9話 二つの欲しいもの
結局、あれから俺たちは手を繋いでいなかった。
正直に言うと手を繋いでデートをしたかったのだが、あんなことがあった後だ。
きっと奏も意識しているだろうし、何より先のやり取りで奏の想いを再確認することが出来た。
だから、今はそれを信じて我慢してみようと思う。
いつか奏と素直に触れ合えるようになるまで。
……と手を繋がないことはいいものの、どうやら隣にいる彼女は手を繋いでいなくても居た堪れない様子だった。
こうして街中を歩くだけでも、彼女は怯えた猫のように周囲をキョロキョロと見回している。
俺はそんな彼女に、からかうように言った。
「奏、緊張しすぎ」
「だ、だってあんなこと言われたら意識もするでしょ……!」
「でもそしたら、極端に言えばこうやってデートしてるだけでもあんなことを言われるんだぞ?」
「そ、それはそうかもしれないけど……」
「そうなったら、デートやめるか?」
「それは……やだ」
五十センチメートルくらいあった俺たちの距離が三十センチメートルくらいまで縮まった。
本当に俺の彼女は可愛い、いや可愛すぎる。
「……何にやにやしてるの」
「いや、奏は可愛いなぁと思って」
「なっ……そんなに正直に言わないでっ」
「じゃあ『可愛い』って言わないほうがいいか?」
「そ、それは……っ」
奏は複雑な表情で逡巡している。
その様子も可愛くて、思わず声を上げて笑ってしまった。
「わ、分かってていじわるしてるでしょっ」
「ごめんごめん」
「……ばか」
俺から視線を下げた奏は、少し頬を膨らませてごちる。
もしかしたら俺、攻められるよりも攻めるほうが好きなのかもしれない。
もちろん、奏限定で。
「それはそうと、昼はどこで食べる? 奏は何か食べたいものとかあるか?」
「私はどこでもいいけど、千智は?」
「ぶっちゃけ俺もどこでもいいんだよなぁ」
「出てくる前に決めればよかったね」
「まぁでも、目的もなく外に繰り出すのも良いものじゃないか?」
「確かに。目的がない分いろんな景色が見えるっていうか? 今まで知らなかった穴スポットにも出会えるかもしれないしね」
お互いに今すぐ何かをお腹に入れたいというわけでもなかったので、俺たちは引き続き宛のない旅をする。
騒々しい大通りを歩いて街ゆく人々を観察したり、喧騒から切り取られたような裏路地に入って二人の空間を感じたり。
柴犬を連れたおじいさんに断って、その柴犬を撫でたりもした。
幸せそうに柴犬を可愛がる奏の顔は純粋な笑顔に染まっていて、見ているこっちまで幸せな気持ちになった。
「犬、好きなのか?」
柴犬とおじいさんに別れを告げたあと、再び裏路地を歩き出しながら俺は奏に問いかける。
「うん。飼ってみたいって思ったこともあったけど、
「じゃあ、今度ペットショップにでも行ってみるか?」
「……飼っていいの?」
俺の提案に、奏の瞳の輝きが増す。
いつもはクールな彼女がこの時だけ幼い少女に見えてしまって、急なギャップの不意打ちに面食らってしまった。
「あ、あぁ。犬一匹増えても生活が十分回るくらいには蓄えてるからな。それなら、クリスマスプレゼントは犬にするか?」
「あっ、いや、クリスマスプレゼントは別で欲しい。……いい?」
「構わないぞ。それにしても珍しいな、奏が二つも欲しがるなんて。クリスマスプレゼントはクリスマスプレゼントで何を買うのか決めてあるのか?」
「まぁ、一応ね」
いつもの奏なら、きっと俺に遠慮してどちらか片方にしていたはずだ。
それでも両方ほしがるということは、それだけ犬も、奏が決めたクリスマスプレゼントも手に入れたいのだろう。
「何を買うんだ?」
「それは……内緒」
「むぅ、そっか」
まぁ、いま分からなくても買うときに分かるだろうし、ここは無理に追求しないでおこう。
彼女にも何か理由があって内緒にしているのかもしれないしな。
「あっ、ここ……」
話が一段落したその時、急に奏が足を止めてある建物に目を向けた。
彼女の視線を追っていくと、そこには小さな飲食店らしきものがあった。
建物の側にあるスタンド看板を見るに、どうやらここはパスタ専門店らしい。
「ここがどうかしたのか?」
「ほら、この前の夜にナポリタンを出したでしょ? その時のレシピに、ここのお店のを参考にしたから……」
「見覚えがあったってわけか」
俺はジーンズのポケットからスマホを取り出し、現在の時刻を確認する。
時刻は約十三時。
「じゃあ、今日の昼はここにするか。少し歩いて腹も減ったし」
「……うん、分かった」
俺の意見に、奏が同意する。
しかしその返答はぎこちなく、俺は少しだけ疑問を抱くのだった。
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