匠からの定期的な報告会を終えてから、俺はリリスの元へと向かった。

 すでに陽が落ちて、夜空には青い月と赤い月が昇っていた。


 魔法馬車に乗ってガタガタと揺られること数分。

 リリスの隠れ住んでいる屋敷にたどり着いた。


 オールビール王国と暗部の方針は自分たちの用意した屋敷にリリスを住まわすことだった。

 そのようにすることでリリスを監視したかったらしい。

 当然そんな思惑はバレバレだったわけだが、リリスは歯牙にもかけずに承諾した。


 一見貴族の屋敷のように見えるが、魔法によって結界が張られている。


 魔法の結界を潜り抜けると、色とりどりの花や珍しい植物が植えられているだだっ広い庭園が姿を現した。魔法によって自動で動かされているホースが植物に水を運んでいる。


 いつも通りの光景だった。


 しかしリリス自体から発せられる魔力の気配がない。

 どうやら屋敷内を含めて、無人のようだった。


 約束の時間はすでに近い。

 ……約束を反故にするつもりか。

 いや今頃、暗部の誰かがリリスを監視していることだろう。

 

 逃げ切ることができない以上、俺の約束をあえて反故にするわけがない。


 ……となると、いつものパターンか。

 誰かに絡まれているのか?

 前回は隣のワイン王国からの留学生の貴族から告白のために呼び出されたとか何とか言っていたが……さて、今回は誰から呼び出されたのか。


 いずれにしても仕事はこなさなければならない。

 ……仕方がないので屋敷内で待つことにした。


「リリス、お前何時だと思っているんだ?遅刻にも程があるだろう!」

「仕方ないでしょ、面倒な男に絡まれていたんだから」

「……お前まさかそいつのことを殺していないだろうな?」

「もう忘れたのかしら?あなたたちを呪った際に人間を殺生する制約を私自身にかけたでしょ?」

「その制約には、半殺しは含まれていないだろ!?」

「っち、細かいわね。半殺しにもしてないから安心しなさい。今後一生立たないけどね」

「何がだよっ!?」

「ふふ、ナニかしらね」

「……」


 色白腕を胸の前で組んで、リリスはぴこぴこと黒い猫耳を動かした。

 全く……この魔王様ときたら、自分勝手にも程があるだろう。


 てか一生立たないって……一体全体どこが立たないのかはしらないが、その男も気軽に見てくれだけでリリスをナンパしたのが運の尽きだな。


「それで今日も私との魔法契約を確認するのかしら?」

「ああ、だからとっとと魔力を水晶にかざしてくれ」

「ふん」


 リリスは面倒くさそうな表情を浮かべて、渋々といった感じで水晶へと小さな手をかざした。すると一瞬だけ紫色の光が発光したが、すぐに雲散霧消した。


「問題なさそうだな」

「ふん、少しは信用したらどうかしら」

「信じられるか!」

「同じ孤児院で育った仲でしょ?」

「……勝手にいなくなったくせによく言えるな」

「仕方ないでしょ。私だって自分がまさか前魔王の隠し子だったなんて知らなかったんだから……」


 リリスはどこか申し訳なさそうに呟いた。


 そういえば、あの頃——孤児院にいた頃もこんなことがあった気がする。

 俺が怒ってもプライドの高いリリスは絶対に自分の非を認めずにモゴモゴと口籠ることがあった。


 リリスはパッと顔を上げて言った。


「エニシダだって、人族の秘密結社に入って勇者たち側に付いたくせに」

「それは師匠に助けられたから恩返しのためだって言っただろ」

「そんなこと知らないわよ!ともだちだと思っていたのにっ!どんな時も最後まで私の味方でいてくれるって思っていたのにっ!」

「それは……」


 リリスはどこか幼い子供のようにプクッと頬を膨らませた。


 くっそ……俺だってリリスと敵対なんかしたくなかった。


 孤児院で出会ったかけがえのない友だちだったんだから——


●●★●●


 どうやらある日、俺は突然路地裏で眠っていたらしい。

