第47話 封印解除の儀式②
最後の言葉が紡がれると、突如、微風を伴いながら、ユリアの頭上に黒い球体が生まれた。
手のひらに載るほどの影のような物体だ。
球体はゆるやかに天井にめがけて上って行き、一定の高さまで来ると、とたんに静止した。
「なんだ?」
アロイスのものらしき声が聞こえた。
静止した球体は、微風を纏いながらぐるぐると旋回を始めた。
そして、徐々に膨らむように大きくなり、最後には黒い月のように頭上に君臨した。
だが、それだけでは終わらず、肥大化した球体は、次に下方を真四角の箱型に伸ばす。
そのあまりに不気味な光景に、ユリアは声も発さず見入っていた。
「鍵穴みたいじゃないか?」
アロイスの隣にいた、アーベルかエッボがぽつりとつぶやく。
その言葉に、ユリアは妙に納得していた。
(確かに、鍵穴みたい……)
呆けたようにユリアが吸い込まれそうになるくらい虚空のような黒い物体を見上げていると、四方から荒い息遣いが聞こえて来た。
それは各魔法陣の中から発されたもののようで、よく見れば、中にいる全員が苦しげに肩で息をしているのだ。
すると、今度は各魔方陣の上に、それぞれの色と同じ球体が生まれ、先程の球体と 同じように頭上高く上がると、またも形を変え始めた。それはどうやら鍵のようだった。
緑の魔法陣の上には、生まれたての若葉を模したような形。
赤の魔法陣の上には、燃え盛る炎をたなびかせた形。
青の魔法陣の上には、清らかな雫をした垂らせる形。
黄の魔法陣の上には、緩やかな風を纏った形。
それらの鍵は、次々に、中央の鍵穴目掛け、矢を射るように放たれた。
目の前で繰り広げられる、摩訶不思議な光景に、ユリアは目を奪われていた。
広間にいるほぼすべての人間が、頭上の光景に目を瞬いていた。
そのとき、ひゅんという音がしたかと思うと、ユリアの体がわずかに宙に浮く。
けれど、すぐ冷たい床に、背中から落ちる。何が起こったかわからず、ユリアは起き上がろうとした。打ちつけた背中が痛い。けれど、それ以上に体中に冷や汗が吹き出し、心臓がどくどく脈打つのが煩くて、顔を顰める。刹那、腹部が妙に温かくなってくるのを感じ、ユリアはゆっくり顔を動かした。
「見るなー‼」
焦るようなライナルトの声が響く。
だが、もう遅かった。
ユリアは腹部に細い棒が突き刺さっているのを見、その周囲からじわりじわりと赤黒い血が滲みだしているのをはっきり目に映していた。碧い瞳が赤く染まる。
半ば転ぶようにして、血相を変えたライナルトが、ユリアを包む白い魔法陣の光の中に入り込もうとする。だが、光の壁に阻まれ、一歩たりとも踏み込むことができない。
「ユリアちゃん‼ ユリアちゃん‼」
狂ったように、障壁を叩きつけ、喚き散らすライナルトを、ゴッドフリートは興が削がれたとばかりに一瞥を投げ、鼻を鳴らしす。
「心配しなくていいよ。痛みは感じないから。魔法陣の結界も通り抜ける特殊な弓だからね」
ライナルトは強張った顔を玉座に深く腰を掛ける白衣の少年へと向ける。
「痛みを感じないだって……? あんなに血が流れてるじゃないか‼」
「血が必要だったんだ。儀式の仕上げには、儀式を取り仕切った魔法使いの血を流す必要がある。運が良ければ、助かるよ。あ、ほら、もう終わる」
立ち上がったゴットフリートは、いつの間にか消失した鍵と鍵穴の代わりに、空中に浮かび上がっていた魔導書の元へゆっくりとした歩みで近づくと、
「デニス、風を」
弓を手にしていた青年はこくりと頷き、弓を下ろすと、
「『聡明なる風の神ヴェンツェルよ、我に力を……風の鳥よ』」
手をかざして詠唱した。
黄色い魔法陣が浮き上がり、そこから一羽の透き通った鳥が現れる。
風から生まれ出た幻のような鳥は、宙に浮かぶ革張りの魔導書を咥え、優雅に旋回してから、ゴッドフリートの手にその本を落とした。
「ありがとう。デニスの
デニスにねぎらいの言葉を掛けてから、ゴッドフリートは封印の解かれた魔導書を開く。
