第43話 逃亡の手段
神々しいまでに青い光の満ちた広間は、古代魔法の魔導書を封印する場所として、正にうってつけのように思えた。
ユリアは今も芋虫のごとく冷たい床に横たわる兄の傍に膝を立てて座っていた。
逃げる機会を逃さぬよう、出口へと続く通路を正面にして。
左手側の壁には黒髪のカイが、腕を組んで背中を預けている。
その表情は読み取れないほど無表情で、頑なにユリアの方へ顔を向けなかった。
通路の手前にはカトリナが立ち、何かが来るのを待っているように、落ち着きなく右足を踏み鳴らしている。その度に響く、かつんかつんという音が、妙に耳障りだった。
もう一人、ユリアがアヒムと勘違いした青年はユリアたちを監視するように、少し距離を空けて直立不動の姿勢をとっている。
敵は三人、味方は、身動きの取れない兄アヒム一人。
(どうする? この状況で逃げられる?)
まずは兄の拘束を解かねばならないが、兄の縄に触れようとすると、背後に立つ青年が止めに入るのだ。
ユリアはアヒムの耳にさりげなく顔を寄せ、囁くように問うた。
「兄様、何か良い策はないの?」
アヒムは眉根を寄せ、
「そもそも、この状況が読めないんだが?」
馬鹿でかい声で返すので、ユリアは慌てて兄の口に手を当てる。
「ちょっと、静かに話してよ」
「もがもが」
アヒムがわかったというように頷くので、ユリアは手をはがし、兄を半眼で見据えた。
「ユリア、この状況を説明してくれないか?」
まだ少し大きいが、一応抑えた声なので良しとしよう。口を塞ぐ準備をしていたユリアは手を下ろした。
「まずは兄様から聞かせてくれない? なぜ、ここにいるの?」
「そうだな……何日経ってるか判然としないから、詳しい日付は言えないが。先日、カトリナから〈ルセック魔法一座〉の耳より情報があると言われたんだ」
〈ルセック魔法一座〉とはエンガリア王国で活躍する、魔法による幻想的で、煌びやかな世界を見せてくれる大道芸人の一団なのだ。もちろん、イーリアに来たことはないし、隠れ里に暮らすユリアたちが見たことはない。風の噂で知っているのだけだ。
何を隠そう、アヒムは〈ルセック魔法一座〉に在籍する、水魔法の使い手イレーネという美人が、甚くお気に入りらしい。一目すら見たことがなく、噂で伝え聞くのみの女性にご執心というのは、ユリアからするとおよそ信じられないが。
「朝日が出る時刻に、バッハじいさんの畑の横に来いって言うから、言われた通り行ったことまでは確かなんだが」
アヒムは器用に首を捻って、眉を寄せて唸る。
「そこからが不明瞭なんだよな。カトリナを見た気もするんだが、その後、妙なにおいがしたようなしないようなで、とにかく気がづいたら、ここでこの状態だったわけだ」
「え⁉ じゃあ、兄様、その時以来飲み食いしてないの⁉」
大食漢のアヒムが数日も食事できていないなんて。
ユリアは絶句し、兄の様態を心配し、改めて全身を目視で点検する。
「いや、さすがに数日飲み食いしなかったら、こんなにぴんぴんしとらんだろう。数時間おきにパンと水は渡されて、排泄もしてるぞ!」
「え? その格好で?」
芋虫状態でどうやって食事と排泄が行えるのか、想像して頭を抱えるユリアに、アヒムは豪快に笑った。
「なわけないだろう。そのときは縄を外してもらうんだ」
ユリアは目をきらめかせる。
縄を外してもらうことがあるということは、また食事や排泄の時間がくれば、アヒムは自由になるのだ。
「兄様、食事はそろそろ? じゃない! ねぇ、用を足したいって言ってよ、あの人たちに!」
アヒムは顔を顰め、ユリアを咎めるような瞳を向ける。
「おいおいおい、女の子が用を足すなんて言うな。せめて、お花摘みに行くって言うんだ」
「便所でも厠でも何でもいいから、言ってちょうだい‼」
ぐいっと顔を近づけると、アヒムは渋々、背後にいる青年の方に体を転がした。
「おい、用を足したい」
青年は明らかに顔を顰めたが、面倒そうに嘆息すると、アヒムの足を縛る縄をするすると解き、アヒムをどうにか立たせ、解けた紐を手に巻いて持ち、まるで引っ立てるようにアヒムを通路へと連れて行った。
(ええ⁉ ここで全部解くわけじゃないの⁉)
当てが外れたユリアは頭を抱える。
この場で全ての縄が外れれば、ユリアは魔法を使って隙を作り、兄と逃げ出そうと思っていたのだ。しかし、いとも簡単に縄を外した青年は縄使いか何かなのか。
一か八か、魔法を一発ぶっぱなし、混乱に乗じて兄の縄を切り、そして兄と逃げ出す。
果たしてこの計画は可能だろうか。
(敵は三人……全員が魔法を使える)
〈白の一族〉は稀に見る魔法に特化した種族だ。ゆえに、他種族と交わった今も、全員が魔法の力を有する。ちなみに、アヒムも地の魔法が使える。
魔法でいくら混乱状態を起こしても、おそらくフェリア城でのアンネ奪還時のように、相殺されてしまうのがおちだ。
(もうひとり仲間がいれば……)
壁に寄りかかるカイに、恨みがましい視線を送る。
カイが味方であれば、形勢逆転だったのだ。
ユリアの視線を感じてか、カイはユリアの方に後頭部を向けた。
(あいつー‼)
今や、裏切られた悲しみよりも、怒りの方が強かった。
でも、そう思えることに安堵する。カイを見る度に、悲しみに打ちひしがれていたら、この状況を切り抜けるなんて到底できないだろう。
昨日の味方は、今日の敵!
ユリアはキッとカイを睨みつけてから、足を踏み鳴らすカトリナを見る。
カトリナはイライラしているようで、親指の爪を噛んでいた。
一体、何を待っているというのだろう。
そのとき、通路から足音がした。
アヒムが戻って来たと思ったユリアは、首を伸ばして兄の帰りを待つ。
が、そこに軽やかな足取りで現れたのは、タァナ村で出会った美少年トフィーだったのだ。
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