エピローグ
タァナ村の宿には、しっかりユリアの荷物が残されていた。
ユリアは嬉々として宿の主人にお礼を言い、荷馬車に乗り込もうとしたその時、聞き覚えのある声が降ってきて天を仰ぐと、一羽の黒い鳥が旋回していた。
「エルバートじゃないか」
カイが腕を伸ばすと、エンバートは何かを加えたままカイの腕に止まった。
その何かは、〈白の一族〉特製の毛染め薬入り麻袋だった。
「あ、お前……俺の髪を見て、持ってきてくれたのか」
「クワァー」
「気が利く奴だな」
カイは、肩に移動したエンバートの背中を撫でる。
「ああ、でも。エルバートには悪いけど、このまま帰るかな」
天を仰いだカイは、眩しそうに目を細めた。
荷馬車は、ユリアが辿ってきた道を、戻っていく。
ラァナ村で一泊、モース村で一泊、ソヴィデ村でも一泊。
八人の旅は和気あいあいとしていて、実に騒がしかった。
楽しくて笑いの絶えない旅路だった。
けれど、そんな時間は長くは続かない。
隠れ里に続く〈惑わせの森〉の手前。
ユリアとライナルトは、荷馬車から降り立った。
「本当に、送って行かなくていいのか?」
ラルフは気づかわしげに二人を見る。
さやかな風が吹き抜け、森の空気がユリアの鼻をくすぐる。
小鳥たちの声が耳に心地よく、ユリアは穏やかな気持ちになる。
「うん。ここでいい」
ユリアがにっこり笑うと、ラルフは空色の瞳に優しい色を浮かべた。
「そうか、無事戻って来い。俺は、それまでに里にいる〈銀海の風〉の面々に解散を告げて回る」
「うん! 無理せずね」
「ああ」
アヒムがしょんぼりした顔で、ユリアを見つめる。
「父さんと母さんには上手く伝えておくから、心配するな。体に気を付けろよ」
「うん、兄様。よろしくね」
ユリアが微笑むと、アヒムはばっと背中を向け、腕で涙を拭うような仕草をしている。 やることなすこと大袈裟な兄だが、離れるのはやはり寂しい。
「ユリア、俺もやることが片付いたら、必ずお前を追う。待ってろ」
「クワァアアアア、クワァア」
銀髪に、藍色の瞳のカイが、口元だけ笑う。
「うん、待ってる」
ユリアが、拳を握りしめ、カイに向けて伸ばすと、カイも同じようにして、ユリアの拳に自分の拳をぶつけた。
それから、ユリアの荷物を軽々と手に提げている、ライナルトにカイはジトっとした目を向ける。
「おい、ライナルト。ユリアに手、出すんじゃねえぞ」
「え? ええ?」
ライナルトは目を見張り、慌てたように首を横に振る。
「お前、前科持ちだかんな?」
「え? 何それ、何の話?」
ユリアが身を乗り出すと、カイは顔を背け、ライナルトは顔を赤らめ、首を垂れる。
ふたりとも、ユリアと目を合わそうともしない。
「ああ、あの接吻のことか?」
もう男泣きは終わったのか、アヒムがカイの頭上からひょこっと顔を出す。
「え……ええ⁉」
寝耳に水とはこのことだ。
接吻とは、口づけのことで、その口づけを誰と誰がしたというのか。
ユリアは心臓が脈打つのを感じ、視線をライナルトに向ける。
ライナルトは、ユリアの視線を感じたのか、ゆっくり顔を上げて、額に汗を浮かべながら、引き攣った笑顔を浮かべている。
「あ、え、その……やむを得ずだよ⁉」
「何が、やむを得ずだ。思い余ってだろうが‼」
「やめてよ、カイ君! それじゃあ、俺が不埒なことを考えてしたみたいじゃないか!」
「実際、そうだろうが。もうほとんど治りかけてたのに、何であのタイミングでしたよ⁉」
「そ、それは……直接、口と口でするほうが、最も効果が高いからだよ。聖女様だって、〈祝福のキス〉は唇にするんだから。だから、決して、下心があったとか、そういうんじゃないから。断じて!」
「はっ! それはどうかな?」
ユリアは荷馬車から顔を出すカイとに道の上に立つライナルトの間に入り込んで、俯きながら両手を広げた。
「ストーップ! ストップ! もうやめっ!」
カイとライナルトは、ユリアを見下ろし、口を閉じる。
「わかったから、もう何があったから十分わかったから。もういい。恥ずかしいから‼」
ユリアは真っ赤な顔を、カイとライナルトにそれぞれ向けた。
カイは絶句して、顔を背け、ライナルトはユリアの赤さが伝染したように耳まで真っ赤になる。
「さあ、そろそろ俺たちは行くよ。異邦人、ユリアを任せたぞ」
ラルフは話を切り上げるようにそう言って、御者台の三人に声を掛ける。
「ユリア、達者でなー! 手紙書けよー」
アヒムは再び背を向け、顔を拭っている。
「ユリア、師匠と、フェリクスにも伝えておく。あ、俺にも手紙よこせ。居場所わかんねぇと追いつけないからな」
カイは手を軽く挙げた。
エルバートはカイの頭の上に飛び乗って、バタバタと翼を広げた。
きっと、手を振っているつもりなのだ。
そうして、隠れ里に向かう馬車は森の中へと消えていった。
「ねえ、ユリアちゃん」
荷馬車を見送って、船着き場のある港町コマーに向かう道中、ライナルトがおずおずと切り出した。
「何?」
隣を見上げると、ライナルトは灰緑色の瞳を落ち着きなく動かしながら、頭を下げて、覗き込むようにしてユリアを見下ろした。
「あのとき、俺のこと好きだって言ってくれたよね?」
「へ?」
「覚えてない?」
不安の色を浮かべた瞳が、ユリアを見つめる。
ユリアは視線を逸らし、早歩きになった。
「ど、どうだったかなぁ、ははは」
ばっちり覚えている。
七色の光の中、ライナルトに問われて、そう答えたのだ。
隣にライナルトの気配がなくなり、ユリアは慌てたように振り返る。
そこには、目尻を下げて、微笑むライナルトが立っていた。
日の光を浴びて金色にも見える薄茶の髪を、微かに風に撫でられながら、灰緑色の瞳に彼らしい温かな優しい色を湛えている。
「俺もだ、ユリアちゃん。君が俺の帰る場所だ」
風が吹き抜けた。銀色の髪が風で靡き、ユリアは頬を染めて、目を伏せた。
〈おわり〉
白銀の魔法使い ~古代魔法と四つの鍵~ 雨宮こるり @maicodori
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