第4話 有隣堂

五月の連休最終日、人がけた夜、僕は伊勢崎町の有隣堂の前に立っていた。

旅は甘くなかった。危うく外国に置き去りにされたかも知れなかった。

満身創痍だった。


なんだか視界がにじむな。有隣堂を見上げる。

着いた。


店に入っていく。ふらっと揺れる感じがする。

バックヤードのあの古いエレベーターに向かった。

店の人は閉店の準備に追われている。

バックヤードに入りエレベーターわきの陰に、身を置いた。

ギギギ…カチ、スゥーとエレベーターの手動扉を開ける音がした。あの時の、森へ行くときにお母さんと乗った…──出てきた人の隙をぬって、隠れるように中に入った。ギギギ……スーガチャ、ドアが閉まった。

あれ、 う... 座り込む。寒気がする。

胸が心臓が痛い。あ…… きゅーっと冷たくなって僕は闇へ落ちた。


丸顔の女の人が僕を抱きかかえる、「お母さん」と言おうとしても声が出ない、気が遠くなってすぐにまた闇に落ちた。


丸一日眠って、僕は目を覚ましたらしい。

お母さんじゃなく岡崎さんという有隣堂の人が、僕を見つけて介抱してくれたらしい。

岡崎さんのロッカーで僕は寝ていた。


僕のことを知っている人は誰もいないようだった。僕を世話してくれた青年たちも、もうここにはいないのだろう。

岡崎さんは有隣堂の仕入れ担当のベテラン社員だそうだ。翌日からは普段より早く来て、僕にご飯を食べさせてくれた。


二、三日するうちに、体はすいすい回復していった。数日後には、ぼろぼろだった羽や傷だらけの脚も、ちょっとずつきれいになっていた。心臓もなんともなかった。

ロッカーの鏡を見ると、目だけヘンテコなままだった。


生き延びた僕は、元気になるにつれロッカーが辛くなった。

岡崎さんや他のスタッフの目を盗んで、ロッカーから出て、羽をバタつかせたり、走ったり歩いたり。

一度見つかりそうになった時、岡崎さんに「見つかると大変なことになるから」と、念を推してさとされた。

だから僕は、店が閉まって照明が落ちてから、ロッカーをそおっと出て、暗いしーんとした更衣室でぴょんぴょん跳ねていた。


気候がいいとさえずりたくなる。僕は寝静まったビルの更衣室から、小声でホーホー鳴きながら書店のフロアに出てみた。


すごい本がいっぱい。


岡崎さんが仕入れてる、文具の売り場にも行きたい。どこだろう……

案内板が暗くて見えない。

何度か飛び上がって見てみたけれど、さすがに読めない。

何か音がした。

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