四月

4月1日 クリームティー

 ぼんやりと晴れた春の空の下、夫婦でチェリーロードへ行く。

 松江市島根町、一見どこにでもある田舎道は海を臨みながらうねうねと山を登って行き、やがて桜に覆われる。花は今まさに満開。葉の緑が混じる木もあるが、道の上に伸びた枝が仄白いトンネルをつくっていた。うっすらと頬紅のように色付いた花びらが風に舞い、車のフロントガラスやボンネットをふわりと撫でてアスファルトに積もっていく。桜吹雪。

 この道が開通したとき、それを記念して吉野桜が贈られたのが始まりだという。桜の木は今や約七百本、5kmに渡って植えられていて、なかなかに圧巻である。

 崖にしがみつくように根を張った桜は幹も枝もそれぞれにうねり、まっすぐ伸びる桜並木とはまた違う、強い生命力を感じた。ソメイヨシノは潮風に弱いと聞くが、山の上だからなのか、強がる風でもなく咲き誇っている。

 道の途中にはいくつかベンチが置いてあり、路肩に車を止めて景色を眺める人々の姿があった。私たちも高台の駐車スペースに駐めて、外へ出てみる。

 海のものか山のものかもわからない風がびゅうと吹いては、桜の枝を容赦なく揺らしていた。眼下に広がる日本海、その波は遠目には穏やかに見える。

 山と、海と、空と、桜と。この景色を眺めたくて、かつての人々はここへ桜を植えたのかもしれない。春のたったひとときの為に。


 チェリーロードを抜けた先には家が建ち並んでいるものの、店らしいものはほとんど見かけない。日常的な買い物をするにも困りそうな土地である。しかし私が調査したところ、少し外れた集落の中にカフェがあるのを突き止めていた。


「カフェ しろつめくさ」。160余年前に建てられた農家の納屋を改装した、いわゆる古民家カフェである。丁寧に手入れされた小さなイングリッシュガーデン、その花が綺麗に咲く春と秋にしか開かないカフェなのだという。今がちょうどその時期。

 引き戸を開ければ、木の温もりを感じる店内。なんとなく上がってみた二階席はゆったりとくつろげる特等席だった。卓上のベルをチリンと鳴らして、私は心に決めていた通り、スコーンを注文した。

 やがて運ばれてきたのは、思っていたよりもずっと豪華なクリームティーのセットだった。つやつやのスコーンが二つ並んだプレートには草花を添えて。プレートとカップ、ポットは英国製バーレイ社のブルーキャリコ。それにロダスのクロテッドクリームカップとブルーベリージャムの小瓶が一人一つずつ。それが木製のトレイの上に綺麗に収まっている。なんて贅沢。

 早速、ほかほかのスコーンをいただく。側面の膨らみに入った“狼の口”と呼ばれる割れ目は、美味しさの証。そこに少し指をかけるだけで、綺麗に上下に分かれた。クロテッドクリームとジャムをたっぷり塗って、一口齧る。外側はサクっと音がするほどの食感、しかし内側はほろほろと柔らかい。口内を満たすのは芳醇なバターの香り。甘さは控えめで、ほんのり塩気も感じる。それを引き立てるジャムと、濃厚でミルキーなクロテッドクリーム。その口溶けを楽しんだ後にはフォートナムメイソンのアールグレイで唇を湿らす。嗚呼これこそが、これこそがスコーンの楽しみ。

 スコーンというものは、クロテッドクリームと紅茶を美味しくいただくために存在しているのだと思う。それくらいに、この関係性は唯一無二で、だからこそ「クリームティー」という名が付いているのだ。この味を、この山奥で味わえるとは。

 どうも店主は英国デヴォン州に滞在していた経験があるとのことで、なるほど本格的なはずである。一口ごとにしみじみと幸福を噛みしめることのできる、本当に素晴らしいクリームティーだった。

 庭の花々も色とりどりに美しく、大変良い店だった。なかなか簡単に行ける場所でないのが、甚だ残念である。

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