2話 MISSION:頭を撫でろ
――俺こと中村千智には、自分と釣り合わないほどに可愛い彼女がいる。
その彼女の名前は藤澤奏。
いつも真顔で無愛想な表情をしているが、その実優しい心の持ち主だ。
でも、大抵の人はそれを知らない。
それは単に、彼女がツンデレだからだろう。
「ちょっと、勝手に頭を撫でないで」
……こんな風に。
目を細めて俺を見た奏はそう言って俺の手を退けた。
「いいだろ別に。減るもんじゃないし」
「せっかくお風呂から上がって髪を整えたのに、千智が撫でたらぐしゃぐしゃになっちゃうでしょ」
寝る準備をしようと二人で寝室に来たはいいものの、俺がベッド座っている奏の頭を撫でたことにより言い合いが始まってしまった。
喧嘩という程のことでもないのだが、俺たちは些細なことでいつも言い合っている。
一種のじゃれ合いだな……多分。
そう思っているのは、きっと奏も同じなはず。
「寝たら結局ぐしゃぐしゃになるだろ。奏、いつも寝相悪いし」
「わ、悪くないもん」
「じゃあ仮に悪くないとして、今日はもう誰とも会わないんだから撫でるくらいさせろ」
「だ、誰も撫でていいなんて言ってない」
俺は再び奏の頭をわしゃわしゃと撫でたが、すぐ彼女に退かされてしまう。
自分の腕の向こうから現れた彼女の頰は膨らんでいて、ご立腹の様子だった。
こんな調子で、俺たちは普段カップルがしているようなスキンシップが全く出来ていない。
手を繋ごうとしたらその手を奏に
だから、さっき帰ってきたときに出来た手繋ぎとハグは非常に
久々に感じた奏の体温を、俺はもっと感じていたかった。
「じゃあ、ぐしゃぐしゃにしないように撫でるから」
「それでもダメ」
「なんで」
「私は千智に撫でられたくないの」
「どうしてさ」
「そ、それは……」
実際、俺は知りたかった。
なぜ彼女がこんなにも頑なにスキンシップを拒むのかを。
断言するが、彼女は俺のことが好きだ。
それは決して思い上がりではない。
彼女の行動を見ていれば十分に分かる。
好きでもない相手のためにご飯を作ったり、迎えに行ったりはしないだろう……多分。
だから奏が俺のことを好きなのは明白なのだが、如何せんどうしてスキンシップを拒むのかが分からない。
何か理由があるのだろうか?
次の言葉が彼女の口から出るのを待っていると、やがて彼女は恐る恐る口を開く。
そこから
「だって、撫でられるの、恥ずかしいんだもん……」
すごく可愛らしい理由だった。
「……お前、可愛いなぁ」
「うぁ、ちょ、ちょっとやめて……」
あまりの可愛さに思わず奏の頭を撫でてしまったが、奏は口で嫌がりつつも先程とは違い俺の手を振り払う素振りは見せない。
その反応を見て嬉しくなると同時に、俺は少しだけホッとした。
「じゃあ、別に俺に触られるのが嫌なわけじゃないんだな?」
「それは、まぁ……うん」
「っていうか頭撫でる
「あれは、大丈夫だった」
「なんで?」
頭を撫でることもハグをすることも同じスキンシップだというのに、いったい何が違うのだろうか。
彼女の中では何かが違うのだろうか。
「それは……よく、分からない」
「分からないのか……」
まぁ、今出た疑問にこの場で答えを出すのも難しいだろう。
奏もきっと自分で意識はしてなかっただろうしな。
「とにかく、千智に触られるのは何となく恥ずかしいの」
「でも俺は奏の頭を撫でて癒されたい」
二十三歳が年甲斐もなく駄々をこねる。
最近は働き詰めでろくに休めていなかったのだ。
七時半に家を出て十時半に帰り、身の回りのやるべき事をやって眠りにつく。
せっかく同棲しているというのに、彼女とのスキンシップは全くない。
大学にも行っている中で家事をやってくれているのは大変ありがたかったが、贅沢なことにそれだけでは足りなかった。
ハグとかキスは出来ずとも、せめて頭くらいは撫でさせてほしい。
そんな思いで駄々をこねれば、奏は「うぅーん」小さく唸り声を上げながら
「じゃ、じゃあ私が千智の頭を撫でるっていうのは?」
奏が、俺の頭を、撫でる……?
「頭を撫でられるのは恥ずかしいから、逆に私が頭を撫でてみようかなって。それで千智が癒されてくれるなら、だけど」
奏が今、自分からそう言ったのか……?
「……ちょっと千智、聞いてる?」
彼女の口から出てきた言葉があまりに予想外だったため呆気に取られていたようだ。
奏の声でそれに気づいた俺は、瞬きを数回繰り返して我に返る。
「あ、あぁ、聞いてる。えと、奏が俺の頭を撫でてくれるんだよな?」
「うん。千智は、それでもいい?」
「それはもちろん」
奏が自分から――というのは予想打にしていなかったが、もししてくれるなら俺が自分からするよりも全然いい。
先程のおぼつかない返事から一変したキレのいい返事で奏には俺の言いたいことが伝わったらしい。
少しだけ表情を緩めた奏は「じゃあ」と言って俺の膝の上に跨いで座った。
奏は俺より一回り身長が低いため、こうでもしないと頭を撫でるのは大変だと思ったのだろう。
しかし……。
「……これ、結構近いね」
自分から来たのにも関わらず俺と目を合わせた奏は頬を赤く染めると、恥ずかしそうに視線を僅かにそらした。
なにこの子、むっちゃ可愛いんですけど。
「ちょっ、笑わないでよ」
奏の恥ずかしがる姿を見て自然と笑顔になっていたらしく、前方から鋭いツッコミが飛んでくる。
「ごめんごめん。もう笑わないから、早く撫でて」
「全く……それじゃあ、いくよ?」
そんな掛け声があった後、頭頂部に奏の手が乗せられる。
その手を手前にスライドさせて、彼女は俺の頭を優しい手付きで撫でた。
彼女の手は、とても暖かい。
さっきハグした程ではないが、それでも彼女の温もりは十分に感じられる。
風呂では決して感じることの出来ない優しく愛しい暖かさが、こびりついた仕事の疲れを綺麗に洗い流していってくれた。
奏の頭を撫でたいがために駄々をこねたつもりが、まさか逆に頭を撫でられることになるとは。
当初の目的は達成出来なかったが、案外これでよかったのかもしれない。
「お仕事、お疲れ様」
「……ありがとう。これでまた頑張れるよ」
「それならよかった」
相変わらずの無表情だが、声の抑揚から
いつもこれくらい素直だったらいいのになぁと、そう思いつつも今は考えることをやめて奏に甘えるのだった。
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