10話 あーん

 店内に入れば、木目調の茶色が視界を埋めた。

 人目につかない立地ということもあってか客はまばらで、その中でもシングル層がほとんど。

 故にうるさい会話も聞こえなければ、店内BGMには静かなジャズの音楽が流れている。

 照明も必要最低限に抑えてあって、とても落ち着いた雰囲気を醸していた。


 店員に案内され、俺たちは店の奥の席に向かい合わせで腰をかける。


「落ち着くね」

「あぁ。案外ここで正解だったのかもな」


 人混みが嫌いというわけでもないが、二人一緒にいるとどうしても奏が周りを気にしてしまう。

 俺自身も騒々しい場所よりかは落ち着いた場所の方が居心地よく感じるので、適度にお互いの空間を感じ合えるこの雰囲気がとても心地よかった。


「奏は何食べる?」


 言いながら、俺はスタンドに立てかけてあったメニュー表を奏に渡す。


「あっ、ありがとう。千智は何食べるの?」

「折角だから、ナポリタンを食べてみようと思って」

「そ、そうなんだ……」


 この前に奏が作ってくれたナポリタンはとても美味しかった。

 というより奏の作る料理は何でも商品として成立するくらいには美味しいので、ナポリタンもその例外ではなかったのだ。

 その奏が参考にしたナポリタンの本家はどんな味なのか、気になってしょうがなかった。


 それはそうと、また奏の返答がぎこちなくなかったか?


 視線を向けてみるが、特に彼女はおかしな素振りも見せずメニュー表とにらめっこしている。

 気のせいだったかと頭にハテナマークを浮かべていると、やがて彼女が視線を上げた。


「じゃあ、私はカルボナーラにするかな」

「ん、分かった。店員呼んでもいいか?」

「うん、いいよ」


 奏が頷いたのを見て、俺は店員を呼び出すためのボタンを押した。


 ……さっき店に入ってくるときもぎこちない気がしたんだが、一体何かあったのだろうか。


 ――店員に商品を注文した後、俺は奏に聞いてみることにする。


「なぁ、奏」

「ん?」

「いや、店に入ってくるときと料理を決めてるときに、奏の返事がぎこちなく感じたから、何かあったのかなって」

「えっ? ……あぁ、なんでもないよ」

「そうか?」

「うんうん」


 コクコクと何度も頷く奏。

 何かを隠しているのがあからさますぎて滅茶苦茶気になるんだが……まぁ無理に聞くようなことでもなさそうだし、ここは気にしないでおこう。


 そうして待つこと約十分。

 俺たちの目の前にナポリタンとカルボナーラが現れた。


 それぞれフォークを手に取り、合掌する。


「いただきます」


 挨拶を済ませると、俺は早速ナポリタンをフォークで絡め取って口に入れた。


「ん、美味しいな」

「お、美味しいの……?」

「あぁ。トマトの酸味が効いてるし、ソースもパサついてない。パスタもモチモチしてるし、俺好みの硬さだ」

「そう、なんだ……」


 俺はパスタ通でもなければ舌が肥えているわけでもないので一概にそうとも言い切れないが、このナポリタンはかなりレベルが高いと思う。

 味、歯ざわり、舌触りのバランスがとてもよく、俺の中で評価はすごく高かった。


 でも……。


「でも俺は個人的に、奏の作ったナポリタンの方が好きだな」

「えっ……?」

「ほら、俺って濃い味の料理があんまり好きじゃないからさ。奏の作ってくれるあの優しい味が一番食べやすいし、もっと食べたいってなるんだよな」


 確かにこのナポリタンも美味しい。

 でも俺の好み的に、今回は奏の作ってくれたナポリタンに軍配が上がった。


 奏の作る料理は、いつも優しい味だ。

 料理が持つ魅力を損なわずも食べやすい味を見事に完成させていて、何の抵抗感もなく口に入ってきてしまう。

 そのおかげで食べ過ぎてしまうことがほとんどだ。

 食べ慣れているというのもあるのだろうが、だからこそ奏の味が俺は大好きだった。


「そ、そっか……」


 ふと奏を見ると、彼女はどこか安堵したような表情を浮かべている。

 思えばさっきからずっと俺の食べるところを見ていたし、そのせいか全くカルボナーラが減っていなかった。


「……もしかして、今まで『こっちのナポリタンの方が美味しいって言われたらどうしよう』って思ってたのか?」


 だとすれば先の返答でぎこちなくなってしまうのも分からなくはない。

 その不安があったから、俺に本家のナポリタンと自分のナポリタンを比べてほしくなかったのだろう。


 そう思えば全ての辻褄が合うが……。


「な、何言ってるの? そんなわけないでしょ」


 どうやら図星のようだ。


「じゃあ、どうして今ホッとした顔をしてたんだ?」

「ホッとした顔なんかしてないしっ」

「おまけに声も震えてるけど」

「う、うるさいうるさいっ」


 顔はもちろん耳まで赤くしてツンツンする奏。

 地味に周りを配慮して声を潜めているのも相まって、どうしてもニヤけが止まらなかった。


「ごめんごめん。ほら、奏も食べてみるか?」

「た、食べる……けど、自分で食べられるからっ」

「いちいちフォーク渡すのもめんどくさいだろ? 俺が食べさせてやるから、口開けて」

「めんどくさくないからっ。何なら千智が私に食べさせる方がめんどくさいからっ」

「もう口元まで持ってきてるんだからさ、ここまで来たら、あーんさせてくれよ」


 この雰囲気を利用して、俺は「あーん」を試みる。


 奏は俺が何かをせがんだり駄々をこねたりすると、大抵の場合は一度それを拒否するのだ。

 ツンデレな性格の彼女にはそれが当たり前であり、時にはそれが長い間続くこともある。


 しかし、彼女はツン

 どんなにツンツンしていても、最後には……。


「一回……一回、だけだからね」


 こうしてデレてくれる。


「やった」

「他にお客さんもいるんだから、本当に一回だけだよ」

「分かってる分かってる」


 承諾も得たことだし、改めてパスタが絡みついたフォークを奏の口元に差し出す。

 奏はそれを数秒凝視した後、何かを決心したかのように目をきゅっと瞑ってパスタを口に入れた。


「どうだ、美味しいだろ?」

「……あんまり、味、分かんない……」


 茹でダコのように顔や耳、首元まで真っ赤にした奏は、ぷるぷると震えながら言葉を零す。


「ん、そうか……。だったら、もう一口食べるか?」

「へっ?」


 再びパスタを絡め取って奏に差し出す。


「いやいや、一回だけって言ったでしょっ」

「でも味分かんなかったんだろ? なら分かるまで食べないと、食べてる意味がないだろ」

「ただ私にあーんしたいだけでしょっ」

「そんなことないって。ほらほら」

「も、もう勘弁して……!」


 ――ここまで騒ぎ立てていれば、案の定周りは複雑そうな視線を俺たちに向けてきた。

 奏は最終的に涙目になり、俺は必死になって謝り倒したらしい。


 さて、ここから俺は彼女の機嫌を直すことが出来るのだろうか。

 そもそも、ここからどうやってデートの雰囲気を立て直すことが出来るのだろうか。


「立つ鳥跡を濁さず」ということわざに倣って、俺はナポリタンを食べながら必死に脳を回転させるのだった。

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