19話 形勢逆転

「——ねぇ、千智」


 優斗と鈴花が帰り、忘年会の後片付けや寝る準備などを全て終えると、ベッドの上で奏が口を開いた。


「ん?」

「その……私、さっき鈴花さんに千智を好きになった理由を話したでしょ?」

「あぁ。取り乱しちゃってごめんな」


 奏だけならまだしも、その場に鈴花や優斗もいる中で号泣してしまった。

 アルコールが入っていたとはいえ、いま思えば何をしていたのだろうと羞恥でいたたまれなくなってしまう。


 先程の醜態を思い出して苦笑すると、奏は首を横に振った。


「ううん。号泣するまで千智を頑張らせた私が悪いんだし」

「奏は何も悪くないよ。俺が頑張りたくて頑張ったんだから」

「ありがとう。……でさ、私が千智を好きになった理由を話したから……千智が、私を好きになった理由も、聞いておきたいな、って」


 恥ずかしそうに顔を赤くして目を伏せる奏。

 確かに俺も、どうして奏を好きになったのかを話したことはない。

 奏にだけ話させて俺だけ話さないのも不公平だし、せっかくだから話すことにしよう。


「俺が奏を好きになった理由は、奏が俺を好きになった理由みたく大層なものじゃない。所謂『一目惚れ』ってやつだった。でもきっとそれだけだったら、付き合ってからここまで辛抱強く奏と距離を縮めようとは思わなかっただろうな」

「どういうこと?」

「一緒に暮らす中で奏の顔や姿だけじゃなく、内面まで好きになったってことだ」


 例えば、優しいところ。


 俺が調子にのって奏をからかったり何かをやらかしても、怒ることなくそれを受け入れてくれる。

 もちろん拗ねたり不機嫌になったりはするが、本気で怒ったり嫌がったりすることは一度もない。


 そんな優しいところが、好き。


 例えば、献身的なところ。


 掃除や洗濯、料理など、奏は大学があるのにも関わらず勉強の合間を縫って全ての家事を請け負ってくれている。

 それも、文句を言わずにだ。


 普通なら全てを一人でやることは難しいし、何より面倒くさいだろう。

 影では俺に少しかやってほしいと思っているかもしれない。

 それでも奏は、俺が仕事でほとんど家にいられないから気を遣って全ての家事をやってくれている。


「それは違うよ」

「えっ?」


 俺が奏を好きになった理由について話していると、急に奏が声を上げた。


「家事は確かに面倒くさいって思うときもあるけど料理は楽しいし、掃除と洗濯も苦じゃない。その……千智が『ありがとう』って、言ってくれるから」


 不意に染まった奏の頬とその言葉に、何故か鼓動が早くなる。


「そ、そうか……えと、もう一つ理由があるんだけど、言ってもいいか?」

「あっ、うん。遮ってごめん」

「別に、大丈夫……」


 急にどうしたんだ?

 今まで奏の照れくさそうな表情を見ても可愛いくらいにしか思っていなかったのに、何故かドキドキが止まらない。


「どうかした?」

「あっ、いや。なんか奏の顔を見てたら、自分が自分じゃなくなったような気がして……」

「大丈夫?」


 心配そうに俺の顔を覗き込む奏。


 意識せずに縮まる彼女との距離。


「っ——!?」


 彼女と目が合うと、一気に顔が熱くなる。

 まるで磁石の同極が互いに反発し合うかのように、俺は仰け反って奏と距離を取った。


「だ、大丈夫! 大丈夫だから、ちょっと離れてくれ……」

「なんで?」

「俺も、よく分かんない……」


 息が荒くなっていることにようやく気づき、俺は意識して深く息を吸う。


 なんだ、いつも恥ずかしがるのは奏の方だったのに。

 どうして今は俺の方が恥ずかしがってるんだ?


「……ご、ごめん。最後の理由、言えそうにない」

「えっ、どうして? どこか具合でも悪くなった?」

「いや、そういうわけじゃ……」


 振り返ると、奏が徐々にこちらへ近づいてきていた。


「ちょっ、奏?」

「顔も赤いし、熱でも出たんじゃないの?」

「で、出てない! 出てないから近づかな——」


 奏から距離を取ろうと仰け反り続けていると、体制を崩してしまった。


 ベッドに上半身が背中から落ちる。


 真上では俺の顔の横に両手をついた奏が心配そうに俺を見つめていた。

 しかし、その表情は段々と呆けていく。


「千智、もしかして恥ずかしいの?」

「ち、違っ、そういうわけじゃ……!」


 こんな反応をしていれば、口に出さずとも恥ずかしいと自ら言っているようなもので。

 奏の表情はやがてにっこり笑顔に変わっていった。


「なんか、千智が恥ずかしがってるの新鮮かも……可愛い」

「か、可愛いとかっ言うな!」

「だって本当に可愛いんだもん」


 奏の手がするすると俺の頭に伸びてくる。


「やっ、いま頭撫でられたら、やばいから……っ」

「なんか千智のこと、もっと好きになっちゃったかも」

「っ……もう、勘弁してくれ……」


 そんな俺の訴えも儚く散り。

 奏の気が済むまで、俺は彼女に可愛がられるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る