19 ジャンの願い



 2人が同時に、ジャンに殴りかかった。


「腕ナシがっ!」

「いいきになってんじゃねぇ!」


 わき腹と顔に不意打ちの拳がのめり込んだ。


「ぬごッ」


 口から血の出た大男は動かない。ジャンのほうが2人より上位なのは、話しぶりから察してる。精神的にマウントをとってるし実際に強い。だけど相手は大人の男が2人。どっちが勝っても、決着がつくまで時間がかかる。


(大地をひっぱりだすチャンスだ)


「あっこら」


 今度こそ、あたしは往梯ゆきはしを振りほどいて飛び出した、自分でも驚くくらいの俊足で迫ると、ジャンの下で身を震える弟の手首をつかんだ。


「ち……ちいねぇ」

「大地! 来い!」


 情けない声の大地を力任せにひっぱりだし、尻を押し、往梯ゆきはしのほうへ追いやった。大人たちがマヌケな争いを繰り広げてるうち逃げないと。1歩――滑るように、あたしはそこから踏み出した。2歩――横をすり抜け離れた。3歩――手が届く圏外から出たと確信したところで、あたしの体は止った。


「……っ、痛っ」


 ふり向いた現実を理解するまで、数秒ほどかかった。子供の胴体ほどある太腕を後ろに伸ばし、水綱のような太い指が、あたしのつま先を鷲づかみにしてる。わずか指のぶんだけ遅かった。それは、水でびしょびしょのジャンだった。


「大地っつーいうのか。いい名だ。オレの次くらいにいい」


 なぐりかかった2人の男は、得ない方向に首を曲げて昏倒。あれは死んでるな。ジャンは、こちらの視線がそれた一瞬で、2人を殴り殺したのだ。


「は……放せっ」


 宙づりになったあたしは身をよじらせると、ジャンを殴る。右脚で腹を蹴ったが動じない。反動をつかって腹を殴ったが、めちゃくちゃ硬く腹で拳のほうが痛い。どんな鍛え方をしてるんだ。


「くそ。くそっ放せって」


 むちゃくちゃに手を動かし続ける。たまたま、指を掴むことができた。


(いける)


 ぎゅっと足を絡ませると、体全部をつかって関節を逆にネジった。


 ぽきり。鈍い音がした。ジャンの骨を折ったと確信した。さすがのジャンもしばらく痛みで動けないはず。手のひらが開いて足が自由になった。


(よしっ!)


 あたしは床に落ちる瞬間、受身をとって立ちあがった。このまま逃げる――。


「いってぇじゃねーかよ!」


 ふいに、強い衝撃が頭くぉ襲って体が浮いた。なにが起こったか分からないで、床にたたきつけられる。反射的に目をつぶった。世界は真っ暗に静かになった。

 数秒か、数分か、時間は定かじゃないけど、圧迫感と苦しさを覚えて目を開ける。ジャンの膝がそこにあった。首を膝でおさえられいた。

 息が、苦しい。


「おめー、もうすぐ。13歳らしいな。オレの腕が食われたのも13だ。腕がねぇのは不便でしょうがねぇ。つくってもらった義腕は便利だがよ。自分の腕がほしいじゃねーか」


 何か言ってるようだが、耳も押しつぶされて聞きとりにくい。どうせ、殺すってことなんだろ。殺して食うか、犯してから殺すか。そんなこと言ってるんだ。


「オレはよ。自分でいうのもなんだが、信心深けぇんだ。神さまを信じてんだよ。どんな願いもよ、神様は叶えてくれんだぜ? だが、タダってわけにゃいかん。貢ぎものはひつようだよな。どんな不信人でも、お神酒をささげたりするだろ? でもオレはもっとスゲーもんを捧げるんだ。そうすりゃ、神様は願いを叶えてくれる。そうだろ?」


 かみさま って聞こえた。気のせいだろうか。死神ならわかるが神。食うか食われるかの、マウントの世界。これほど場違いな言葉はない。あたしは、朦朧とするあやふやな状況で、なぜか訊いた。


「なにが欲しいって?」


「バカ野郎! 腕だ腕。腕しかねーじゃねーか。オレのこっちの腕だ。たぶんな、いやきっとだな。オレはヒラめいたのよ。13歳で失くした手だからよ。13歳の腕を、13本捧げりゃ、神様は生やしてくれっるてな。まってろ神さま。あといっこだ」


 いましがたまで仲間だった死体。ジャンは、邪魔だと蹴って転がした。背嚢からこぼれたロープを、あたしの首に巻きつける。ロープは長く。余った分で、自分に巻きつけ、デカい背中に縛りつけた。体温で生温かくなった水が、手や足にぺちゃりと触る。言い表せない不快感に、全身の鳥肌がたつ。


「儀式だぞー。まってたんだ。おめーでようやく13本だ。ほぉれ、1本、2本……」


 見ることはできないが、やってことは分かる。服の懐から、ひとつひとつ、大事にそうな何かを取り出して、窓辺に並べていってるのだ。


「み、腕の、ミイラ」


 大地の震える声がした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る