第53話 カイくん

 ジンドーがカイくん……私の頭の中はぐちゃぐちゃだ。動揺、混乱、そして同時に私は頬を濡らす。


 なんで私は泣いてるのか、訳がわからない。私はジンドーの方を見た。

 私の目線の先には蹴られ蹲りながらも、それでも、私の目線に応えるように、見つめ返すジンドーがいる。


 記憶の片隅のかつての思い出を掘り返す。だが、私はカイくんの顔を思い出せない。

 なのに、今、見ているジンドーのその顔に今更、懐かしさを感じた。それは言い換えれば既視感とも言える感覚だった。


 なんで今になって,こんなことを思うのだろうか、なぜ、気がつかなかったのだろうか。


 私の脳は、私の心は、間違いなく。彼がジンドーが、カイくんだと告げていた。


「ヒナタさん……」


 ジンドーが、呟く。彼は目を伏せた。

 そのジンドーの所作が、間違いなく私の感覚がこの既視感が、正しいのだと、つげているような気がした。


「カイくん……?」


「あははあはあはあはあはひひひは!!」


 下卑た笑い声が駐車場の屋上に響き渡る。その笑い声の主であるアイエルは、笑顔で私の左肩に肩に手を置いた。そのまま、まるで、ピアノを優雅に弾くかのように指を私の肩に連弾する。


「見ろ、カイに力が戻っていくぞ? いやぁ、ここまで仕込むのに随分と時間がかかった。お前にわざわざ、カイの過去を見せたりしてよかったよ」


 アイエルは私の顔を覗き込んでさらに顔を歪ませた。


「お陰でお前は、罪悪感と深い悲しみに囚われてくれた」


 ありがとう。

 そんな言葉が、アイエルの口から発せられる。私はその言葉が耳に入ってきていたが、それが脳で処理できずに、ノイズとして処理される。


 ただ、私は、ジンドーを、カイくんを見つめていた。私がカイくんを……。


「あーあー。聞こえてるか? 放心したか?」


 私は、カイくんに今まで助けられたいた、私は気付かなかった。どうして私は忘れていたんだろう。

 私は、私は、カイくんの命に助けられておいて、感謝もしないで、できないで。

 今までのうのうと生きてきていた。


「はは! 壊れてるよ! コイツ!」


 私は、生きている資格なんてない、彼の命を吸って、私は今まで何を成してきたのだろうか。

 何も成していない。

 結局、昔も、今も、そして未来でも、私は何もできないのではないか。

 私は、私は、


「ごめんなさい」


 ただ,一言だけ呟いた。懺悔のつもりだった。ごめんなさい私は生きる価値がないです。

 君が、私のために奈落に落ちてくれたのに、でも、私はそんな価値がないんです。

 君が傷だらけになる価値なんて。

 腕を失ってまで、戦って傷つく価値なんて。


「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」



 私はもう、謝ることしかできない。頬を濡らして、そのまま後悔を口から吐き出しながら、謝り続ける。

 カイくんの顔が見えない、世界が滲んでいく。


「アイエル!!」


 その時、ジンドーの、カイくんの声が響いた。瞬間、私の体に浮遊感が襲う。

 理解できたのは、私を抱えてカイくんが、アイエルと私を引き離してくれたと言うことだ。

 私を、まるで、お姫様みたいに、大事そうに抱えて、アイエルを睨みつけるカイくん。


 そんな彼を見て、私の視界はさらに液体で滲む。


「ヒナタさんを傷つけるな! 彼女は関係ない!」


「関係ない? 大アリだろうが!! お前の不幸の原因はその女だ、そいつはな! お前を幸せにする責任があんだよ!」


 アイエルの言うとおりだ、私はカイくんに償いをしなければならない。


「ほざくな! 僕はそんなこと望んでいない!」


 カイくんの言葉は本心なのだろう、それでも私の心は晴れたりはしなかった。ただ重く鉛のような、罪悪感と、悲しみが雨雲のようにここの中で渦巻いているだけだ。


 多分それを、彼は気づいたのだろう。私の顔を見つめると、そのまま、笑みを私にくれる。


「大丈夫、心配はいらない、ヒナタさん、僕は……」


 でも、彼も気がつく。私の心が晴れていないこと、もうどうしようもないのだ。

 だって君が、カイくんであるとあるという事実。私は、それを知ってしまったから私は立ち直れない。


「ごめんなさい」


 ただ、私はそうとしか言えない。でもそれに対してジンドーはまた私に対して微笑みかける。


「……大丈夫! 後で話そう、いきなり出て行って僕こそごめん。今は、アイエルと話をつけてくる」


 ─────────────


「へぇ、もういいのか?」


 アイエルはそう言った。

 ジンドーは抱き抱えていた、ヒナタをそっと自分の足で立つよう、促し、そしてアイエルを睨みつける。


 その目には明らかな敵意と、嫌悪が宿っていた。


「悲しいな」


 アイエルは再び、呟く。


「俺はただ真実を伝えてやっただけだ、最も、不都合な真実をだったみたいだがな」


「そうか、もういい、ここでお前を倒す!」


「まぁ、待てよ」


 アイエルは、ジンドーの敵意を遮るかの如く、掌をジンドーに向ける。

 そして笑みを浮かべながら言う。


「今日はここまでにしよう、お前も力を取り戻したばかりで、本調子じゃないだろう?」


「逃げるのか?」


「逃げる? 違うな」


 アイエルは背を向けて、そして背中越しに、ジンドーを睨みつけた。


「本当の力を取り戻したお前を打ち倒すことで、お前を納得させる、どう足掻いても、俺には敵わないってな」


 そしてアイエルは純白の羽を広げて、空に浮かびさらに続けた。


「俺の言ったことよく考えるんだな、カイ」


 そして、アイエルは飛んでいった。空に光を滲ませて。

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