「これで無事、第一幕は閉じたね。それじゃあ、第二幕をはじめよう。みんな、出発だ」
小脇に本を抱え込み、ゴッドフリートは通路へ向けて歩き出す。
「ユリアちゃん‼」
ユリアとの間を阻んでいた障壁は、徐々に光を失い、拳で叩き続けていたライナルトの体は、前のめりに傾くようにして、薄くなった壁を越えた。
もつれそうになる足をなんとか持ち直し、ライナルトはユリアの元に駆け付ける。
血の気の失せたユリアの傍らに膝をつくと、ライナルトはユリアを極力動かさないようにして、首の後ろに腕を回し、もう片方の手で血のりのついた弱々しい手を握った。
ユリアの体を抱え込むようにして、ライナルトは揺らぐ灰緑色の双眸を、青白い顔の上に落とした。
「遅い……」
ユリアは気が遠くなるのを何とかこらえて、ライナルトを見つめた。
「うん」
ライナルトは眉を寄せて、泣きそうな顔で頷く。
「遅すぎっ……」
「うん」
視界が霞み、体に力がいらない。
不思議と痛みは感じない。
だが、腹部から血液が流れれば流れるほど、自分の中の大切な何かもどんどんすり減っているような気がした。
今まで意識したことのなかった、胸の奥にある命の灯が、徐々に光を失い、消えてしまうのだと感じると一抹の淋しさを覚えた。
やりたいことはたくさんあった気がするし、成し遂げたいことも数え切れないほどあったはずなのに、何一つ思い出せない。
ただ、消えゆく命を前に、寂しいと思う。
今の今まで、儀式を通して自分が死ぬ可能性など考えてもいなかった。
儀式の意味だって、本当の意味で飲み込めていたわけではない。
古代魔法を復活させることが、この先どんな未来を呼び寄せるのか、ユリアには想像すらろくにできなかった。これがカイであれば、「灰色鼠になんてなりたくない」と言っていたカイであれば、訪れる未来を的確に思い描き、自分の取るべき道を何の躊躇もなく歩いて行けたのだろう。
けれど、ユリアは違った。
みんなのために儀式を拒んでいたのではない。
自分が当事者になるのが嫌だった。引き金を引く役目を引き受けるのが嫌だったから、それだけだ。
「寒い……」
体は酷く寒いのに、ライナルトの灰緑色の瞳を見ると、不思議と温かい気持ちになった。
目の縁に涙を溜めて、それをこぼさないように、ライナルトは目を大きく見開いている。
「……泣かないでよ。男でしょ?」
ユリアの手を握る手に、ぎゅっと力がこもる。
「男でも泣くんだよ、ユリアちゃん」
ライナルトは口の端を下に引いて、大粒の涙をユリアの頬に落とした。
「ユリアちゃん、俺を受け入れられる?」
「……え?」
「俺のこと、受け入れてくれる?」
「……はい?」
ライナルトの言わんとしていることがわからず、気が遠くなる。
「俺のこと、好き?」
「はい⁉」
ユリアは目を剥き、思わず大声を出す。
弱っている体で、よくもこんな大きな声が出たと思うほどの声だった。
いまわのきわに、何で茶番めいたやりとりをしなくてはいけないのか。
ユリアは情けなくなりながらも、目の前にあるライナルトの瞳を見返す。
けれど、ライナルトは至極真剣な目をしていて、ユリアは茶化せなくなった。
いまわのきわだからこその台詞なのかもしれない。
ユリアは精一杯、口の端を持ち上げた。
「そ、うね。私は、あなたのこと……ライナルトのこと、好き、かな」
灰緑色の双眸に強い光が宿り、ライナルトは大きく頷いた。
そして、瞼を閉じ、ユリアの顔の上で首を垂れる。
「『祝福の女神セングレーネよ、我に与えられし祝福の力で、この者の傷を癒したまえ……』」
ライナルトの囁くような声が、ユリアに降って来た。
刹那、ライナルトとユリアは神々しいまでに美しい七色の光に包まれた。
それはオーロラのようなベールで、守るように、慈しむように、二人を包み込んだ。
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