第48話 裏切りの代償①

 燭台の灯る通路に足を掛けていたゴットフリートは、ユリアたちの様子に気がづき、足を止めて振り返る。


「へぇ。彼、セングレーネの力を持ってたんだ」

 

 ゴッドフリートは蒼い右目を細めて、口元だけで笑った。

 興味をひかれたのか、彼の視線はユリアを抱き締めるライナルトのおぼろげな姿に注がれている。

 

 そのとき、彼の頬のすぐそばを一本の炎の矢が霞めた。

 ゴッドフリートは鋭い視線を矢の放たれた方角へ投げる。


 消えかかった赤い魔法陣の上に、仁王立ちしたカイが、自分の前に赤々と燃える魔法陣を作り出し、そこから炎の弓を放っていたのだ。矢は次々と生み出され、無防備なゴットフリートめがけて飛んでいく。しかし、ゴッドフリートに当たる寸前のところで、デニスが放った風を纏った矢が、炎の矢を粉砕した。


 攻撃に気が付いたカトリナがよろめきながら、ゴッドフリードを背に庇うように立ち塞がり、両手をかざし、水魔法の詠唱を始める。


「あなた、裏切るつもり?」

 

 目を眇めたカトリナが、ほくそ笑む。


「裏切る? 俺はもともとお前たちの仲間になった覚えはねぇな」

 

 カイは傾きそうになる体を、足を踏み出して支える。


「そうよね。そんな気がしてたわ」

 

 カトリナの目の前に出現した青い魔法陣から、波のような大きな壁が立ち塞がる。

 波の壁は、カイの放つ弓をことごとく跳ね返した。


「くっ……!」

 

 カイの目の前から魔法陣が消失し、ほぼ同時に青い魔法陣も搔き消えた。

 荒い呼吸を繰り返し、カイは崩れるように、片膝をついた。

 対する、カトリナも息が上がり、今にも倒れ込みそうだった。


「『勇敢なる炎の……』」

 

 呼吸の間に詠唱を唱えようとするも、カイは続きを口にできない。

 体が思うように動かず、もどかしい。

 カイは拳を握りしめ、自分の膝に叩きつけた。


「おい、やめておけ、動けなくなるぞ」

 

 背後から声がして、のろのろと肩越しに振り返る。

 縄に縛られた格好のアヒムが、緑の魔法陣の消えた床の上に転がっている。

 ユリアと同じ碧い目に見つめられ、カイは自らを痛めつける、手を止めた。

 アヒムもまた疲労の滲んだ顔をしていた。


「さっきの儀式とやらで、相当体力を削られたらしい。この体力自慢の俺が手も足も出ん」


「あんたは手も足も縛られてるだろうが」


「あ、そうか! ガハハッ」

 

 頭痛のする頭を片手で抱え、七色の光に包まれるユリアを見た。

 ライナルトが駆け寄り、やりとりしているのは結界の壁に遮られていても、多少は見えたのだ。

 カイは奥歯を噛みしめる。

 結界が破れてしばらくしても意識にもやがかかり、立っているのかも判然としなかった。

 

 だから、ユリアに何が起きたのか、カイにはわからなかった。

 それが、はがゆく、胸を掻きむしりたくなるほど、むしゃくしゃする。

 けれど、カイには成さねばならないことがあった。

 古代魔法の魔導書、最後の一冊を燃やすこと。

 それが、師匠と交わした誓約だったのだ。


 ——なぜ、その力を望む? 強くなって何をするつもりだ?

  

 強力な魔法を教えてほしいと、カイがせがんだとき、師匠はこう言ったのだ。


 ——なぜも何も、強くなりたいからだろ? 強くなりたいから、強い魔法を望む。単純明快じゃないか。

 

 それはちょうど、師匠に弟子入りしてから一年が過ぎた頃だった。

 いつも騒がしいユリアと、先輩風を吹かすフェリクスのいない静かな午後。

 生まれてこの方風邪などひいたことがないと豪語していたユリアは風邪で寝込み、いつも出不精なフェリクスが所用で里を出ているという珍事が重なり、生まれた貴重な時間だった。

 暖炉の前で、パチパチと薪のはぜる音を聞きながら、師匠は顎に貯えた銀の髭を撫でた。


 ——ただ、目的もなく強くなってどうする。信念のない人間は、いつかその力で自分の身を亡ぼすだけだ。カイ、お前は何で強くなりたい? お前の守りたいものはなんだ?


 ——守りたいもの?

 

 カイは瞼を閉じ、腕を組んで考えた。

 両親、弟、妹、親戚、隠れ里……そしてふいに、ユリアの笑顔が浮かんだ。

 

 はっと目を開け、今度がぎゅっ目を瞑ると、浮かんだものを振り払うように大きく頭を振る。ややすると、落ち着きを取り戻し、息をついてから、はたと顔を上げると、師匠の青い瞳がじっと自分を見ていることに気が付いた。

カイはかーっと顔を赤くした。


 ——何でもねぇ! 何でもないからな‼ ユ、ユリアのことなんて考えちゃいないからな‼


 言い張るカイを、優し気に目を細めて見ていた師匠は、快活に笑った。


 ——そうか。ならば、いつか究極奥義を教えてやろう。でも、条件が一つある。

 究極奥義という魅力的な響きが、カイの藍色の目を輝かせる。


 ——古代魔法の魔導書、最後の一冊を燃やすんだ。お前の炎で。それができれば、お前に究極奥義を授かる資格があるとみなそう。

 

 カイは顔を顰めた。

 まるでおとぎ話めいた古代魔法などという怪しげな魔法の、しかも最後の一冊などと言う、さらにおとぎ話めいた言葉を聞き、師匠が自分をはぐらかす気だと思ったのだ。


 ——大人はずりぃよな。


 ——信じていないな? 王都アクエティナス大図書館の地下に眠ってるよ。嘘じゃない。ここで証明する手立てはないがね。ただ、これは悪い話ではないと思うが? ユリアを守ることにも繋がるからな。


 ——ユリアを?

 

 師匠は大きく頷いた。


 ——いつか、ユリアの力を狙って、悪だくみをする奴らが必ず現れる。魔術書がこの世にある限り、ユリアがこの世に生きている限り、悪だくみをする奴らはあとを絶たないだろう。だから、燃やすんだ。ユリアのためにな。

 

 そのときの師匠の言葉が、カイの生き方を決めた。

 例え、裏切り者と蔑まれても、カイは守るのだ。

 己の信念に掛けて。

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