第59話 醜い

 世界は醜くく、そして汚れている。ある日、人間を見下しながら俺はそう思った。

 俺は、所謂、天使と呼ばれる存在だった。そう、皆んなが想像するような天使だ。

 羽が生えて、光輪が輝き、空から舞い降りる、そんな天使。


 天使には役割がある。主たる神への奉仕だけじゃなく、神の代わりに、人間の願いを叶えてやることもある。


 叶えてやることもある、と言うのは、つまりは人間の願いを俺たちは叶えたり、叶えなかったりすると言う意味だ。


 選考基準は簡単だ。より強く、俺たちに対して心を込めて祈れているか。

 そう、ただそれだけ。


 だから俺たちの叶える願いに善悪は関係なかった。俺の仕える神様は善悪も美醜も理解できていなかったんだ。だから俺の価値観で言えば悪人に思えるような奴の願いも俺たちは叶えた。


 しょうがないことだ、自分にはそう言い聞かせた。


 だってそうだろ? 俺は神様の代わりに願いを叶える代理人だ。神様が救うと決めたものは救わなきゃいけない。

 神様には逆らえなかった。


 時に、大量殺戮に手を貸した。大人とか、子供とか関係なく殺した。強く願われたからだ。

 またある時は、少数民族を弾圧する手助けをした。これも願いが強かったからだ。

 そして、ある時、俺は願いを無視した。貧困に喘ぐ子供の声を無視した。願いが弱かったからだ。


 機械的に、水で動く水車のように、ただ俺は結果だけを積み重ねていく。ほんの少量の水では水車は動かない。

 多く、そして大量の願いを受け取った時、初めて俺たちは結果を生み出す。


 この世は醜い。この世は悪意で満ち溢れている。だから、醜悪な願いの結果がこの世には溢れている。


 たとえ、俺たちへの信仰が消え、俺たちが忘れ去られたとしても人は別の信仰対象を見つけて、願うだろう。


 醜悪な惨憺たる願いを。


 そして、それは叶えられていく。可哀想な人間が、弱き人間が願った、尊い願いなのだと。上位の神々はそう言って。

 または同じことを言いつつ邪心を持つ神がせいぜい利用するだろう。この世を混沌に落とすために。


 しかし、ある日のことだった。俺はとある悪魔の噂を耳にした。なんでも、人々を助けてまわっている悪魔らしくない悪魔がいるのだとか。


 その悪魔は、俺たちと同じく、過去、現在、未来を行き来し、人々を助けては何も言わずに去ると言う。

 聞いたことのない珍しいその悪魔の存在は瞬く間に情報が広がっていった。


奈落の悪魔ラフメイカー』と名乗るその悪魔たちは、特に俺たち天使が取りこぼしたであろう、弱者たちを救っているらしい。


 胸に、何か熱いものが湧き上がった。感じたことのない熱い炎みたいな、不思議なものを。


 そしてある独裁国家の、反政府主義者どもを弾圧していた時だった。

 俺はそいつらと出会った。


 とある、村の女子供の中に混じって歌を歌っていたそいつは、黒い髪に黒い服の少年に俺は見えた。

 半ば憧れに近いものを覚えていた、俺はそいつを見た時、しかしがっかりした。


 俺はそいつをヒーローだと思っていた。

 救いの手を差し伸べる新たな救世主。新たに俺の神になるべき者だと。


 だがそいつは──。

 カイ、お前は── お前自身が救われるべき弱者だったんだよ。


 ─────────────


「救われるべきはお前だった」


 上空でアイエルはそう呟いた。十字に広がった。爆煙を見つめながら、赤い光の羽根と、頭上の光輪を光らせて。


 そして、アイエルは右手をまるで何かを掻き分けるかのように水平に薙ぐ。

 すると突風が起こり、爆煙は一瞬で霧散した。


 アイエルの視界が澄み渡り、そして、地上が目に入る。スランブル大規模な交差点の真ん中でカイは、墜落していた。


 そのカイの傍にアイエルは降り立つ。


「まだ、やるか?」


「……あたり、まえだ」


