3話 贅沢な悩み
「よっ、千智」
昼休憩に入り仕事を一段落させた俺がデスクで伸びていると、ふと後ろから声をかけられる。
振り返れば、そこには同期の
「優斗か、お疲れ」
「お疲れ。千智の方は一段落ついた感じか?」
「何とかな。まだやることはたくさんあるけど、このままいけば今日は久々に定時で上がれそうだ」
昨日は奏を心配させてしまったし、なるべく早く帰りたかった。
……というのは半分嘘で、実は甘えることに味を占めてしまったから早く帰って甘えたいというのもある。
まぁ、それを奏が許してくれるかどうかは分からないが。
どちらにせよ早く帰りたいのには変わりないので、それを目指して仕事を頑張ってきてよかった。
久々に、奏との時間を長く過ごせそうだ。
「いいなぁ。俺なんか午前中のノルマほっぽりだして来たぜ?」
「マジかよ。仕事終わらせてから来いよ」
「ほら、『腹が減っては戦が出来ぬ』ってよく言うだろ? 俺もうペコペコでさ。だから外に食べに行こうと思って千智を誘ったわけ」
「あぁ。それなんだけど……」
実を言うと今日は講義の時間が遅いからということで、奏が弁当を持たせてくれていたのだ。
なので生憎、優斗と昼食を一緒にすることは出来ない。
それを伝えるべく言葉を続けようとしたその時だった。
「あれ、二人とも外食行くのー?」
そんな声とともに、これまた同期の
その足取りは、どこか活き活きとしているように見える。
「おうよ。鈴花も一緒に行くか?」
「行く行くっ。そのために声かけたんだから」
「いや、あの……」
「じゃあどこに行く? また近くの牛丼屋にするか?」
「今日は久々に駅近の喫茶店にしない? あそこのBLTサンドが食べたくなっちゃってさぁ」
ちょ、ちょっと……。
「でもあそこ高いじゃんか。俺いま財布カツカツだから勘弁してくれよ」
「えぇー、しょうがないなぁ」
俺を置き去りにして駄弁りながら歩みだす優斗と鈴花の背中に、俺は困惑しながらも声を荒げるのだった。
「お、おい、ちょっと待ってくれよ!」
◆
「――まったく、弁当があるならあるって最初から言ってくれよ。せっかく外食の気分だったのに」
「すまん」
あのあと優斗と鈴花を呼び止めた俺は、二人に外食についていけない
そして今は職場のフリースペースで一緒に昼食を取っている。
こうして文句を言いながらあんぱんを頬張っている優斗だが、実際こいつは自ら俺と一緒に食べることを選んだのだ。
外食に出てもいいのにわざわざコンビニ食を選んでいる辺りも、ツンデレ度合いは奏といい勝負になるかもしれない。
「愛妻弁当なんて羨ましいもの食べやがって、このこの〜」
「おい、勝手に関係を進めるな」
優斗の文句に便乗して鈴花も俺を茶化しに入る。
こいつ、こういう恋バナ大好きなんだよな。
これまで何度茶化されてきたことか……。
「そういえば、今月で付き合い始めて半年だっけか?」
「あぁ」
「大学を卒業するときに、一つ下の後輩に告白されたんだよね」
「そう、なんだけどなぁ……」
そう。
俺は奏に告白された身なのだ。
きっと、好きになったのは俺の方が先なのだろう。
彼女が大学に入学してきて、俺は彼女に一目惚れをした。
大きな藍色の吊り目に黒光りした綺麗なロングヘア。
いつも無表情で、他人に笑顔すら見せないミステリアスさ。
彼女の全てが俺好みで、そんな彼女とお近づきになりたいと俺は思った。
でも彼女は一向に振り向いてくれなかった。
どれだけ話しかけても無視されるし、ようやく口を開いてくれたと思えば、そこから出てきたのは「そう」というひらがな二文字だけ。
どれだけ会話が噛み合っていなくても彼女は「そう」しか言わないし、
俺ではきっと、彼女の隣にはいられない。
どれだけアプローチしたって、彼女の気分を悪くしてしまうだけ。
そんな思い込みがいつしか諦めに変わり、何も進展がないまま俺は晴れて卒業することになった。
しかし、卒業式が終わった放課後。
仲のいい友達と記念写真を撮り、見送って静まり返った校舎前で。
何の予兆もなく、俺は奏にただ一言「好き」だと言われた。
「何? なんか煮えきらない返事だね」
俺の返答の仕方が気になったのか、不思議そうに首を傾げる鈴花。
優斗もあんぱんを食べる手を止める中、俺は贅沢な悩みを吐露した。
「実は、まだカップルがするようなスキンシップがほとんど出来てないんだよな」
「スキンシップって、例えばどんな?」
「手を繋いだり、ハグをしたり……キス、をしたり?」
「なに最後ちょっと恥ずかしがってんだよ」
「うるせぇ」
こちとら真剣に悩んどるんじゃ。
「え、待って。付き合ってもう半年も経ってるのにハグとかキスが出来てないの?」
「出来てないっていうか、一方的に拒否られてるっていうか」
一方、鈴花はちゃんと話を聞いてくれている様子。
サンドイッチがほとんど減っていないのがちょっと気になるが、相談に乗ってくれそうなのでスルーしておくことにしよう。
「いいじゃねぇかそれくらい。彼女が出来ただけありがたいと思え」
「それはごもっともなんだけどさ、やっぱり出来たら出来たでそういうことをしたい欲求に駆られるのよ」
「お前は高校生か」
「私はその気持ち分かるよ、千智」
「分かってくれるか、鈴花!」
優斗のツッコミを声量でなかったことにする。
彼女のいないこいつにとってこの話はまだ早すぎたようだ。
「つまるところ千智はもっと彼女さんとスキンシップがしたいんだけど、彼女さんがそれを拒んじゃうから困ってるってことでいいんだよね?」
「あぁ、そういうことだ」
「なんでなんだろうね。お弁当まで作ってくれてるから彼女さんが千智のことを好きなのは間違いないと思うんだけど」
「ただ単純に恥ずかしいからってだけなのかもしれないけどな。現にあいつそう言ってたし」
でもどこか引っかかるんだよな。
恥ずかしくても俺のことが本当に好きなら迫ってきてくれるはずだし。
いや、俺がそう思うだけで奏にとってはそうじゃないのか?
「ならやっぱり千智の押しが足りないんじゃないのか? 男ならガツンと行けガツンと!」
ツンデレだ。
さっきまで不機嫌そうにしてたのに結局なんやかんや相談に乗ってくれてる。
やっぱりこいつツンデレだよ。
「私も千智の話を聞いてる限りは優斗の意見に同意だな。既に成就してる恋なんだから、もう少しくらい強めに押したって嫌われたりしないと思うよ」
「そうなのかなぁ……」
これでも成就する前よりは十分強めに押しているはずなんだけど、まだ足りないのか。
そもそもこのまま押し続けたとして、奏は果たして折れてくれるのだろうか。
あの拒否の様子だし、そう簡単には折れてくれなさそうだが……。
「とりあえず、もう時間だから俺は仕事に戻るよ。相談に乗ってくれてありがとな」
「俺も早く仕事を終わらせないと残業が……」
いま切り上げないと、きっと定時には帰れない。
どうしたらスキンシップを増やせるかを考えることも重要だが、今は奏との時間を作るために仕事に集中することにしよう。
俺と真っ青な顔をした優斗は席を立ち、仕事に戻るためフリースペースを後にするのだった。
「えっ、ちょっと待って! 私まだほとんど食べてない!」
――鈴花の悲痛な叫びを聞きながら。
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