第2話 聖女様が呪われてしまった日
俺――エニシダと聖女ミュウが奇妙な関係になる前のこと。
禍々しい負のオーラを周囲に撒き散らす魔王城内。
夕闇に紛れるようにして、ガザガサと少し慌ただしい雰囲気が静寂を壊した。
勇者パーティーはやっと城に入ってきたらしい。
随分と時間がかかったものだ。
まあ、そのおかげで魔王リリスと極秘に交渉することができたのだから万々歳か。
そんな呑気な思考をしている間にも勇者御一行様は血気盛んなオーラを撒き散らしていた。
先頭に立つイケメン――勇者ハルト・ミウラが叫んだ。
「魔王!ここまでだ!人間界への侵攻はやめろっ!!」
「私たちがあなたを止めてみせますっ!」と聖女――ミュウ・ルノワールも透き通る声が続いた。
聖女の横で白銀の長い髪の剣聖――シティスが剣を構えた。
「うん……倒す」
「とっとと終わらせよー」
剣聖の少し後ろで、赤く長い髪の魔法使い――ラミがいつものように軽い調子で言った。
対する魔王――リリスは、そんな勇者たちからの一方的な宣戦布告を黙って聞いていた。
数秒ほどして、黒い髪を靡かせて王座から立ち上がった。
猫族の黒い耳がぴくぴくとわずかに動いた。
その童顔に似つかわしくないほどの綺麗な笑みを浮かべた。
「ふふふ、遅かったのね。あなたたちが来る前に面白い人間とも再会できたことだし……少しくらいであれば遊んであげるわよ?」
おいおい、さっきと話が違うじゃねーかよ。
てかこの魔王様はなんで勝手に戦闘を始めようとしているんだ。
こっちは無用な被害を出さないためにわざわざ暗部の仕事として陰からお前に交渉しに来たんだ。
こんなところで勝手に英雄となる人類を殺されては困るんだよ。
世界を救った勇者たちにはこれから平和のためにさらに粉骨砕身してもらわなきゃならないんだから。
――って、くっそ戦闘を始めやがった。
流石に魔王城の屋根裏からこっそりと覗いている場合じゃない。
でも勇者たちに俺の存在――暗部の存在をバラすわけにはいかない……。
なんせ学園の旧友でもあり、そして何よりも勇者ハルトとの親友であり、今頃は学園に残って魔法の勉強に精を出していることになっているのだ。
だからこそ学園にいた頃から勇者たちが魔王城まで辿り着くまでの間、陰からずっと勇者たちを監視していたなんてことは言えるはずもない。
そのために同郷のよしみとして勇者に近づいたことも……バラすことになる。
はあ……さてどうしたものか。
●●★●●
「あら、止めに入るかと思ったけど遅かったのね?それにあなたが言うように本当に勇者は弱かったのね、エニシダ?」
「今この場で勇者たちに俺の存在を知られるわけにはいかないんでね……それよりも勇者たちと戦うなと言っただろ?」
「ふーん、知らないわ。そんなこと」
ボロボロの身体で地面で倒れている勇者たち。
その存在をひどくつまらなさそうな表情で見下ろしているリリス。
リリスは小さな声で「一応殺さないように手加減はしたのよ」と続けた。
全くといっていいほど意味のない配慮をしてくれていた。
しかしこれ以上は流石に看過できない。
とりあえず釘は刺しておいた方がいいかもしれない。
「あのなリリス。あんたがどれだけ強くても、流石に王国暗部や闇ギルド、それにその他の秘密結社全員を相手にするのは骨が折れるだろ?だからこれ以上勇者たちに手を出すな」
「ふん、言われなくてももう興味ないわ。でもそれだと……つまらないわね」
「何を言っている……?意味がわからん」
「あ、そうね、いいこと思いついたわ」
「な、なんだよ?」
「エニシダ、しゃがみなさい」「お前、言霊で俺を制御しようと――」「黙りなさい」「――っ!」
リリスのアーモンド色の瞳がうっとりとした。
くっそ、完全に油断していた。
魔法への耐性はあるが呪術への耐性までは持っていないぞ。
魔法が体系的に整った力であるが、呪術は不安定で超自然的な力だ。
そのため自らでコントロールできる魔法が一般的だ。
だからこそ運任せのような力である呪術を使えることはそれだけで特別な存在だった。
てかリリスのやつ呪術という稀有な力を使えることを隠していたのか。
そんなどうでもいいことを思っていると、身体からゆっくり力が抜け落ちてゆくのがわかった。と言っても、わかっていてもどうすることもできないが……。
リリスの方に倒れそうになると、リリスはニヤッと嫌な笑みを浮かべて言霊で『さあ、こちらにきなさい』と言って俺の身体を台座に誘導した。
これじゃあまるで操り人形じゃないか。
気がついた時には俺は台座に腰を下ろしていた。すぐに俺の太ももの上にちょこんとリリスが対面に座った。
この女……俺が抵抗できないと思ってふざけているのか。
リリスの端正で小さな顔が近づいてくる。
微かに甘い香りが鼻腔をくすぐった。
桜色の唇がゆっくりと動いた。
「ふふ、エニシダ。あなた、こういうこと初めてでしょ」
「――っ!?」
しっとりとする唇が接触した。
強引にこじ開けるように小さな舌が口内を蹂躙してきた。
こいつは何をしているんだ!?
