chapter 4-3:スピネリ・アウグスト

私の前に現れた、秋の夜のような女性。

セピア色の髪に、ペリドットの瞳。

涼やかで凛とした声。

「このお屋敷の使用人を統括する、スピネリだ」

そんな彼女は、新入りの私の教育係だという。

「よろしくお願いしまーす!」

「じゃぁ、説明するから。ついてきて」

「はーい!」

数歩先を歩く彼女の背中。

身長はそんなに変わらないはずなのに、やけに頼もしく見えた。

代々お抱えの使用人の家系。というのも納得だ。

「君さ」

部屋の説明をしていた彼女は、急に立ち止まって、振り返る。

「どうしました?」

一つに結んだ長い髪が光を纏い、私の前を横切っていく。

その光景があまりにも綺麗で。

「うちと前に、どこかで会った?」

次の言葉の理解に遅れてしまった。

崖の上、沈む夕日を一緒に見ていた。

あの瞬間、彼女の声に溺れ、恋をした。

彼女と再びあえて幸運だと思ったが。

私の事を、あまり覚えていないようで。

やはり、私が人並の幸せを望むのがいけなかったんだ。

「あ……え?知らないですよ?」

会ったことがある。と。

出かかった言葉を飲み込んで。

呆けた顔で、何でもないように返す。

「すれ違っただけじゃないですか?」

反論する隙を与えないように、続けて言えば。

「そう……かも知れないな」

納得はしていないが、これ以上深くは追及してこなさそうだった。

これでいい。これでいいんだ。

この気持ちは、心の内にしまって、墓場まで持っていくから。

「ラグネット……は、この辺に住んでるの?」

再び歩き出した彼女は。

私と歩幅を合わせて、並んで歩く。

手を伸ばせば触れられる距離にいるのが、嬉しくて、苦しくて。

「はいと言えばはい。ですし、いいえと言えばいいえ。ですね」

「なんだそれ」

困ったように、呆れたように笑う顔すら愛おしかった。

「いろんなお屋敷に住み込みで働いてましたからね」

「渡り歩いてた。っていうの、本当だったんだな」

「契約期間が終われば、次のお屋敷へ。でしたから」

妙に真剣に聞いていた彼女は。

「あぁ、だから迂闊に自分の事話せないんだ」

と、納得したように頷いた。

「期間限定の使用人は、そりゃそうですよ」

「そういうものなんだな。知らなかったな」

瞬いた切れ長の瞳が、外の世界を知らない純粋な視線で私を見やる。

心の内を見透かされそうで、怖かったのだ。

「この辺だと、夏に期間限定で雇うところ多いですよ」

だから、のらりくらりと話を変えて躱す。

「それは言っていいんだな」

「ビラが出てるのに、秘密も何も無いですよ」

「それもそうか」

軽い雑談を交わしながら、着かず離れずの距離で。

ぐるっと屋敷を一周し。

「まぁ、分からなかったら聞けばいいから」

締めくくるように、真っ直ぐに目を見つめてきて。

「よろしく頼むよ?」

小首を傾げ、柔く微笑んでくれる。

その瞳から、逃れたくなって。

「仕事内容、承りました」

形式通りの完璧な一礼。

「これからどうぞよろしくお願いいたします。使用人長」

好きな人の前では、完璧な自分でありたいから。

同じく微笑を返すのだ。

貴女と会ったことがあることも。

どうしようもない自分の本心も。

全部全部呑み込んで。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る