17 右腕のジャン



 ナイフを突き立ててやったら、スッキリするだろうな。前を行く往梯ゆきはしの背中を、心臓が透視できるくらいにらみつけるが、すぐに切り替える。

 減った持ち物があるのだ。時間があるいまのうち、頭の中にメモしよう。


 大地の背嚢に入れてるのは、水袋、ロープ、食糧、ナイフ。

 ロープは、男がぶら下げてるのとは別の、部屋から持ち出した自前だ。

 食糧のうち、おにぎりは全部食べ、クッキーをあげた。残りは保存食のBレーションが3個と、コオロギのクッキーが5枚になった。

 水袋は2つだ。フタが付いてて何度も使える丈夫なヤツ、どっちも1リットルで満タン。


 あたしのショルダーバッグには、ナイロン袋とナイフ。それと、拉致られたときに、吊りさげられた鎖もある。目が細かいステンレス製が珍しくて盗ってきたのだ。なにかに使えるかもしれない。


 視線を上に動かして、見えもしない階上をみつめた。


 ウワサの“変人の町”があるのは16階上の99階層。本には、第5展望レストランと記された階で、エレベーターという昇降する箱にのれば、たった12分で地上から到達できる。


 「どんな箱なの? 落ちたりしないの?」と私が聞くと、母さんは、さあ、と首をかしげていた。それから、できたころのマウントは、不思議な魔力をもっていたのね。と笑った。

 大地は小さく、あたしの背中に乗って遊んでいた。母さんが死んだのはつい昨日だけど、生きていたときよりも、頭のなかで活き活きしてる。


「っ……」


 またしても頭痛とめまい。大地に聞くと、ほんの数秒くらいというけど、夢はとっても長く感じる時がある。たしかな意識をもって、懐かしい世界を彷徨ってるのだ。現実に帰ってくると、かなりの部分を忘れてるけど。今回は覚えてる。


「……エレベーター思い出した」


 昇降する箱。人や物を乗せて上がり下がりする箱だ。機構は複雑だが、仕組みはいたってシンプルで、上から吊るワイヤーと、重さのバランスのおもりをぶら下げるワイヤーとで、かなり高い階層であっても運ぶことができた。登場した当初は、地下から機械で持ち上げてて、昇降できたのはたったの2階分。


 でも、そんなこと知ったって、いまはないんだから無意味すぎる無駄な知識だ。

 通路が明るくなって、窓が近いと知れた。往梯ゆきはしの背中越し、姿はみえないが、そのへんにいる大地に怒鳴った。


「大地ぃ、こんな高層じゃ水なんか汲めなかっただろ。水袋のを飲もう。そしたら出発するから……」


 とつぜん足を止めた往梯ゆきはしにぶつかり、あたしは文句を言った。


「……なんで停まる。大地、背嚢を降ろして」


 水袋を出せ、と続ける言葉が口ごもった。

 往梯ゆきはしの横を抜けて見えたのは、マウントの外に落ちないよう窓際にしゃがんでる弟と、案の定、ぽつぽつと水滴があるだけの水とりビニール。それに、いるはずのない、いてはいけない体格の大人。大人たちがいた。


「おう。この中に水袋があんのか。ちょうどいい。風で喉が渇いたところだ。みんなで分けようぜ」


 大人の男は背嚢を奪い取って、横の二人に渡す。大人たちは、貴重な水袋を取り出し、無造作にフタを引きちぎって、大口を開けて、頭から水を浴びた。


「ズルいぞお前ら。俺にもよこせ……おう、うめぇな」


 ごくり、ごくり、顔を伝い流れる水を、舌でなめとっては喉を鳴らして流し込む。

 男が、大地の首にまわした鈍色の右腕は、左腕とくらべて不釣り合いに細くて長かった。


「ちぃ……ねぇ」

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