18 独り占め
上がガラスのない窓、下が壁。そんな通路の突き当りで、男たちがはしゃいでいる。
「ちぃ……ねぇ」
水はそれなりに手に入るとはいえ、貯めるのには時間がかかる。取りつくされて湿ってるだけの水ロープを絞ると水滴が落ちる。大地や母さんと交代しながら袋を満たした。
その水を、3人のいかつい大人の男が、頭からかぶる。まさに浴びるようにがぶ飲みで、貴重な袋が2つとも空にされてしまった。
水は、拘束された大地にもかかった。高層と風とで冷えきっていた身体に冷水。弟は、恐怖と凍えとで、小刻みに震えはじめる。
あたしも委縮したのかもしれない。怒りも憤りが湧き上がることなく、唖然とみつめるだけだった。
水に味をしめた1人が、背嚢をひっくりかえす。命をつなぐ貴重な食糧が、ばらばらと床に散らばった。
「お。まだあるじゃねーか。もうけ」
別の男がしゃがんで拾うおうとしたとき、やっと、あたしは我に返った。「触るなっ」と、怒鳴りながら跳びだした――
どうなるかなんて考えなかった。水を奪われ、大地を捕えられた。最後の食い物まで奪われてたまるか。そんな感情だった。
――跳びだしたのだが、
あたしは当然、邪魔な手をつかんでどかそうとした。つかまれた手を噛みちぎってでも振り切ろうと、むき出しの殺意で抵抗するが、
「なんでっ!」
と怒鳴ったのと同時だった。蹴るような音と叫び声が、男たちの方から、通路全体に響き渡った。ふり返ると男が2人、壁に折り重なってうめいてる。
大地を拘束してる男が、2人を蹴り飛ばしたのだ。ひと蹴りだったが、背嚢を持った男、食糧を拾おうとした男はともに、片腕をぶらりとさせていた。力がはいらないのか、いや、苦痛に顔が歪んでる。折られたのだ。
仲間割れか。つい、いまの今まで、水をかけて笑い合ってた仲間だったのが、とつぜん、暴行をくわえる。理由らしい理由がない、いや、食い物を独り占めしたかったのだろうが、怪我をさせるほどのことか。これも仲間割れなのだろうか。
「……右腕のジャンだ」
耳元に息が吹きつけられて、びくっと身体が跳ねた。
あいかわらず肩を押さえつけられて動けないが、せめてすこしでも離れようと頭を傾げてから、聞き返した。
「右腕のジャン。あれが」
アーバンヒル東京の世界は狭い。誰かのウワサ。というよりも都市伝説に近い話として、階層長に、聞かれされた。右義手の凶暴な男が、お前の腕をもぎ取っていくぞ と。
言うことをきかない子供を脅しつける子供だましにすぎない。あたしだけでなく子供はみんな、内心じゃ笑っていた。エライ大人を喜ばせるための社交術で、「怖い―」と怯えたふりをしてみせた。実在するとなれば、話は違ってくる。
「あいつの右腕は義手。そのせいか他人の右腕に異常に執着する。あと理屈が通じない」
なんでそんなことまで分かる。真偽、知識の元を知りたいが、そいうえば、問いただす必要などなかった。いまから本人が、目のまえで実践してくれる。
「こいつはみんなオレが食う」
ジャンはそう言うなり、捕えてた大地を放りだして、床に這いつくばる。落ちてる食糧、Bレーションとコオロギビスケットをかき集めて、大く開けた口の中へと放り込んだ。ほとんど噛まずに、咀嚼らしい咀嚼もなしに、ごくんと、飲みくだしてしまった。
「……ジャンてめぇ」
腕を折られた2人は、動くほうの左手で拳を固く握りしめる。こいつらの怒りはもっともだが、あたしのほうがもっと怒ってる。
男たちは、床にぺったり座った姿勢のジャンを左右から挟んだ。殺気立ち、失っていた血の気が一時的に回復し、顔が赤く染まった。
潰しあってくれれば助かる。そこから離れろと、大地に目配せ。だが大地は足がすくんで動けない。あたしの合図にも気づく様子はなく、ジャンたちのケンカに射竦められていた。……こんなときに。
あたしは唇を噛んだ。なんとか接近してひっぱりださないと。
「忘れたことねぇぜ。おめぇら、昔、右腕食ったよな。あんときの落とし前。これだ」
仲間たちに憤りをぶつけたのは、一方的に悪いジャンのほう。
「いつの、話だ。いままでさんざん、食い物渡してる、だろうがよ。罪の分っていうなら、とっくに返し終わってるぜ。過剰保障だぜよ。いつまでむしり取るつもりだ」
「いつまででもだ。オレの右腕もどるまで、目の前にあるお前らの食いもんはぜんぶ俺が食う」
「わけわからんこと言いやがって。いいかげん頭にくるぜ。てめぇ死ぬか」
ジャンめがけて、2人同時に、拳をふり下ろした。
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