第46話 封印解除の儀式①

 青い光で満たされた広間の中央。

 黒曜石の卓の前に立ち、白いローブを脱ぎ去ったユリアは震える手を、革張りの分厚い本の表紙に伸ばしているところだった。長い年月を経て来たものであるはすなのに、まるでごく最近作られたかのように傷一つなかった。


 体中から冷や汗が浮き上がり、指先は氷のように冷たかった。

 目の端には、縄で縛られた兄アヒムが見える。

 背中にピタリと弓の矢じりの鋭利な先端が突きつけられているアヒムは、まだ状況を理解できていないものの、明らかに不穏な空気を察しているらしいく、その表情はいつになく険しい。

 ユリアの周囲には、遠巻きにするように、カイ、ラルフ、カトリナがおり、出番が来るのを待っている。


 顔を上げると、真正面には、玉座で足を組み、ひじ掛けに肘をつき、その手の平に美しい顔を乗せるゴットフリートが、儀式の遂行を見守っている。

 ユリアの碧い目と、ゴッドフリートの蒼い右目が合った。

 射抜くような瞳に、ユリアはさっと目を伏せる。


「口は出したくないのだけど……ユリア、早く本に手を触れて?」

 

 背筋を凍らせるような声音に、ユリアははっとしてアヒムを見る。

 背中に突き付けられていた弓先が、アヒムの心臓を狙う位置に移動している。


「やめて‼」


「じゃあ、急いで。じらされるのは好きじゃない」

 

 ユリアは歯を食いしばり、目を見開くと、投げやりに茶色い革表紙の上に手を置いた。

 刹那、ユリアの足元に白く輝く魔法陣が出現する。

 

 そして、その魔法陣からまるで枝分かれするように、玉座側に、緑に輝く魔法陣が現れ、右手側には赤い魔法陣、左手側には青い魔法陣、そしてユリアの背後、通路側に黄色い魔法陣が浮き上がった。


 黒曜石の床の上には、大きな白い魔法陣を取り囲むように、それよりも一回り小さい緑、赤、青、黄の魔法陣が描かれる。


「おいっ!」

 

 声の上がった方を見れば、弓で脅していた青年が、アヒムを転がして緑の魔法陣へと横たえた。その瞬間、緑の魔法陣の光が一気に増し、アヒムの姿は光にかき消されほとんど見えなくなる。


「兄様っ‼」


「手を離すな‼」

 

 慌てて駆け寄ろうとしたユリアは、ゴッドフリートの子供とも思えぬ激しい口調にぴたり動きを止める。

 ユリアはきゅっと唇を噛み、緑の魔法陣を見る。

 その傍には、やはり弓を持った青年が、陣の中にいるアヒムに狙いを定めている。

 左右、後方で、人の動く気配がし、そのあと魔法陣に光が増したことで、各陣にそれぞれの元素を司る魔法使いが入ったことが知れた。


「さあ、ユリア、台詞を」

 

 微笑むゴッドフリートに促され、ユリアは先ほど聞いた文言を記憶から必死で手繰り寄せる。


「『私の権限により……』」

 

 緊張で体の感覚がほとんどない中、ユリアは口を開く。

 声は掠れ、とぎれとぎれになってしまう。

 上手く唾液が呑み込めず。呼吸の仕方もわからなくなる。


「『封印を……』」


 だが、言葉を紡がなければ、兄の命が危険なのだ。

 ユリアは震える唇を騙すように動かし、最後の言葉を絞り出そうとした。


「ユリアちゃんー‼」


 刹那、四大魔法による力が充足した空間に、空気を震わすほどの声が響き渡った。

 聞き覚えのある声に、ユリアは驚いて息を止めた。


「クワァアアアア‼」

 

 続くように、聞きなれた鳥の声も響く。

 ユリアが思わず手を離し、振り向こうとすると、


「ユリア‼ 続けろ‼」

 

 耳をつんざくようなゴッドフリートの叫びが聞こえ、次の瞬間には、アヒムの呻くような声が聞こえた。ユリアはすんでのところで思い留まり、緑の魔法陣を見やる。

 光りの加減で薄っすら見えるアヒムは苦痛に顔を歪めている。足のあたりに弓が落ちていた。刺さってはいないようだが、掠ったようで、わずかに赤いものが見える。

 ユリアは声にならない悲鳴を上げた。

 

 アヒムの傍に立つ青年は、またも弓をつがえ、緑の魔法陣に狙いをつけている。

 ユリアはゴッドフリートを滲みかけた青い瞳で睨みつける。


「さあ、台詞を‼」

 

 有無を言わさぬ高圧的な口調で言うと、ちらっと弓矢を構える青年に一瞥を投げる。

 青年は無言で頷き、弓をぎりぎりと引き絞った。

 ユリアは目の縁に涙を溜めながら、口を開いた。


「『解く……』」


 その言葉と共に、涙がつーっと頬を流れ、白い魔法陣の中に落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る