chapter1-3:三女 インズイ

深く暗い赤色の髪がゆらりと揺れ、赤と青の目が険しそうに細められた。

「シール……またか……」

使い魔から受け取った手紙を、ぐしゃりと握り締めれば。

落ち葉が風に舞うように、崩れて無くなっていく。

「また契約担当のお姉様からですか?」

書類仕事の手を止めて、側に寄りながら声をかければ。

「そー。うちに連絡来るのは分かってるんだけど……」

ペンを置き、ため息を吐くように言葉を零した。

「頻度が多いんだよ。めんどくさい」

言葉と共に、身体が沈んでいき。

とうとう机に突っ伏してしまう。

「仕事してくださいよ」

「してるって。それでも多いんだよ」

また大きなため息を吐く。

そして、唸ってから完全に伏せてしまった。

「まったくもってその通りですけど……」

「意見言っても、聞いてくれやしないし」

「それは確かに思うところはありますね……」

面倒くさがりというか、気分屋というか。

この状態の彼女に、どんな言葉をかけるのが最適なのだろうか。

後に続く言葉を探せずに、困惑していると。

「でもやんなきゃ、怒られるのうちなんだよなぁ……」

彼女は不意に、勢いをつけて立ち上がり。

手早く身支度を済ませた。

一体全体、何が行動のスイッチになったのだろうか。

呆けて立ち尽くした私に。

「……置いていくよ?」

不思議そうに、彼女は問いかけてくる。

「あ、わ、待ってください!!」

私も慌てて支度をすませ、彼女の隣に並び歩き出す。

扉を開け、階段を降り、外へ。

「うわ風強い。もうやだ」

しかし、すぐに引き返そうとする。

「まだ一歩しか外に出てないですよ」

風に踊る上着の端を掴み、引き留め。

「事態は大きくなるかもしれないですし、行きましょう?ね?」

なだめるように説得すれば。

一つ息を吐き、私の頭を一度撫でて。

「とりあえず行くかぁ……」

すたすたと歩いていってしまうのだ。

「え、あ、はい!行きましょう!!」

分かっているはずなのに、行動の全てがつかめない。

置いていかれないように、慌てて追いかけると。

一歩先を歩く彼女の、結んだ髪が私の顔を撫でる。

その瞬間も、好きだなんて言えないから。

「風、強いですね」

もっと私の事を撫でてほしい。

ワガママにも似た願いも込めて、とりとめのない話をするのだ。

「シールからの要請無ければ、帰るまで一歩も出ないつもりだったのに……」

風がうっとうしい。と、顔を歪める。

そんな表情でも、絵になる程美しかった。

「お菓子のリクエストしてやろうっと」

軽やかな言葉と共に、軽やかな動作で。

左肩に手を当てて、そのまま地面に。

「開門せよ。ピアチューオ」

呪文を唱えれば。

視界に広がるのは、赤やオレンジ、黄色に色づいた葉。

葉の落ちる音と視界の色が落ち着けば。

そこは人間界、どこかの街の裏路地だった。

片手で数えられるくらいしか来たことのない私は。

未だ慣れない景色をぐるぐる見回す。

「ほら、行くよ?」

「へ?あ、はいっ!!」

急に手を引かれ、驚くが。

インズイさんは特に気にしてる素振りは無かった。

妹の手を引く姉のような行動。

嬉しくもあり、心苦しくもあった。

「ついでに見回りも兼ねておくか……」

大通りに出れば、手は解かれてしまう。

ここでもう一度、手を繋いだら驚かれるだろうか。

「めんどくさがってた割に、やっぱりちゃんとやるんですね」

心と手を押さえつけて、会話を続ける。

「姉さんも壊すし、シールも丸投げしてくるし」

彼女が光る眼を隠すように、上着のフードを深く被ったので。

私もケープについてるフードを被る。

「もしかしたら、そういうポイントがあるのかもしれないからさ」

言葉を残すように、ふらりと歩き出し、【人間】の群れに混ざっていく。

はぐれないように斜め後ろを歩いても。

「そこを潰せば、うちの仕事が減るかもしれない」

