3月31日 ストラッチャテッラ

 今日で三月が終わるらしい。

 つまり私が島根にやってきて、約一年が経ったことになる。

 早いものだ、とは思わない。やっとか、というのが正直なところ。


 島根生活は初日から、波乱の幕開けだったのを思い出す。

 諸々あって、数日は私だけ先に島根で暮らすことになっていた。荷受けは夫とやっていたのだが、まず、こたつテーブルの脚が折れていた。これは当然、引っ越し業者が修理することになったものの、二三週間はかかりそうだった。そして更に、我々が入る前の工事で風呂の壁に穴が空いていた。開栓にやってきたガス屋に「これじゃあ開けませんねぇ」と言われる位置だったもので、すぐさま管理人を呼び、翌日には穴を塞いでもらう業者を手配してもらった。しかし、ガスは一日使えない。

 一年前の島根は、まだまだダウンコートが必要な気温だった。水道の水はあまりに冷たく、手を洗うだけでも凍えてしまう。そして何より、このクタクタの体を温かい湯船に沈めたかった。それなのに。

 日の沈む前に夫は東京へとんぼ返りをして、私は一人、島根に取り残された。恐ろしく静かで、寒かった。情けなくぷるぷる震えながら、スマートフォンで近くに銭湯がないか検索した。近所には無いが、バスに乗れば日帰り温泉には行けそうだった。

 疲れきった体を引きずって、バスに揺られることしばらく。すっかり日が暮れてから「松江しんじ湖温泉」に着く。温泉地のはずだが、周囲は驚くほど暗かった。来たばかりの私はまだ知らなかったのだ。島根は街灯が少なくて、夜はどこも真っ暗になることを。スマートフォンの明かりとグーグルマップを頼りにとぼとぼと歩き、どうにか日帰り温泉に辿り着いた。綺麗な施設ではあったが規模は小さく、共同浴場の雰囲気である。汗と埃と化粧を落とし、オマケみたいな露天風呂に浸かりながら、溜め息と共に涙がこぼれそうになったのも仕方のないことだった。温泉は確かに温かかった。泉質は極めて普通だった。

 入浴後の休憩スペースで瓶牛乳の冷蔵ケースを見つけたので、コーヒー牛乳を買ってみた。その美味しさに目を瞠ったのを、よく覚えている。まったりとコクがあり、しかしするすると飲める喉越しの良さ。コーヒーとの相性が抜群に良い。すっきりとした甘みの後味も入浴後にはぴったりである。これこそが、私と木次乳業の出会いであった。

 そのコーヒー牛乳は、初日から心が折れそうな私にとっての救いだった。やはり美味しいものは正義だと、改めて得心したものである。


 あれから一年が経ち、もう一年をここで暮らすのだ。

 良いところが無いわけではないが、やはり水が合わない、と感じる日々である。どうにか生き抜いていきたい。

 

 今日の夕飯はDEAN & DELUCAとコラボしたミールキットで、バルサミコチキンプレート。グリーンハーブソースを混ぜたごはんは新鮮で美味しい。付け合わせのマッシュポテトはトリュフオイルで香り付け。こういう使い方もできるのか、と勉強になる。全体に洒落た味の構成で、DEAN & DELUCAっぽさを存分に感じられた。もちろん、島根にDEAN & DELUCAは無い。

 このプレートに合せて、ストラッチャテッラというスープをつくった。これはローマ風のかきたま汁で、とりあえず洋風おかずに合わせた汁物がほしいときに重宝する。

 卵に塩胡椒、粉チーズ、ナツメグをよく混ぜ込み、煮立たせたブイヨンに流し入れながら泡立て器でかき混ぜる。卵がそぼろ状に固まってきたら火を止める。本当にこれだけ。

 チーズでとろふわになった卵にナツメグがほんのりと香り、食欲をそそりつつも舌や腹に優しい味わいである。

 ちなみに、ストラッチャテッラとはイタリア語で「ボロきれ」の意味。もこもことした卵がボロきれの毛羽立ちに似ているからだそうだが、先日の貧乏人のパスタといい、なかなか斬新なネーミングセンスである。

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