「――んっ」
リリスから微かに漏れた声が俺の脳内を支配した。
くっそ小さな身体のくせになんて馬鹿力だ。
目の前が発光した。
魔法を使ったのかっ!?
いや、これも呪術の類いか?
記憶が浮き上がってくる――この嫌な感覚。
過去を覗く拷問系の魔法に近い呪術に違いない。
なぜリリスが……俺の記憶を覗き見る必要がある?
俺にまたがっていたリリスの身体が離れた。
唾液で口元がわずかに湿っている。
先ほどまでの身体の硬直から解放されたようだ。
咄嗟に口元を拭い、リリスから距離を取った。
リリスはなぜか嫌な笑みを浮かべていた。
「へーあなたとあの聖女、オールビール魔法学園で同級生だったのね?」
「……だからどうした?」
「ふーん、あの聖女の記憶もさっき覗いたんだけど……どうやら面白いことになったわね」
「は?意味がわからん。てか、こんなところで発情するなよな」
「ふふ、それにてっきりあなたの初めての口付けを奪えたと思ったのだけど……残念だわ」
「……何を言っている?」
リリスは少し残念そうに口を曲げた。
黒い猫耳がぴこぴこと動いて、リリスのアーモンド色の瞳がわずかに細められた。
「まあいいわ。そんなことより、あなたとあそこで眠っている聖女に呪いをかけさせてもらったから」
「……は?」
「だから、あなたと聖女に呪いをかけたから、これで人類を滅ぼすのはやめてあげる」
「おい、さっきと話が違うだろ!この際、俺のことはどうでもいい。でも聖女様には生きてもらわなきゃ困る。とっとと聖女様の呪いを解け」
「ふふ、そんなに殺気を放たないでよ。私たち幼馴染でしょ?」
「ふざけるな。元幼馴染だろ!突然孤児院からいなくなったと思ったら、勝手に魔王になって現れて――」
「私、人間界の学校に通いたかったの」
「……何を言っている?」
「だから、あなたと聖女様が通っている学園に通いたいわ」
「お前は魔王だろ。そんなことできるわけがない。そもそも――」
「じゃあ呪いは解除してあげない」
ツーンとリリスはそっぽを向いた。
かつて一緒に暮らしていた頃のように自分に都合の悪いことを無視する癖は直っていないらしい。
くっそ、勇者たちといいリリスといいどいつもこいつも想定外の行動ばかりをする。
とりあえず……師匠――ジョン・スミスに報告するしかない。
いつまでも勇者たちをこのままにしておくこともできないしな。
「先に言っておくが、学園に通えるか保証はできないからな!」
「ふふふ、わかっているわ」
リリスは納得したように微笑んで俺の上から退いた。
ほんと……勘弁してくれ。
この後しばらくして――人類と魔族は和平を結ぶことになった。
もちろん裏では俺と聖女様に呪いをかけるという……いわば人質と交換条件付きで交わされたものだったわけだが、世間はそれを知る由もなかった。
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