彼女の凛とした声だけが、私の耳にしっかりと届くのだ。

「こ、根本的に潰しに……」

「そっちの方が絶対早い」

猫のようにふらふらとしながらも、目的の相手を探す。

立ち止まっては辺りを見て、また歩く。

移ろう二色の瞳が、獲物を狩る肉食獣のようで。

「【人間】根絶やしにした方が、もっと早いんだろうけどね」

言葉と視線から、一切の温度が消えた。

底冷えするような恐怖に、思わず身体が動きを止める。

彼女は、こんな表情も出来るのか。

「それじゃ、うちらは生きられない」

歩みを止めた私を気にすることなく。

先を歩く彼女は、こちらを見ずにからから笑う。

「元も子もないじゃん?」

振り返って、こちらを見やった。

その目は、どこも、何も、誰も、見ていなく。

ただただ、果ての無い暗闇だけを写していた。

「……あんまり人間界に介入し過ぎると」

確かに、貴女のいろんな表情を見てみたい。

と、常日頃願っていたが。

違う。

そんなにも心苦しそうに虚空を見るのは、私は望んでいない。

大きく一歩を踏み出して、彼女の隣。

「いくらインズイさんでも、怒られますよ?」

肩に触れそうな距離まで寄り添って、目を見れば。

驚いた表情。

そこから、いつもみたいに強かな微笑みを向けてくる。

「バレなきゃいいんでしょ?」

「……はい?」

「あとで妹と相談するから」

ふわりと笑うその姿は。

悪戯を思いついた無邪気な子供みたいで。

先ほどまでの憂いを見せた表情が、より不思議に思えるのだ。

このまま唇を奪ってしまいたい。

思ったのなら、止められない。

そっと顔を近づけようとした時。

「……あ!いましたよ」

視界の端に、相手を見つけてしまったのだ。

仕事はしなければならないので、彼女に伝えると。

「分かった」

ひらりと上着を翻して、フードを脱ぐ。

「ちょっと大人しくしてろ」

左肩に手を当てて、相手に向ける。

相手は急に足を止め、何かに迫られるような表情をした後。

路地へ路地へと逃げていき。

袋小路の場所で、半狂乱になりながら、座り込んでしまった。

「悪いな。悪魔を呼び出した段階で契約は成立なんだ」

そんな相手の背後に、彼女は立って。

「悪魔を前に、生きたいと願い、見逃してもらった」

地を這うように、低く冷たく淡々と内容を説明する。

「だから」

慈悲はあるが、容赦はない。

「その対価はもらっていくぞ」

迷いもせず、隠していた刀で首を刈り取った。

「こんなもんでいいでしょ」

首を投げ捨て、『魂』だけ掴み上げる。

血濡れの肉塊に、もう一切の興味を示していなかった。

「どうしたの?」

刀の血を払い、丁寧に仕舞う。

その動作だって、息を吞むほど綺麗で。

「何回見ても、随分と容赦ないんだなって……」

「えー?これくらい普通でしょ?」

手に持った『魂』を宙に投げては受け止めるを繰り返し。

「姉達と違って、うちらは容赦も慈悲も無いよ」

魔性の微笑みで、艶やかに言ってのけたのだ。

「……うち、ら?」

引っかかったことを、聞き返せば。

「妹が一番容赦も慈悲もないんだけどね」

困ったように彼女は笑う。

「なぜか姉達は、うちと妹をまとめてそう呼ぶんだよ」

手に負えない姉と妹を抱えた。と言いたげでも。

とても幸せそうに笑っていた。

「閉門せよ」

『魂』を掲げ、黒い空間が広がるだけの扉を呼び出し。

足早にラプラスへと帰る。

手続き書類を乱雑に受け取り、飛ぶように職場に歩みを進め。

「とりあえずこれは任せるね」

書類から何枚か抜き取って、私に渡してきたのだった。

「うちは別件やってるから。なんかあったら呼んで?」

そう言って机に向かう姿は、いつになく真剣で。

「お話しは……ダメですか?」

今なら、少しは踏み込んだ話も返してくれるのではないのだろうか。

期待を抱きながら、声をかけると。

「手を動かしてくれるのなら、いいよ」