 俺は自分自身のことがわからなかった。

 自分が何者なのか、どこで生まれて、両親はどんな人なのか……なんの記憶も持たずにいたのだという。


 実際に、今の俺も幼い頃の記憶は欠落したままだ。

 ただどこか別の世界にいた気がすることだけはおぼろげに覚えている。


 きっとその時の俺は、ぼーっとした表情で突っ立っていたのだろう。


 偶然通りかかった孤児院長が、珍しい衣服を身につけていた俺を見つけて引き取ったらしい。


 その衣服の印が『異世界からの来訪者』であることの何よりの証拠だったとかなんとか……院長はそんなことを言っていた。


 そんなこんなで孤児院で暮らすことになったわけだ。


 その時に、リリスとは孤児院で出会った。

 リリスは幼いながらに巨大な魔力を周囲に撒き散らしており、孤児院で浮いていた。

 いやそれだけではないだろう。

 リリスの容姿があまりにも浮世離れしていたこともその一因だった。


 孤児院内でリリスをめぐって男の間でケンカが起こったらしい。

 そんな様子を快く思わないのは、何も男たちだけじゃない。

 女の子たちも怒り狂ったらしかった。

 そして結果的にリリスは孤児院で浮いてしまったらしい。


 当然、俺はそんなこと知らなかった。

 それに言葉を覚えたかったこともあり、手当たり次第に孤児院内の人々に話しかけていた。

 

 もちろん、例に漏れずリリスにも話しかけていた。


 子供ながらの無邪気さでもあったのかもしれない。


『ねえ、文字おしえてよ』

『え……?わ、わたしに言っているの?』

『うん』

『ふーん、し、しかたないから教えてあげるっ!』


 そこからは簡単だった。

 リリスも子供だ。寂しかったのだろう。

 俺に言葉や文字を丁寧に教えてくれた。


 そして気がついたら、四六時中一緒にいるようになった。

 だからこそ、いやそれゆえにかけがえのない存在になった。

 

 もちろん、突然現れた得体の知れない俺という存在がこっそりとリリスと仲良くなったのが許せなかったのだろう。男たちからは恨まれ、女たちからはリリスに媚を売っている男とでも思われたらしい。


 気がついたら俺もまたリリスとともに孤立してしまった。

 だから、より一層、リリスのことを大切に思えた。

 

 リリスさえいれば他はどうでも良いとまで思ってしまった——


●●★●●


 どうやらいささかぼんやりとしすぎたようだ。


 リリスは怪訝そうな表情で言った。


「それで、今日はもう帰るのかしら?」

「まあな。聖女のことをほっとけないしな」

「ふん、彼女にたいそう入れ込んでいるのね」

「そんなわけあるかっ!てか、そもそもリリス!お前が余計な呪いなんてかけるから——」

「そんなこと知らないわ」


 ツーンとまたしてもリリスはそっぽを向いた。

 この女……全く反省していないらしい。

 何が魔王だ。

 年相応のたんなるわがままな女の子じゃないか。


「あーもういい。でも、これだけは言っておくぞ」

「……何よ?」

「これ以上、呪いの進行を早めるようなことはやめてくれ」

「……呪いの進行を早める?なんのことよ?」

「だから、聖女様の魔力が枯渇する進行を早めるなってことだ」

「知らないわよ、そんなこと」

「こっちだって四六時中、こっそりと聖女様に魔力を供給するのは疲れるんだからな?」

「何を言っているかわからないけど……大変だったのね」


 リリスはこれで話は終わりだと言いたげに、ソファーにふわっと座った。

 どうやらあくまでも魔力の枯渇スピードを早めている件については白を切るらしい。


 まあいい。

 師匠がいうには呪いの解除は近い将来ひっそりと行えそうだしな。

 立場が逆転した暁には、仕返しでもしてやるとしようう。

 勝手にいなくなった分も含めてこの魔王様にはきつい躾が必要そうだ。

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