21話 来年を告げる鐘

 食事を済ませて外に出ると、家の中との寒暖差に体の震えが止まらなかった。

 テレビの中継で行き先の神社が人でごった返しているところを見た奏は表情を強張らせて緊張していたが、俺の様子を見るなり声を声を上げて笑った。


 あまりの笑い様に笑うなと抗議しようとしたが、口を開くと寒さで歯がガチガチと鳴り響き、声がブルブルと震える。

 余計に奏の笑いを誘うことになってしまった。


「——何とか、寒さになれてきたな」

「えぇ、面白かったのに……」

「面白がるなよ! こっちは真剣だったんだぞ!」

「だって千智ものすごく怒ってたのに、歯がカチカチ鳴ってて……あはははっ」


 思い出し笑いで涙を流す奏。

 これだけ笑う彼女を見るのは初めてだったからとても嬉しかったのだが、どうせならもっと他のことで笑ってほしかった。


 その後笑いが落ち着いた彼女は、目尻に溜まった涙を人差し指で拭った。


「はー、面白い。笑わせてくれてありがと」

「別に俺は何もやってねぇ」


 そんなこんなで気づけば神社の近くまでやってきていた。

 夜中だというのに人が溢れかえっていて、ざわざわと雑談する声が聞こえてくる。

 だが何より大きく聞こえてきたのは、除夜の鐘の音色だった。


「もう始まってるんだね」

「あと十分もしないで明日になるからな」

「ねぇ千智、もう少し近づいてみようよ。私、お坊さんが鐘を突いてるところ見てみたい」


 俺を見上げる彼女は、心なしか少しはしゃいでいるように見える。

 さっきの笑いで緊張が吹き飛び、尚且つ目の前の新鮮な情景に心が踊っているのだろう。


 彼女の喜ぶ様子がもっと見たくて、俺は彼女の言葉に頷いた。


「そうだな、じゃあもう少し近づいてみるか。人が多いからはぐれないように気をつけろよ」

「私はもう子供じゃない」

「別に子供扱いしてるわけじゃねぇよ。奏は背が低いから、万が一はぐれたら大変だろ?」

「子供扱いよりも酷い罵倒が聞こえたような気がするんだけど?」


 さぁ、一体何のことだろう。

 というか別に俺は奏の背が低いことが悪いとは一つも思っていない。

 それはそれで小動物みたいで可愛いし、俺よりも背が高かったら、俺にも男のプライドがあるので困る。


 だから奏の背が低いことはむしろいいことだと勝手に思っているのだが、どうやら本人はそう思っていないらしい。

 唇を尖らせて、明らかに不機嫌になっていた。


「じゃあ……ほら」


 すると、ムスッとした表情のまま奏は俺に手を差し出す。

 突然の出来事だったので、一瞬どうして彼女が手を差し出したのかよく分からなかった。


「もしかして、手を繋ぐってことか?」

「千智がはぐれるなって言ったんでしょ。だったら、私が千智の傍を離れないように、ちゃんと繋いでて」


 翻訳すると、彼女は『千智と手を繋ぎたいんだけど、繋いでもいい?』と言っている。

 そしてこれはきっと、俺の都合のいい妄想ではない。


 ……と、思う。(一応保険をかけておく)


 こういうツンデレなところが、奏の一番の魅力だった。


「あぁ、分かったよ」


 彼女の可愛さに頬を緩めながら、差し出された右手を俺の左手で包み込んだ。

 その際に指を絡めていく。


「ちょっと、これ……っ」


 デートの始めに少しだけした、恋人繋ぎ。

 捉え方によっては半歩だけかもしれないが、もうそろそろ次の段階に足を踏み入れたかった。


「ダメか?」

「……別に、ダメじゃない」


 奏の頬は寒い中だというのに赤く染まっていた。


「ありがとう。それじゃあ、行くか」

「うん」


 足を踏み出した瞬間、周囲の喧騒が耳朶を叩く。

 そこで初めて、俺はさっき周りが聞こえていなかったのだと自覚するのだった。



         ◆



 鐘に近づくにつれ、喧騒と人の多さが反比例していく。

 俺は奏を離さないように、しっかりと彼女の手を握る。

 しかしどれだけ近づこうとしても人が密集し過ぎていて、鐘を鳴らしているところを見ることはできなかった。


「——ごめんな、見られなくて」

「ううん、大丈夫。連れてきてくれてありがとう」


 近づくことが無理だと悟った俺たちは、少し離れた場所で鐘の音色を聞くことにする。

 幸い鐘は見えていたので、撞木しゅもくが鐘に打ち付けられる瞬間は見ることができていた。


「今年も、もうすぐ終わっちゃうんだね」

「あぁ。あっという間だったな」


 俺の今年の始まりは、奏と付き合ってからだった。

 その時まで何も交流がなかった俺たちだったのにも関わらず奏が告白してくれたときは、まるで奇跡だと思うくらいに嬉しかったのを覚えている。


 そこから紆余曲折あって奏と同棲することになったのだが、始めは俺が思っていたような同棲生活ではなかった。

 ほとんど会話を交わさない、交わしたとしても必要な話ばかりで雑談と言える雑談は皆無。

 それでも俺は何とか奏との距離を縮めたくて、日を重ねながら少しずつ奏と接してきた。


 そうした努力が実ったのか、付き合ってから半年を節目に急速に距離が縮まっていった。

 お互いの頭を撫でてみたり、雑談が増えたり、デートをしたり、こうして手を繋ぐようになったり。


 何より大きかったのは、奏の表情が変わったことだった。

 今でさえいろんな表情を見せてくれるようになったが、当時は二人きりでいるときでも無表情で、鉄壁の牙城を崩さずにいた。

 彼女の表情が変わるようになったということが、俺の中で一番距離が縮まったと思えた瞬間だった。


 今年は俺が生きてきた人生の中で、確実に一番濃い年だったと言える。

 そんな年と別れるのかと思うと切なくなってしまうが、来年は奏と一緒にもっといい年にしようと、一人静かに心に決めるのだった。


 ——今年を思い返している間にも鐘は鳴り続け……やがて百八回目の鐘の音が境内けいだいに鳴り響いた。


「……明けましておめでとう」

「あぁ、今年もよろしくな」


 優しく微笑む奏に、俺も微笑み返すのだった。

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