目をそらさず、手を止めず、返事をしてくれた。

ずっと気になっていたことを、聞くなら今だ。

私も手を止めないように。

あくまでも、仕事をしている風にしながら。

言葉を紡ぎ始める。

「お姉様達は、射撃が一番の腕前と、契約数が一番の会話術」

この街で知らない者は居ない、有名な四姉妹。

「そして、インズイさんは取り立て技術が一番」

それぞれが、規格外の力を有しているのは。

噂だけでもよく知っているが。

「妹さんは、どんな感じなんです?」

末の子だけは、何もかもが未知数なのだ。

それゆえに、いろいろな憶測が飛び交っている。

何をやってもてんでダメで、その存在を秘匿している。とか。

実は末の子は【人間】で、魔力供給のために飼っている。とか。

はたまた。

名前すらも強大な力となりえる悪魔。なんて、恐れられたりもして。

「それは、教えられないなぁ」

全てを知る彼女は、意味深長に笑う。

「否定も肯定も出来ないんです?」

「何を言っても、答えにつながりかねないからね」

随分と楽し気に、翻弄するかのように言葉を紡いで。

「それに……」

かたり とペンを離した手は。

「君みたいなかわいい子は、あの子の標的になっちゃうからね」

私の頭を撫でて、頬を撫でて。

「だから、ごめんね?」

蕩けるような声色と笑顔で、見つめてくるのだった。

質問をしては、いつもはぐらかされる。

結局、今日も大きくは踏み込めなかった。

しかし、この対応をしてくれるのを楽しみにしてるから。

わざと質問をする私が居るのだ。

「わ、私の心はインズイさんのものだけですよ!!」

触れてくれている彼女の手に、私の手を重ねて、握りしめて。

叫ぶように本心を伝えても。

「それはありがたいなぁ」

ほら。彼女には届かない。

いつもはこのまま、手が離れて終わり。

なのだが。

「じゃぁ、お願い、聞いてくれるかい?」

今日は、そんな声がかかった。

「ふぇ?」

予想だにしなかった行動に、素っ頓狂な声が出てしまうが。

「え、えぇ!私に出来る事なら……」

彼女の願いを叶えられる、重大なチャンスだ。

勢いよく肯定の返事をすると。

「これ以上、あの子の事を詮索しないでくれるかな?」

刺すような、ひんやりとした声色が鼓膜を震わす。

「あの子の性格的にも、仕事内容的にも、いろいろと問題があるからね」

しかし、その声色は暖かな優しさに溶けていくように影を潜ませた。

「できるかな?」

顎を軽く持ち上げられて、吐息のかかる距離で微笑まれてしまったら。

「もちろんですっ!!」

何も考えることなど、できなくなってしまうのだ。

「よしよし。いい子だ」

ぐしゃぐしゃと頭を撫でてきて。

「じゃぁ、お詫びにこれをあげよう」

ぽすり、と頭に何か乗せられた。

落とさないように両手でしっかりと掴み。

恐る恐る自分の目元までおろしてくると。

「クッキー……ですか?」

随分と可愛らしくラッピングされたクッキーだった。

「そ。シールとあの子の手作りだけど、味はうちが保証するよ」

なんだ。インズイさんの手作りでは無いのか。

それはちょっと残念だな。

「じゃぁ、ちょっと出かけてくるから」

席を立ち、上着を羽織る。

「それ食べながら後の事はよろしくね?」

秋風のように、瞬く間に彼女は私の目の前から姿を消した。

「行ってらっしゃいませ……」

そんな言葉を伝える間もないほどに。

出かけたくない貴女が出かける理由は、あの子に会いに行くためなのでしょう。

「ん。おいしいな」

姉妹仲がいいのはとても微笑ましいことなのだが。

その熱視線を、私にも向けてほしいのだ。

クッキーを一つ放り込んでは。

噛み砕いて、呑み込んで。

彼女が残していった書類整理の束を見つめるのだった。

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