「もう、無理だぜお前」


「それでも!!」


 カイは立ちあがる。そして叫んだ。


「お前の願いは世界の破滅! そうだろ!」


「そうだ」


「なら、やらせはしない!!」


「はぁ……」


 だるそうに、辛そうにそして、悲しそうにアイエルはため息をつく。そのまま天を仰ぎ、何かを諦めるかのように呟き始める。


「なぁ、カイ、この世にそんなに価値はあるのか?」


 アイエルはカイを見つめた。


「お前が犠牲になるような、価値が」


 そしてそのまま目を瞑る。


「俺にはそんな風には見えない。ただお前を、食い潰しているようにしか見えないんだよ。お前の心を善意を食い潰しているようにしか」


 アイエルは再びカイを見つめて言う。


「そんな世界……いらないよなぁ」


「お前が決めるな! この世界の価値を!」


 空気が冷え切る、地面が震える。そんな錯覚をアイエルは覚える。そう言いながら、カイは交戦の意思を見せたからだ。もはや戦える体ではないと言うのに。


「僕は! この世界が好きだ! たとえどんなに理不尽なことがあったとしてもだ!」


 カイは叫ぶ。


「なんでだよ」


 アイエルは、先細る声で呟く。


「なんでお前は傷つきにいくんだ! なんで折れない! なんで諦めない! わかっているのか! この世界が破滅させれば、その時! お前は解放されるんだぞ!」


 アイエルは、カイに近づき胸ぐらを掴み叫んだ。


「この世から人間がいなくなれば、必然的に、奈落には雨が腹なくなる……それがどう言う意味かお前にわからないはずがない。奈落は変わる! 雨が降らなくなり、お前が消えて無くなることも無くなる!」


 そのまま、アイエルはささやいた。


「お前は、永遠を手にできるんだ」


「世界にたった独りとも言うだろう」


「そんなことはない、俺が神に言おう、お前を天上の世界に召し上がるようにと。今まで悪魔と契約したせいで奈落に落とされ誰の目にもつかなかったお前も、全世界の人間が消えてしまえば、神の目にも届く。

 そう、奈落の雨雲が晴れさえすれば、お前は救われるんだ」


「僕は救われる」


「そうだ」


 いつのまにか、アイエルはカイの手を取り握っていた。


「奈落と言う、牢獄からお前を助け出すにはそれしかないんだ」


「そうか」


 でも、カイは呟いた。


「僕は、僕だけが救われる世界に、価値は見出せない」


「……なに?」


「僕は大勢の人が幸せになれる世界が見たいんだ、アイエル」


 そう言って、カイはアイエルの手を振り解く。そしてアイエルから距離を取って、落としていた刀を拾い、構え直した。

 それはまだ、カイに継戦の意思があることの証明だった。


「フフフ……はははは!!」


 アイエルは笑う。そしてぼやいた。


「分かり合えないな、俺たち」


 ─────────────


 私は自転車を漕ぐ。目指すは爆炎が上がった、多分スクランブル交差点の所。

 そこにカイくんとあいつはいるはずだ。

 大丈夫、焦るな、しっかりと漕げ。私はそう自分に言い聞かせながら目的へと向かっていった。


 カイくんはどうなっているのだろうか、それだけが気がかりで、私は急ぐ。

 道を駆け抜けて、通りを疾走する。もうすぐだ、この先の角を曲がれば、スクランブル交差点だ。


 そして私は角を曲がり交差点に出た。

 夕暮れとなり日は落ちた大規模な交差点には不自然に人がいなかった。いるのはたった二人。


 赤い羽根と赤い光輪を輝かせた、アイエルとそして──。


「カイくん!」


 倒れ伏しているカイくん。私は思わず叫んでしまった。

 すると、アイエルは私に気がついたのかチラリと私を見て、


「恋敵、やっぱり、来たか」


 そう言った。

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