第49話 裏切りの代償②
「ゴットフリート、俺は聞いていない。ユリアの血が流れるなど……聞いていない‼」
悲痛な叫び声に、子供の頃へと意識が飛んでいたカイは、一気に現実に引き戻された。
言葉の意味が呑み込めぬまま、声の主を探す。
「暴力は否定しない。そうしなければ、何も変わらないからだ。だが、同胞を傷つけるのは違う‼ ユリアは我々一族の中でも稀有な存在‼ 〈翠玉姫〉にも引けを取らぬ……」
「でも、ユリアの存在は、予言されていない。そうでしょう、ラルフ?」
声の主は、ラルフだった。
ラルフは両膝を床につきながら、〈銀海の風〉総帥であるゴットフリートを見つめている。その空色の瞳には見る者の哀れを誘うほど、動揺で揺れていた。
「あと、君たちに教えなかったのは、信仰心に欠けるからさ 君もね、カイ」
突然、水を向けられ、カイは目を見張る。
「君は同胞を何よりも愛しているし、カイに至ってはいわずもがな、かな。ユリアが血を流すなんて言ったら、絶対邪魔したでしょ? そうなるのがわかっていたから、教えられなかったんだ」
「ユリアの血が……流れる?」
反芻するように、カイはもう一度口にする。
「ユリアの……血が……?」
カイは瞼をカッと広げ、ユリアを包む七色の光に目を走らせる。
頭に血が上り、ドクンドクンと心臓が脈打った。
動けなかったのが嘘のように、カイは立ち上がり、素早くベールに駆け寄る。
あまりの眩しさに目を細めながら、輝く光の中に手を伸ばす。
拒まれなかった。
カイの体はするりと中に入り、光の中で寄り添うライナルトとユリアの姿を目に映した。
ユリアの白い衣服は、まるでもともと赤い生地で織り上げられた服だったかのように、真っ赤な血で染め上げられている。その顔は、異常に白く、完全に血の気が失せていた。
瞼は閉じていて、口元は微かに笑っている。
カイは震える足でユリアの傍まで行くと膝まづき、だらりと垂れ下がった腕を取り、両手で包み込んで、祈るように額に当てる。
「……もってくれ、もってくれ」
唱えるような囁き声が聞こえ、カイは顔を上げた。
目の前のライナルトが、堅く目を閉じ、ぶつぶつと半ば懇願するように必死で唱えている。
「もってくれ……お願いだから、もってくれ」
その時、真横で音がして、驚いてそちらを見ると、縄に縛られたままのアヒムが慌てたように転がり入って来た。
「ユリア‼」
アヒムもまたカイと同様、ラルフの言葉を聞くまで、ユリアに何が起きたのか知らなかったのだ。同じように結界の中にいて、なぜラルフだけが状況を把握できたのかはわからないが、彼のおかげで、今ここに立ち会うことができた。
もぞもぞと動くアヒムを見かね、カイはユリアの胸に優しく手を置くと、アヒムの傍らに片膝をつき、腰に差した短刀を抜くと、堅く結ばれた縄を切ってやった。
「うぉぉおおお! 感謝する‼」
煌めく碧い瞳で見つめられ、カイは首を縦に振った。
「ユリアー‼ 大丈夫かー‼」
それから、走り寄ったアヒムの後ろを、のろのろとついていき、ユリアの足元に胡坐をかく。ユリアの微笑んだような顔を見、カイは俯いた。
ユリアを守るために力を欲し、その力を得るために、ユリアを裏切った。
その代償がこれなのか。
ユリアがいなくなったら、力を手に入れる必要さえなくなってしまうというのに。
「俺はっ……!」
いつの間にか、アヒムがカイの肩に手を置いていた。
横を見ると、アヒムが力づけるように頷きかけてくる。
「彼は……誰だか知らんのだが、どうやら祝福の女神セングレーネの力を与えられた者らしい」
「それが?」
ライナルトが女神の力を有しているからといって、何になるというのか。
元神官だとユリアが言っていた。
神官ができることといったら、結界を張るくらいだ。
ユリアを包む七色の光は、ライナルトの張った結界なのだろう。
何のために張ったのかはわからない。
せめて、死に際は穏やかに過ごさせてやりたいという配慮からかもしれない。
そうして、ライナルトは祈るのだ。ユリアの眠りが安らかであらんことを、と。
カイは口元を歪めた。
「それがなんだって? ユリアが生き返りでもすんのかよっ」
吐き捨てるように言って、顔を背ける。
ユリアそっくりの碧い瞳を、まっすぐ見ていることなんてできそうになかった。
「ああ。その通りだ」
カイははっとして顔を上げる。
「あ、いや、生き返らせるのは無理だろう。それは神の領域だ。だが、」
アヒムはユリアの顔に視線を移す。吊られたように、カイも見た。
ほのかの頬が色づいて見える。
「傷を癒すことはできる。ユリアは死んじゃいない。だから、治癒の力で何とかなるかもしれん」
カイは身も乗り出すように、ユリアの腹部を見た。
先程まで突き刺さっていた黒い矢が、粉々の光となって、霧散していく。
そして、血の溢れだしていた傷口もたった今閉じようとしていた。
「ユリアが……生きてる?」
「そうだ。だから、そんな顔をするな。この世の終わりみたいな顔をしてたぞ。実の兄を差し置いて、悲嘆にくれてくれるなよ」
どっと安堵感が広がって、カイは体中の力が抜け、ばたんとそのまま仰向けに倒れた。
「お、おい! 大丈夫か⁉」
「平気だよ。うろたえんな」
天井は低い。
眩いばかりの七色の光は、あまりに清らかすぎる。
カイは目を瞑り、胸の内に広がっていた暗い影が小さくなっていくのを感じていた。
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