第58話 世界は

 世界は、美しい。この世は、美しい。そう気づいたのはいつ頃だったか。

 窮屈な病院の窓の外から見るだけでは気づかなかった、その事実を、ある日、天野カイは知ることになる。


 それは、恋から始まった。隣の病室にいる彼女の陽気な笑顔から、始まったのだ。

 世界を腐して見ていた少年の目は大きく変わり、空が青く、風が心地いいと初めて彼は感じられた。


 全ては彼女に教えてもらったのだ。この世界の、自分のちっぽけな人生の楽しみ方を。

 だから少年は、彼女のために、命を投げ出すことになんの、躊躇もなかった。


 彼女に自分は救われたのだから、今度は自分が救う番なのだと。

 そうだ、この世は美しい。だからきっとこの世の美しさを彼女も知るべきなのだと。


 そして今も、少年の考えは変わっていなかった。


 久しぶりに会った彼女はこの世界の素晴らしさを忘れかけていた。それは少年にとって、悲しいことであった。人に傷つけられ、世界を、自分を呪って自死をしようとする彼女を少年は見ていられなかった。


 彼女のような人こそ、世界の美しさを、この世の美しさを知るべきだ。その考えを失っていなかった少年は、傷つけられた。体を引きずりこの世に戻った。


 少年は、再び、少女に世界の素晴らしさを知ってもらおうと思った。彼女が前を向けるように人生を進めるように、と自分勝手な事だが、そう少年は望んだ。


 もはや仲間もいない、この世界で、孤独に消えゆくだけの少年の心は、それだけを望んでいた。


 彼女が幸せになるようにと。


 ─────────────


「くだらねぇ」


 アイエルはゴミをゴミ箱に捨てるように、そんな言葉を吐き出す。

 アイエルの目の前には、殺意を漲らせた最愛の人、天野カイ。


 二人は、夕暮れの青黒く染まりかけたクロカミ市の街の上空で、それぞれ、黒い星空の模様の羽と、赤い光の羽を展開し、対面していた。


「よう、傷は癒えたか?」


 アイエルは再び言葉を投げかける。

 だがカイは答えなかった。


「はぁ、悲しいな、愛しているやつやここまで、無視されると流石に堪える……」


「どの口が……!」


 カイは、掌を上に向ける。そしてその動作と同時に発生した。空中に浮かぶ波紋の中心部から刀を抜き出す。


 刃こぼれ一つない切先を、アイエルに向ける、カイの目には、明らかな闘志が宿っていた。

 貴様に屈しはしないと、そんな言葉を体現する、その態度に、アイエルは口角を吊り上げた。


「そうでなくてはな、そうだ、お前がそう言う態度でなければ、屈服させ甲斐がないと言うものだ」


 アイエルの左手に光が迸る。光は稲妻と化し、一瞬で形を変える。

 そうして、まさしく光の槍としか言いようのない、神々しい十字の刃先を持つ槍がアイエルの手に出現した。


「始めようぜ、カイくん。俺たちの決着を」


 赤い光の羽を羽ばたかせ、アイエルは突撃する。音の壁を遥かに超えたその飛翔は、容易にカイとの彼我の距離を縮めた。

 対するカイは、冷静にその動きを見切り、刀を振るう。


 その、動作に一切の無駄はなく、迷いもなかった。空気を切り裂き、刃を向かい来るアイエルに向けて放つカイ。


 そして両者の武器は、ぶつかり合った。

 衝撃波が、発生し、さらに上空の雲を散らす。


「くっ!」


 カイは衝突の衝撃に、呻きながらも、力を込めてアイエルの腹部に蹴りを放つ。

 渾身の蹴りはアイエルの光の槍を潜り抜け見事に命中した。


「ご、あ!」


 その蹴りは、アイエルの腹の内臓をシェイクし、追加で全身にダメージを行き渡した。

 さらに、蹴りの威力をとどまることを知らず、アイエルをはるか彼方に吹き飛ばす。


 そうして、高層ビルの屋上にアイエルは、叩きつけられた。


 カイは刀を握り直す。当たり前だ。この程度で奴は死なない。


 瞬間、アイエルが叩きつけられたことによって生まれた煙の中から、赤い光が蠢いた。

 カイの感覚が、その時あるものを感じ取った。


 殺気。


 そして,煙の中からまるで、高速で分裂する細胞のように、光の球が現れ、一気に、カイへと襲いかかった。


 光の球は、光の残像を残しながら、カイへ迫っていく。

 カイはそれを一旦、さらに上空へ飛翔する事で、躱そうとした。

 しかし、甘かった。


 光の球はまるで意志があるかのように、軌道を曲げ、カイに襲いかかる。


「誘導……!」


 カイは舌打ちをしながら、再び飛翔する。平面的な動きでは埒が明かない、さらに高度な、無作為に動き回る、虫のような動きで、カイは光弾を撒こうとした。


 しかし、光はカイを逃さない。


 光弾はそれぞれ愚直にカイを追うもの、回避を誘発させようとするもの、そして、回避した先を予測して移動するもの、その3つに、行動パターンが分かれており、そのおかげで、非常に高度な回避をカイは強要させられていた。


 ── まさに、連携して襲いかかる誘導ミサイルか……厄介な!


 空をまるで、縫うように移動し、追尾する光弾を潜り抜け続ける。カイは思った。このままでは、埒が明かないと。


 一か八かの賭けに出るしかないと。


 集団で狩りをする動物の如く連携する、光弾達。その集団の中にワザと、カイは突っ込んだ。


 自殺を,図ろうとしたわけではない。光弾の群れ、その中にある僅かな隙間を彼は潜り抜けに行ったのだ。


 光弾が、カイの体を掠めるだが、彼は恐れず突き進んだ。わずかに見えた。光弾の群れの隙間を。

 カイは羽を、畳み被弾面積を少なくして、光の群れの中に飛び込んだ。


 すると光弾たちは、そのまま、カイを追い自らの群れの中に侵入していった。

 当然、群れの中に侵入した光弾たちは互いがぶつかり合い。爆発して共食いしていく。


 その凄まじい、破壊の連鎖に飲み込まれないように高速で、カイは飛ぶ光弾を避けながら。


 やがて、光弾の群れはお互いを食い潰し合い空中で、大爆発の連鎖を引き起こした。

 爆炎が空中に発生し、街を照らす。そしてその炎を潜り抜けカイは安全な空域へと飛び出た。


 光弾の群れの無力化に成功したのだ。


「厄介な技を……!」


 そして、そう呟いた時だった。


「ならもっと、厄介なものを見せてやろうか?」


 アイエルの声が頭の上から響く。

 思わずカイは、上を見上げた。その瞬間だった、光の槍が一本、空から降り注ぐ。


 一目見ればわかる。その槍には強力なエネルギーが込められていると。


 一瞬、防御の姿勢をカイは取るが、一抹の違和感を覚えた。

 軌道が、こちらに向いていないのだ。

 そしてカイは気づく、あの投擲の標的は自分ではないと。


「街か!」


 カイはすぐさま、飛翔し、槍と街の間に割って入る。街を庇うために、光の槍と相対した彼は、しかし、防御するまでの、暇はなかった。


 槍はカイの体に直撃し大爆発を起こした。

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